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めんどくさい もきっと大事なSOS

「めんどくさいなぁ」と思うときがあります。
特定のタスクに対して感じたり、一日中そんな気持ちだったりとさまざまですが、
わたしはこの「めんどくさい」を身体と心のSOSサインだと思っています。

「めんどくさい」を無視していたら、身体が動かなくなった

大学2年生のとき、物事すべてがめんどくさく感じられました。
講義を受けるのも、アルバイトも、人と会うのも、レポートを書くのも、朝起きるのも。何もかもがめんどくさい。

でも単位は取らないといけないし、アルバイトもしないとで、「めんどくさい」という感情を無視し続けていました。
「季節の変わり目だし、何日かすればなくなるでしょ」くらいの捉え方。

でも実際にはそこから回復することはなく、だんだんと集中力が落ち、大学に行けなくなったんです。

いつも通り大学方面の電車に乗っていたら、いつの間にか大学の最寄駅を過ぎていて。
駅員さんに謝罪をして、折り返しの電車が来るホームへ。ベンチで電車を待っていると、5分としないうちに電車が来て。乗らなきゃと思うのに、身体が動かない。
発車のベル。閉まるドア。座ったままのわたし。

目の前でいくつもの電車が発車するうち、なぜか涙が溢れてきて、仕方なく大学に行くことは諦めました。

それから、近しい人に話を聞いてもらったり、大学も将来もまったく考えずにただただ休んだり、何もできずただ布団の中で呼吸を繰り返す一日を過ごしたりしながら、少しずつ心身の調子を整えていきました。

「今期はもう大学には行かない」と決めてからは、格段に楽になりました。

理系大学の半年分の学費を捨てるようなものだったので、当時はだいぶ自責した(今でもヒヤッとする)のですが……。
大学に通えるような状態ではなかった以上、これしか方法はなかったよな、無理して通って身体壊さなくてよかったな、と思っています。

「めんどくさい」をめんどくさがらない

「めんどくさい」という感情自体、めんどくさいものです。
怠け者。サボり。ずる休み。ネガティブなイメージを持たれがちな言葉です。
「こんな気持ちは一過性だ!!」と見過ごしたくなる気持ちも分かります。
実際、行動するうちにめんどくささが無くなることもありますよね。

しかし、そうでない時もあるようなのです。

何も予定のない日を確保したり、自分に求めるクオリティを下げたり、ズラせる予定はズラしたり。
あの時のことを教訓として、今はなるべく「めんどくさい」気持ちが芽生えたら早め早めに対処するようにしています。

普段はスルーしがちな感情も、あなたの本心を見つめるためのヒントになってくれるかもしれませんよ。

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