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また何処かで会えるといいな。そんなことを考えている

タイトルを見てミスチルの歌詞が浮かんだ方がいたら、僕はその人と一生友達になれるかもしれない。

僕がミスチルと出会ったのは小学校6年生の「物憂げな6月」だった。清涼飲料水のCMソングとしてテレビで流れた『innocent world』の、爽やかでいながら高揚するあのメロディに、思春期直前の「Children's World」にいた僕は一瞬で持っていかれた。

ちょうど4つ年上の姉もミスチルにはまってくれたおかげで、過去のアルバムを聴き漁りどっぷりミスチルにはまった僕は、以来25年間、ずっと、「この素晴らしい慌ただしい人生を二人三脚」で歩いているほどミスチルが好きである。

冒頭のタイトル、「またどこかで会えるといいな」は『innocent world』の歌詞。

いつの日も この胸に流れてるメロディー
軽やかに 緩やかに 心を伝うよ
陽のあたる坂道を昇る その前に
また何処かで会えるといいな イノセントワールド
『innocent world』

なぜ急にミスチルの話をし始めたのか。それは僕よりも10以上も年の離れた年下の人がミスチルが好きだったり、同年代と話していてもミスチルの歌詞が出てきたりと、「変わり続ける街の片隅で」ミスチルはずっと鳴り響いていて、ここ最近その存在感がまた大きくなってきたと思うからだ。

そして僕はその度に思うのだ。あぁもっとミスチルについて話したいなと。「狂おしく鮮明に僕の記憶を埋めつくす」ミスチルについて語り合いたいなと。

そんな訳で筆をとることにした。「62円の値打ち」はなくとも、今の時代、noteがある。自由気ままに書いていいはずだ。

と、PCを起ち上げ、ここまで文字を打ち込んで絶望している。この調子で書いていたら時間がいくらあっても足りないと。

本来であれば1曲1曲ミスチルについてここで吟味したいところだ。おそらく1曲あたり2,000字は書けるだろう。ただ、僕はもう大人であり時間が許してくれない。もう僕はチルドレンではなくミスターなのだ。

だから今回、僕がなぜミスチルにこれほどまで惹かれるのか、その糸口だけしるして終わりたい。

つづきは、このnoteを読み共感してくれた人たちと「世界一のお酒」を飲み交わしながら話したい。「そんなことを考えている」。

自己内完結するチルドレン性

このnoteのタイトルの前半については既に触れた。後半の「そんなことを考えている」は僕が大学4年生の頃にヒットしたドラマ『オレンジデイズ』の主題歌(ちなみに僕は見ていない)である『Sign』のサビの箇所だ。

ありふれた時間が
愛しく思えたら
それは愛の仕業と
小さく笑った
君が見せる仕草
僕に向けられてるサイン
もう 何ひとつ見落とさない
そんなことを考えている
『Sign』

なぜこの2フレーズをタイトルに採用したのか。それはもちろん、この歌詞がミスチルのミスチルたる所以だからだ。

『innocent world』は曲ができた当初は別の歌詞が用意されていたのは、ファンの間では有名な話だ。その歌詞を見たプロデューサーの小林武史が「今の桜井君だから書ける歌詞を」とオーダーを出して、世の中に出ている歌詞となった。

つまり、この歌詞は桜井さん自身の背景をもった歌であり、今の流行り言葉で言うなら「文脈ソング」なのだ。以来ほとんどの歌は桜井さん自身の背景から生まれた歌で彩られている。

で、改めて歌詞を見てほしい。

「また何処かで会えるといいな」。違和感がないだろうか。誰かに声をかけるなら「会えるといい“な”」ではなく「会えるといい“ね”」とならないだろうか。

「いいな」とは、誰かにかけた声ではなく、自分の中で完結する言葉だ。そうなったらいいなぁ。というわけだ。

おそらくドリカムなら「会えるといいね」となるはずだ(ドリカムも好きです)。でもそうならないところにミスチルの「チルドレン性」があると思っている。そして僕はミスチルのこういうところがたまらなく好きなのだ。

同じような意味合いで『Sign』がある。直前の歌詞で、相手の仕草を「見逃さない」と宣言しておきながら「そんなことを考えている」と濁す曖昧さ。おそらく「見逃さない」で終わっていたなら僕はミスチルのファンをやめていただろう。それくらい、こういった「チルドレン性」に僕は惹かれてしまうのだ。

女性からは「男らしくないわね」という声が聞こえてきそうだ。いや、そもそも「男らしい」という言葉は、元来の「チルドレン性」を隠すための見栄なのだ。そういう気付きを今の時代に投げ込んでくれたミスチルはやはり偉大と言うしかない(ちょっと違うか)。

そしてそんな「男らしくない男」を知りたければ『LOVE』『UFO』『渇いたキス』を聴いてもらえればと思う。

少し脱線した。

誰かに言葉をかけることのできない、言いきることのできない「チルドレン性」は、片一方で、軽い言葉で人を傷つけないという「大人性」を帯びることにもなる。

代替品であることを認める「大人性」

あれは『シフクノオト』がリリースされた頃であろうか。音楽雑誌でインタビューされていた桜井さんが「今までは、ミスチルの歌で勇気づけられたという言葉に懐疑的だった」といった旨の話をしていて、それは、人は本来的には身近にいる人との関係こそが自身を作り上げていくものだという思いがあった、ということだった。

だけど、とある病気の子どもとのやりとりの中で「僕らの歌で一時気持ちが紛れるならそれを受け入れたい。ミスチルは嬉しい気持ちや哀しい気持ちの代替品でいいんです。だから、今は覚悟ができています」といったことを語られていたのだが、僕はそのときものすごく衝撃を受けたのだ。

あれだけのスターが「人を喜ばせている」ということに自覚的になるのにこんなに時間がかかったのかという事実と、その喜びすら「一時的」「代替」という刹那的なものとして引き受けるという覚悟に感動したのだ。

その言葉の意味が一番大きく顕れたが3.11のとき、桜井さんが公式HP上に発表した言葉だろう。

(HP上を探すのが難しかったのだが、幸いにもニュースサイトに転がっていたので拾ってきました)

ここで桜井さんは、被災された方々に向けてこう締めくくった。

何もかも奪われた状況の中。先の見えない暗闇の中。それでも心の中に歌があって、その歌があなたを励ましたり、元気づけたり、気分転換になったりしてたらいいなぁ。。ってそんなイメージを持つことでミュージシャンとしての自分は救われています。

僕はこの言葉を見たときに「あぁ。桜井さんらしいなぁ」と涙が止まらなかった。

おそらく多くの人たちが「頑張って!」と勇気づけようと動いていたのではないだろうか。そんな中、桜井さんはコメントの中で「自分の話」にもっていった。僕はそういう誠実さに安心したのだ。

そしてこの震災から数週間後に配信限定でリリースされた『かぞえうた』を聴いたとき、本当にミスチルが日本にいて良かった、と思った。

全編平仮名の歌詞。その意図は語られていないのだけれど、「かぞえうた」「あなたのうた」「きぼうのうた」「えがおのうた」とつづく「うた」たちはおそらく、辛い思いをしているひとりひとりの思いを乗せるためだろう。

「文脈ソング」としていつも主語があったミスチルの歌が、はじめて「誰か」を主語にした瞬間だった。

実は『かぞえうた』には、一部分だけ「漢字」が含まれる歌詞がある。

僕らは思っていた以上に
脆くて小さくて 弱い
でも風に揺れる稲穂のように
柔らかく たくましく 強い
そう信じて

おそらく、唯一ここだけがミスチルとしてのメッセージだ。ここでも「強い」と言い切らずに、「そう信じて」と結ぶ。この言葉に、優しさと強さを感じるのは僕だけではないはずだ。

そしてこの『かぞえうた』は『[(an imitation) blood orange]』というアルバムに収録されている。

ぜひこの『かぞえうた』の直前の曲『イミテーションの木』とセットで聴いてほしい。ここに僕はミスチルの大人としての覚悟が顕れていると思っている。

無機質なそのビルの中
イミテーションの木は茂る
なにかの役割を持ってそこにある
イミテーションの
イミテーションの
張りぼての命でも人を癒せるなら
本物じゃなくても君を癒せるなら

『イミテーションの木』

イミテーションとは「模倣」という意味。要は「本物ではない」ということだ。

先述したとおり、桜井さんはどこかで、ミスチルがその人の気持ちの「代替品」でいいと受け入れることにした。だから、ここで歌う「イミテーションの木」はミスチルそのものだ。

人を一時癒せることができるなら、それでいい。それがミスチルの役割だから、と歌うのだ。

そしてその歌の後を引き継いで歌われる『かぞえうた』。誰かのため、君のため、それこそミスチルが役割として引き受けた大人の歌だ。

この誠実さ。だからミスチルが歌う歌たちは「本物の歌」として僕らに響いてくるのだ。

そんなわけで、ミスチルの魅力の「0.05ミリ」分をお届けしました。

「え。そんなバンドだったの?」「いやー。わかる」「全然違うわ」なんでもいい。感想は自由です。僕らは僕らで「僕らの音」を奏でればいいのだから。

でも、できればそんなミスチルが好きな人と話してみたいとも思っている。

また会えたなら 次会う時は 
愛聴盤や愛読書なんか持参で
ほんの一杯の つもりで飲んで
青春時代みたいにして 夢並べて 夢並べて
『また会えるかな』

ありがとうございます。 サポートって言葉、良いですね。応援でもあって救済でもある。いただいたサポートは、誰かを引き立てたたり護ったりすることにつながるモノ・コトに費やしていきます。そしてまたnoteでそのことについて書いていければと。