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僕はただ、安心できる場所をひとつほしかったのかもしれない

3月2日に開催した #スナックたまりば  。実施からだいぶ日が空いてしまったし、参加されたみなさんの素晴らしい声を見ていたら、もう何も言うことはないんじゃないかって思ったのだけれど、個人的に感じたことをひとつだけ簡単に書きます。

この会のハイライトや皆さんのあたたかい声のすべてはここに詰まっておりますのでぜひ。

イベントから1週間以上経ち、振り返って思うのはタイトルのような気持ちです。

「安心できる場所」を他の言葉に置き換えるとすれば、「セーフティーネット」「安全基地」「サードプレイス」といったような言葉で括るようなことができる場所のことかもしれません。

今回参加された方のきっかけの多くが「ツイッターで知って」というものでした。そして実際に足を運んでくれた理由として、ツイッターで発信している言葉やその人のタイムライン上からうかがえる「横のつながり」が自分にフィットすると思ったからというのが多かったように思います。

それは単純にとても嬉しかったですし、主催者が介在しない方が会話が弾んでいたことを見ていたので実感としてもわかります。

(多分に個人的な思いを挟みますが)とかくいろんな場所でいろんな「顔」を持ち過ぎてしまう僕らにとって「安心できる場所」というのは、いろんな顔を持っている総合体としての「自分」を認めてくれる場所ということのような気がしています。

職場の顔、家庭の顔、SNSの顔…それぞれの場所でそれぞれの役割を演じていることが当たり前になっている今、「複数の顔を併せ持った自分」を受け入れてくれて、それでいて複数の顔の方向性(なんとも変な表現だな)がなんとなく似ている人が主催した会だったから、そこに集まる人と会ってすぐ打ち解けられたし、それがすなわち「安心」だったのかなぁと、ぼんやり(ほぼ酔った頭で)思いました。

たぶん、そうゆうのって、わかるんです。
その人のツイッターの言葉だけだとわからないんですけど、「どんな人と会話しているか」でなんとなく透けて見えるものだと思います。

結婚したい相手ができて、でもその人で大丈夫なのか?と不安になる人へのアドバイスが「その人の友人に会いなさい」というような、そんな感覚に近いようなことだと思います(だいぶ違うかもしれません)。

とにもかくにもやれてよかった。
会いたい人に会えてよかった。

こんな軽い感想になるくらい楽しかった(酔って記憶なくした)というのが本音です。みんなありがとうございました。

またやれるといいな。
やりましょう。




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