やりたいことはたくさんあるけれど、なりたいものは特にない、多分
この年になると、やりたいことはたくさんあるけれど、こういう職業になりたい、という憧れのようなものは特にない、多分。
というか、人生半分折り返して、わたし○○になりたいんです!と、自分が言い始めたら、それはそれで、今までの人生で何を学んできたんだろうか、と自分で自分が心配だ。
どの職業をとっても、表に見える部分は華やかでも、それ以外で泥臭い作業があるのが普通だろう。
特にフリーランスを経験すれば、雑務に追われる毎日なのは、身をもって経験できる。
○○になりたい、とだけいうのは、言葉遊びかもしれないけれど、○○になることが目的であって、じゃあ○○になって何をやりたいか、ということに答えることができなければ、もう少し自分の中を掘り下げた方がいいんじゃないかと思う。
ただ、若ければ、掘り下げてもその答えがすぐには出てこないこともある。また、その○○になりたい、と夢見て、そこへ向かうことで、何をやりたいかを結果的に手にすることもできるだろう。
若さという時間を持っていることは貴重なのだ。
が、わたし自身は、夢見る年齢はとうに過ぎた。
ではなぜ、人から夢を追っているかのように見えるかもしれない、絵を描くということをやっているかというと、人生で後悔したくないからだ。
50代という年齢は、将来何をどうしたい、と当たり前のように語れる年齢ではない。
今年、母方のいとこと、父方のいとこが亡くなった。まだまだ若かったのに、と両親が嘆く。
自分と同年代の人の訃報を聞くのは、実に複雑な気分だ。
そして、そういうことに接するたびに、やりたいことは全部やっておこう、と思う。
その筆頭が今は、絵を描くことなのだ。
絵を描くことを極めようと思ったら、多分若い頃から生涯やったって足りないし、わたしが残りの生涯かけても足りないだろう。
でも、だからと言って、今からやってもどうにもならないからと言って、絵を描かなければ、きっと自分は後悔する。
今のわたしにとっては、絵を描くことそれこそが、やりたいことだ。
それなら、わたしの夢はすでに叶っている。
別に売れてようが、売れてまいが、絵を描いている瞬間、世界に触れて、その存在を感じて、生命の躍動を形にできている。
その幸福感というのは、なにものにも代えがたい。
(いや、なにものにも代えがたい、というのは言い過ぎか。腹が減ってたら、目の前のスイーツやご飯には負ける。)
じゃあ、結果を出してとか、賞をとってとか、マネタイズがどうとか言ってるのはなんなんだ、ということだけども、それはこの夢が叶った状態を続けるために、必要だからだ。
残念ながら、わたしには仙人の能力はないので、生き続けるためには、飲み食いしなくてはならないし、寝るところも必要だ。風呂にも入りたい。
貧すれば鈍するとも言う。生活できる、ということは、作品のクオリティを高めるために必要なことでもある、と自分は思う。
あと、結果を出したり、賞をとったり、マネタイズすべくプロモーションすれば、より多くの人に自分の作品を見てもらえるであろうことは容易に想像できるからだ。
思い続ければ夢は叶うということを単純に信じることができないほどには、人生にすれている。
でも、絵を描く自分の未来を信じている。
だから、今行動している。それだけなのだ。
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