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自分の中で流星を立体として初めて感じた日

昨日は流星立体化記念日でした。

なんやねん、それ!と思いっきり突っ込み入れた人多数だと思います。

わたしも、もうちょっとよいネーミングないか、考えたけど思いつかなかったよね。え、そこじゃないって?

わたしはお絵描きする上で、いろんな目標をほんのり持ってますが、そのうちの一つに、わたしの「結城流星」というオリジナルキャラクターを究極のイケメン&美形として描く、というのがあります。

まるでそこにいるかのように、描く。

それは、写真として描く、というのとは少し違っていて、存在しているものとして描きたい、という欲が己の中にあるわけです。

そのために、デッサン教室に通い始めて、早1年と3か月。

自分でも「ようやるわ」と思いますが、昨日、ようやくその成果を少し感じることができました。

デッサン教室で先生にご指導いただいてるおかげで、ここのところ前よりかなり画力があがってきてる、という実感はありました。

空気感が描けている時がある。

まだまだ出力が安定しないこともあって、たまに没もありますが、それでも、前よりかなり描けるようになってる気がする。

ただ、なかなか面を捉えることができなくて、そして、面を表現することが出来た気がしなくて、ずっと何ヶ月も苦戦していました。まあ、面を捉えようと格闘できるところまで、たどり着いたということではあるんですけれど。

デッサン教室で石膏像と格闘し、お花の絵でも格闘していました。

お花の絵は特に、はなびらも葉っぱも面の変化がたくさんありますので、もしかすると、あれも良い訓練になっていたのかもしれません。

で、昨日の朝、流星を落書きで描いて、twitterとnoteにアップして、それを眺めてたのですが、ふと、自分の中で何かがつながったのです。


面として、立体として描く、ということは、こういう感覚を感じて描くことなのか、ということの、端っこを何か掴んだ気がしたのです。

理屈ではわかっていても、感覚としてわからなかったそれが、何かパズルのピースがはまるように、ぴたりとはまった。

その瞬間、今描いた落書きのどこが描けてないか見えるようになりました。

あー、ここ、ここが描けてないから、こう直さないといけないわ、って。

ちょっと、自分でもびっくりしました。

成長は直線ではなく、階段状ということはわかっていましたが、その階段を昇る瞬間を自覚したのは、初めてかもしれません。

流星がイメージの中で立体像として立ち上がってきたこの感覚。

そっかー。そういうことかー。

プロの画家さんはみんな、この感覚でもって描いてるのかしら。

この感覚を忘れないように、必死に掴んで、大事にしたいと思います。

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