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「分からない」を楽しめる世界に足を踏み入れてみたい

「分からない」ことがずっと苦手でした。

分かるのと分からないのだったら分かるほうが良い。
分からないのを放っておくのは不安。
分かるための努力が大切。

でも最近は、そんなわたしなりに「分からないことを楽しみたいなぁ」と思っています。

このnoteは、なかむらさんのnote『現代アートの楽しみ方ー「わからない」からこそできることー』の感想note。

「分からない」を楽しむ現代アート

ぼくが現代アートを好きな理由。

それは、その「わからなさ」です。

わかりやすいもの、伝わりやすいものが溢れている中で、現代アートを体験することは、わからなさを存分に楽しめる機会なのです。

現代アートは正直これまでほとんど触れたことがなく、知識も皆無なのですが…、この文章を読んだだけでも「なんだか楽しそう」と思えてきます。

複雑なタッチで描かれた絵画や、精巧なつくりの彫刻ももちろんすてき。美術館に足を運んでみると、そのエネルギーに圧倒されます。
ただ、やはり前提となる知識のある/なしで見え方が変わってくるんですよね。
何も分からなくとも「すてき」と思える作品はたくさんあるんですが、「美術鑑賞=難しい」というイメージを持っている方は多いはず。

”便器に名前を書いただけの作品”が始まりとなった現代アートは、これまで美術作品・アートについて回っていた「難しそう」なイメージを取っ払ってくれるのではないでしょうか。

世の中に「分かる」ことなんて少ない

なかむらさんもnoteで触れていましたが、現代は分かりやすいものや伝わりやすいもので溢れています。一つのものに深く向き合って咀嚼するよりも、いくつかのものをザっと見ながら情報を得ていくほうが身近です。

でも本当は、世の中で「分かる」ものなんてほんの一部。
分からないか、分かりにくいか、そもそも分かる/分からないの次元にはいないようなものばかりです。

だからこそ、現代アートのような「分からないもの・分かりにくいもの」に対して苦手意識を持つ人も少なくないかもしれません。

「なんか難しい」
「どう楽しんだらいいのかよくわからない」
「なにを伝えたいのか、意味不明」

わたしだって、少なからずその気持ちを持っていました。

でも、分からなくていいんです。
分からないから、いいんです。

「分からない」をもっと楽しもう

分からないものを分かろうとするのではなく、想像してみませんか。

正解を出すことが目的なのではなく、その過程を楽しむことが大切。そもそも正解なんてないしね。

「こういうことかなー?もしかしたらこうかもなー?」と、色々なことを妄想できる楽しさが現代アートにはあります。

その道のりも、案外楽しいかもしれませんよ。

なかむらさんのnoteを読んでいて現代アートに触れてみたくなったので、今後足を運んでみようと思います。

分からないを楽しめる世界が、待っている。そう思うと、なんだか今からワクワクしてきます。

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takaren advent note 75日目

cotree advent note のノートをひとつずつ読んでいってます。

今回のnoteは、こちら。現代アート、楽しそう!


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