いない 24 平和
(※性暴力の描写があります)(つらそうな方はどうぞ無理せず)
大人になってから一カ所目のカウンセリングで、心理士さんは、
「自分が汚れたとか、そういう感覚はありますか?」
と、私に聞いた。私は、心理士さんが何を言っているのか、全くわからなかった。
ああ、でもそれ、聞いたことがある。何かで読んだ。私が、カウンセリングと自助グループを見つけるまでの、「一人で治す」という目的で、本を探して読んでいた時。
汚れた? とは? 私は、
「汚れた? とは? どのようなことですか?」
と、当時の心理士さんに聞いた。
心理士さんは、
「自分の体が汚れた、とか。」
と、説明を加えてくれたが、私(たち)には、わからなかった。
私(たち)にとって、汚れた、というのは、田植えが終わって泥まみれの田植え機を、庭や水路のそばで、ホースの水をばしゃばしゃ掛けて洗うこととか、犬や猫を桶に入れて、耳や目に水が入らないように洗うとか、そういう景色と、紐づけていた。洗えば、汚れは落ちる。
祖父と色々してから、今に至るまで、私は何度も入浴している。汚れた? とは? なぜ? 何を言っているのかわからない。
というような意味のことを、私は、心理士さんに言った。
心理士さんは、
「おじいちゃんと、では、ないと思います。おじいちゃん、から、では、ないでしょうか。」
と、私(たち)に言った。
私は、首を傾げた。頭の重みが片側へ寄り、反対側の、伸びている首が涼しかった。私は、
「でも、最後の方、私からおじいちゃんの中に入りに行ったし。」
と、心理士さんに、答えて言った。
心理士さんは「真面目な顔」を作ってくれた。何か言ってくれようとしている、ように見える。
私は、見なかったことにした。
合意とは何かの説明は、前にも聞いた。覚えている。
私は、
「私が自分で行ったんですよ。おじいちゃんの中に、自分を、自分? どれ? これ? わかんないですけれど。
これ、かな。これを、ぽいって、放り込むと、時間がね、ぴょんて、飛ぶんです。全部おじいちゃんがやってくれる。
こういうことをしている時のおじいちゃんは、相対的に静かというか、いつもみたいに、私に死ねとかゴミとか言わないし、言っても、言い方が笑っているし、怒鳴らない。
私の頭を、コタツテーブルの天板で殴ろうとしたり、ははは。おじいちゃん力持ち。または、木刀とかハエ叩きで殴ったりしない。
おじいちゃんの突然の、あの、おまえが! おまえが! という、発作みたいなのも、起こらない。静か。平和。
平和ってどんなでしたっけ。静か。静かだといい。
それで、おじいちゃんが、乳とか股とか育てようとしている間は、私(たち)は、何も考えなくていいんですよ。
ごはん何作ろうとか、明日は何時に起きてお洗濯をどうしてとか、学校の宿題のこととか、学校の人が何を言っているのか全くわからないとか、そういうの、全部、投げていいんです。
おばあちゃんが私を大嫌いかもしれないとか、おじさんとお父さんの折り合いがものすごく悪いとか、お父さんがもう帰ってこないんじゃないかとか、そういうのね。全部、考えなくていいんです。考えなくていいというか、上から塗り潰す感じ。
いつも、頭がぐちゃぐちゃで、私(たち)は、なんだか、忙しい。回るノコギリ、何でしたっけ、チェーンソー? あれが、頭の中をギャリギャリ回っているみたいなんですよ。いつも。すごくうるさい。うるさいとすごく痛いでしょう。痛いけれど肉は見えないから、痛いのとは違うんだって。
だから、大丈夫なんですよ。おじいちゃんの中に私を入れると、正しいことは全部、おじいちゃんがしてくれるから、私は、頭の中がずたずたに千切れなくていい。」
というようなことを、心理士さんに、もっと少ない言葉で言った。
私が大人になってから、2カ所目に行ったカウンセリング機関の心理士さんは、私が、似たような話をした時に、
「そもそも、激痛を、さらに強い激痛で覆わないといけないような環境自体が、不適切ではないでしょうか。」
と、私に言った。私は、
「なんにも痛くないですよ。」
と、二人目の心理士さんに言った。心理士さんは、
「でも、乳首齧られてますよね。」
と、私に言った。私は、ああ。と、声を出し、
「でも、千切れてなかったから。」
と、心理士さんに、答えて言った。大丈夫なんですよ。明るいところで見たら、ちょっと切れていただけでした。
私が自分で選んだんですよ。私は、小さい頃から、人が何を言っているのか全くわからなくて、それは、家の中でも、外でも、同じで。
自分では、頑張って、言葉を聞いているつもりでは、いるのですが。なんにもわからないんです。何を言っているのかわからない。
だから私は、すごくバカなんだと思います。
こんなに、人が何を言っているのかわからないのだから、何か、不具合があるに違いない。