いない 22 うたう

 あとは、しばらく繰り返しだ。
 寝たら目が覚めませんように。起きて、下洗いした洗濯物を洗濯機に任せながら、ごはんを作り、洗濯物を干し、掃除をして、学校へ行く。学校から帰ってきて、何か手伝う。お風呂掃除。食事の支度。
 歌を歌う。

 小学校の取り組みとして、合唱練習があった。
 「幼馴染の女の子」が先にいて、私を誘ってくれた。

 私の声は、「甘ったれて」いて、「嫌味ったらしく」て、「かわいこぶって」いて、「汚らしく」て、「聞くに堪えない」と、祖父や祖母が教えてくれたので、私(たち)は、それまで、なるべく歌を歌わなかった。
 私が「幼馴染の女の子」に、ついて行ったのは、
 「いいえ。私はしません。」という言葉を、持っていなかったから。

 祖父は、
 「はい以外はいらねえんだよ」
 と言った。

 私は、小学三年生か四年生から、祖父に呼ばれた時は、言いつけの内容を聞く前から、とりあえず、何も考えず、
 「はい。」
 という音を出すようになった。

 このころには、祖父みずから木刀を持って子どもを追い回すことは、減った。祖父は、ただ、
 「頭を持ってこい」
 と、怒鳴るようになっていた。
 子どもが育ち、足が速くなったからかもしれない。祖父の体力が落ちたからかもしれない。わからない。

 私は普通に、祖父のもとへ「頭を持って」行った。
 何も考えず。というか、考えるという機能は、潰れていたか、潰していた。
 そもそも、考える、とは何? 言葉がばらばらに戻る。ばらばらに戻っている暇はない。私が、反射の速さで「はい」と言わないと、間に合わない。祖父の機嫌に。ぐるぐる変わる、祖父の機嫌。

 「なぜ私は祖父のもとへ自分の頭を持ってゆき、灰皿で殴られているのだろう」
 などという「しょうもないこと」を考えている暇など、ない。それどころではない。私は、早くごはんを作るのだから、「こんなこと」に時間を取られてはいけない。
 おじいちゃんだって、「持ってきた」私の頭を数回殴れば、満足して静かなんだから、いい。
 これの頭の一つや二つ、おじいちゃんに、あげていい。
 という言葉は、なかった。いいえ。どうでもいい、という言葉は、すでに、あった。

 私(たち)は、特に悲しくない。
 帰りに自殺の練習として、どのくらいの高さがいるのか試そうと、土手から飛んで足首を捻ったり、歩道橋の上から下を見下ろして、即死は無理かなあと呟いたりした。

 「幼馴染の女の子」が、
 「やっと一緒に合唱出られるね。」
 と言い、私の手を引いた時も、私は、何も動かない穴のまま、引かれるがままに、音楽室へ連れられて行った。

 音楽室では、音楽の先生が、パート分けということを行っていた。
 生徒は一人ずつ、何か合唱曲の出だしの部分を、先生が弾くピアノに合わせて歌わされ、「あなたはソプラノ」「あなたはアルト」と、先生に振り分けられてゆく。一つか二つ、学年が上の「幼馴染の女の子」は、
 「私アルトだから、**ちゃんも、アルトになろうね。」
 と、私に言った。

 私は、「幼馴染の女の子」が何を言っているのか、全くわからなかった。私は、微笑む、という顔の動き方をし、
 「うん。」
 と、「幼馴染の女の子」に言った。
 
 私は、名前を呼ばれ、音楽の先生のピアノの側に寄った。
 間近で見たピアノは、胴体がつやつやして、ぼんやりと、私と先生の姿を写した。

 鍵盤は、見ていると、ーー、、ーー、、、ーーー、、ーーー、、、というような感じがした。
 呼吸みたい。きれい。きれいという言葉は、なかった。

 私は初めて歌った。全校集会でも校歌斉唱はあったが、私は、歌唱ではなく、ほぼ音読していたので、メロディというものを、知らなかった。

 先生は、はじめ私を「アルト」と言った。私は、
 「そうなんだ。」
 と思った。私は、「ありがとうございました。」と、挨拶の動作をした。先生は、
 「ん。いや、もう一回歌おうか。」
 と、私に言った。私は、反射で、
 「はい。」
 と言った。

 先生は、
 「歌う声はねえ。無理に低くしなくていいよ。」
 と、私に言った。私は、先生が何を言っているのか、全くわからなかった。低く? しなくて? 無理に? とは? 私はもう一度、歌った。先生は、
 「ソプラノだね。」
 と、私に言った。私は、
 「そうなんだ。」
 と、思った。そして、「ありがとうございました。」と、挨拶の動作をした。

 私は、「幼馴染の女の子」に、
 「なんか、ソプラノだって。」
 と、報告した。「幼馴染の女の子」は、この時、五年生か六年生で、もう昔みたいに、
 「一緒にアルトになろうって約束したのに。うそつき。」
 とは、私に言わなかった。

 「幼馴染の女の子」は、
 「えー。そうなの。そっかあ。まあ、しょうがないね。一緒に練習来られるしね。」
 と、私に言った。私は、反射で「うん。」と言った。練習?

 おまえなんか今すぐ死ね。「あかべこさん」と音楽の先生が呼ぶ、歌う前の準備体操のうち、ひとつ。自分の両手のひらと、両膝を、床につき、首だけ動かすのではなく、腰と背骨を意識しながら、前後と上下の中間くらい、体を揺らす。「力を抜いて。」と、先生が言う。力を抜いて。体が舟になるように。結果として、首や頭が、頷くようについてきて、縦に揺れる。赤べこさん。本当におまえは可愛くない。そんな目で、おばあちゃんをバカにして。あっ、デブが来た。そんなに食べたら、また太る。デブだデブだ。みっともない。そのチーズケーキは**カロリーもあるんだぞ。太る太る。デブ。おまえなんか生まれてこなければよかった。とんだ失敗作だ。おまえは四歳くらいまでは、素直ないい子で、賢く、自分のことはなんでも一人でできて、おじいちゃんの言うことにも、「はい。」「はい。」と、素直に従っていたのに。小学校に入ったら、途端にダメだ。四歳の頃のおまえに戻れ。でなければ死ね。体の力を抜いてから、背骨を通して、どちらかというと背中側を意識して、上から糸で吊られているような想像で、その場に立つ。肩が上がっているよ。落として。力ではなく、脱力で。肩甲骨を意識して。腕はそこから繋がっているからね。肩甲骨は、背中の左右にある、下へ向かって尖る骨。触ってごらん。上手。

 不細工は公害だから外に出ちゃあいけねえんだよ。おまえ、そのツラで、よく生きてられんな。恥ずかしくねえのか。おまえは人の気持ちもわかんねえのか。おばあちゃんがこんなにつらい時におまえは。音は、お腹の下の方、骨のなくなるところから、骨盤まで使う想像をして。空気が入る。わかるね。こうやって、息を吸う。空気を入れる。背中とお腹を触りながら、この音を、長く伸ばしてみて。喉は閉じないで。口の中だけで歌うんじゃなく。喉の深くまで縦に開ける感じで。指三本立てて当ててみて。おまえなんか今すぐ死んでいなくなればいい。早く死ね。

 繰り返し歌う。「練習」する。
 そのうちに、体が歌っていない時も、肩の周りを、音楽が回る。
 体の中は、からっぽになる。水槽か、大きな籠みたいになる。

 いろいろなものが出入りする。ほとんどは、生き物に似ている。形のあるものも、ないものもいる。耳の周り。
 歌う時は、頭蓋骨が開く。実際には、実際? とは? には、閉じている。でも、「開く想像でやってごらん」と先生が言った。
 それは、できる。頭を、開けていていい。
 わたしたちは、はじめから、くっついていない。

 それは、できる。骨と骨、肉と骨とは、繋がっていない。わたしたち、ずっと、ばらばらだ。それなら、できる。もとの、形ではないものに戻せばいい。体を、体、と呼んでいる、ずっと不可解なままの、これを、体、というかたまりを、ほどいていい。やっていいの? 

 形はない。形はない、のではない。形では、ない。形ではないものと、わたしたちは、ずっといる。そしていない。いるといないは、あって、なくて。あるとないとが等しいところ。それは、できる。これならできる。歌える。
 聴こえる、と、歌う、が、耳の骨の中と外とで、振動する。音には、色があって、いいえ。音は色で、色は水で、水は光。いつも、体のもう半分で、われわれが見続けているもの。という言葉は、なかった。
 音がしている。

 合唱は、一年か二年続けた後、「幼馴染の女の子」が小学校を卒業し、私が
 「早く帰ってお家のことをしなくちゃ」
 と思い、やめた。