いない 25 すみれ

 私は、小学校で学年が上がるたび、担任になった先生に、
 「私を、すみれクラスに入れてください。」
 という、お願いをしました。

 私のお願いを聞いた「先生」は、どの「先生」も、
 「ううん。違うのよ。あそこは、お椅子に座っていることが難しい子とか、みんなと一緒のお勉強について行くことが大変な子とか、事情のある子が入る学級でね。
 **ちゃんは、授業中ちゃんと席についていられるし、今だって先生のお話をわかっているし、お勉強もできるでしょう。
 大丈夫。すみれに、入らなくていいと思うよ。大丈夫だよ。」
 というようなことを、言い回しは多少変わりつつ、だいたい同じお返事で、言いました。

 私は、毎年、私がこんなに人が何を言っているのかわからないということを、今年も、先生に伝わらない。
 という言葉は、ありませんでした。私は、膝の骨が抜けるようでした。耳から腰へ血が下がって、なんだかホラーみたいでした。どうして? 

 私は、必死で、人間のふりをしているようです。
 私の形は人間のように思いますが、何かの間違いで、べつのものが入っているように感じます。

 私は、すごく頑張りました。頑張ったつもりです。観察と模倣を繰り返しました。
 人間の動作に対応する、私の動作を、相手にとっての正解を、ひとつずつ、覚えててゆきました。
 
 そのような努力は限界でした。周りの子は、成長をしました。
 私には、周りの子たちが、成長とともに、新しい言葉や感覚を、獲得してゆくように見えました。
 私に、お知らせ、来ませんでした、自然な成長は、ありませんでした。私は、ずっと、人が何を言っているのか、全く、わかりません。

 私が、だめなんですよ。私が、だめで、何にも、ついて行かれないんです。
 でも、「バカにしているのか」と、人間の動作を覚えるまでは、小学校でも言われました。
 バカにしているつもりはなくて、本当に、私は、人が、何を言っているのか、全く、わからない。
 どうしたらいいですか。まだ他にできることはあって、私が怠ったでしょうか。わかりません。私が、バカだからです。

 でも、学校には行かないといけない。家の仕事も、たくさんあります。お勉強もできないといけない。私(たち)は、伯父さんをあやさないといけないし、お父さんを慰めないといけません。おばあちゃんが怒らない程度の手伝いと、おばあちゃんが死なないように、注意していないといけない。頭が、ぐちゃぐちゃなんですよ。いつも何だか、熱を持った機械みたいになっていて。ぐらぐらします。繰り返しです。

 どうやったら死ねるんだろうと考えて、でも私がバカだから、どうしたら肉体が死ぬのか、まだわかっていなくって。とりあえず、土手から飛んだりするんですけど、足首ぐねって終わるんですよ。包丁は、図書室の本で、死に切れずに苦しんだ人の手記を読んでからは、腰が引けてしまって。
 耳のまわりで、おまえなんかいらないおまえなんかいらないって、音とまぼろしの中間みたいな、言葉が反響しています。
 そういうの、全部、おじいちゃんの中に、私、私っていうのは、何でしょう。わからない。それを、放り込むと、時間が、飛ぶんですよ。らくちん。私が、自分で、やったんですよ。