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正しい 【た_50音】

【正しさ】
1 形や向きがまっすぐである。
㋐形が曲がったりゆがんだりしていない。「線に沿って―・く並べる」「―・い姿勢を保つ」
㋑血筋などの乱れがない。「由緒―・い家柄」
2 道理にかなっている。事実に合っている。正確である。「―・い解答のしかた」「―・い内容」「公選法は―・くは公職選挙法という」「―・いトレーニング方法」
3 道徳・法律・作法などにかなっている。規範や規準に対して乱れたところがない。「行いを―・くする」「礼儀―・い態度」「―・い判決」
(出典:デジタル大辞泉)

「それが君の出した答えですか?それは多分に理想が含まれ過ぎていて正しい答えとは言えないないですね」

目の前の人が一体なにを言っているのか僕は一瞬わからなかった。先日の会社の会議のことだ。

僕が担当している事業について「一旦実現の可否は問わずフラットにアイデアを話してほしい」と上長が招集した会議で、その上長は僕の話を聞き開口一番そう告げたのだ。

その言葉はもはや宣告に近い雰囲気すら伴っていた。彼はその言葉を吐いた後、勝ち誇ったような、蔑み哀れむような、いくつかの感情が見え隠れする不思議な表情で僕を眺めていた。

彼の言葉と表情に気持ち悪さを感じた。それでも目を逸らすことができなかった。今振り返ると多分それは敵から身を守るような拒絶反応に近いのだと思う。正しいという言葉にここまでの暴力性を感じるとは思ってもいなかった。

彼の言葉を受け、回答を用意すべく咄嗟に頭を巡らせてみたものの、でてきた言葉はすべて「正しさ」の前で殺されるような気がした。それではあまりにかわいそうだと思った。一体何をかわいそうだと思ったのかよくわからなかったのだけれど、僕はひと言「失礼しました」とだけ答えた。

その答えを受けて彼は「まぁ、これから考えていきましょう」と演技がかった笑顔を見せ、その会はお開きとなった。

「あれはなんだったんだろう?」

軽く飲んだ金曜の夜、まっすぐ家に帰る気分になれなくて、いつもの喫茶店で彼女と落ち合った。コーヒーを飲みながら会議の一部始終を彼女に話した後、誰に向けでもなくそう僕は呟いていた。

彼女はカフェオレのカップに指をかけたま「それで、その上司は自身が考える正しさを話したのかしら?」と僕に聞いた。

「いや、話してないな。聞こうとも思ったんだけど、なんというか、答えは返ってこない気がしたし、それに」

「それに?」

「たとえあのとき、正しさを語られても到底正しいとは思えなかっただろうなって。今となっては、しっかり問えばよかったと少し後悔もしている」

「いや、それでいいと思うよ。うん、それでいい」僕の回答に間髪入れずに彼女は断言した。

「そうかな?」

「うん。そうやって正しさを簡単に振りかざすような人に君が引っ張られる必要はないし、向き合う必要もない。時間がもったいない」

珍しく怒気を含んだ声だった。それに驚いたけれど、彼女の言わんとすることはなんとなくわかるから、僕はただ頷いた。

少しの沈黙の後「なんであの時、正しいという言葉に引っかかったんだろう?正しいことってなんだろう?」と僕は聞いた。

彼女は飲んでいたカフェオレをソーサーに戻し、少し間をとってから口を開いた。「正しさの反対ってなんだと思う?」

正しさの反対?“間違い”じゃないの?」僕は反射的にそう返した。

「うん。答えのあることについてなら“間違い”になるね。でもさ。ほとんどの事柄に明確な答えはないじゃない?どんな確からしく見えることだって、ずっと同じ答えのままではないものだと思うし、そもそも答えは人それぞれだったりするでしょう?」

「ふむ。そう考えると正しいという言葉はとても重たいね。言うにはそれ相応の覚悟が必要になるというか」

「そうなの。だから正しいという言葉を簡単に口にする人は『権威を見せつけたい』という欲の隠れ蓑として使うことが多いの。私はね、そういう態度に姑息さを感じる」

彼女は残っていたカフェオレを一気に飲みほしてこう続けた。

「私にとって正しさとは、答えに向かう態度そのもの。そして正しさの反対は『不誠実である』ということなの」

あぁ。そういうことか、と僕は思った。
彼女は、上長の不誠実さに苛立っているのだ。そして僕は、権威を振りかざしたいがために話し合いに蓋をした上長の姑息さに拒絶反応が出たのだ。

僕が議論を続けなかったのは、そこから先に「解決」はありえないと直感でわかったからであり、それ以上に、僕がこれまで温め積み重ねたきた想いが、一気に萎えてしまうことを避けるためだったんだとわかった。

彼女の言う通り、話を続けるべきではなかった。

帰り道、駅前の路上で珍しくフォークギターをかき鳴らしながら歌っている人をみかけた。若くしてこの世を去った孤高のアーティストのカバーを歌っていた。

遠い理想に届かない苛立ちと、いつか届かせてやるという野心の両方を含んだような荒ぶった声だった。どちらにせよ、僕にはとてもまっすぐな声に聞こえた。

僕は思わず足を止めて、歌っている彼の理想が待つ夜空を見上げた。

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に 歌いつづけてる
尾崎豊『僕が僕であるために』




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