「みんな仲良し」の呪いを解こう。あなたは許さなくてもいいし、謝らなくてもいい
19歳くらいのとき、友人と喧嘩をした。
原因はもうよく覚えていないけれど、些細なことだったと思う。
ちょっとした言葉のすれ違いとか、そんなこと。
でも、小さなヒビ割れはやがて大きな亀裂を呼んで、わたしと彼女の仲を隔てた。
喧嘩してもなんとなく笑って解決できちゃうのは、吉か、凶か。
彼女とわたしは、これまで何度も同じような小競り合いを繰り返していた。
いつもきっかけは些細なことだった。
でもきっかけが些細なだけで、その根本には根深い問題があったように思う。
わたしは彼女に不満を持っていたし、彼女もわたしに不満を持っていた。
それなのに、いざ対面で話そうとすると、なんとなくお互いに誤魔化してしまう。ちょっと冗談交じりに、「ああいうのはやめてよ〜」と言うくらいで、まともに話し合うことはない。
なんとなく、仲直り。
一見するとそれは仲の良い二人だけれど、わたしは「あれが良くなかったんだなぁ」と思っている。
子どもの頃にあった「仲直りの儀式」
子どもの頃、「仲直りの儀式」というものがあった。
小さな諍いが起こると先生がわあわあとやって来て、「ケンカはダメでしょ!」と怒る。「ハイ、仲直りして」と。
ごめんね。
いいよ。
ハイ、仲直り。
先生は、「うんうん、今日も解決できた」と満足そうに立ち去る。
そんな一連の流れに、ずっと不満を抱いていた。
*
「ごめんね」「いいよ」
これで解決できる問題もあるだろう。
でも、これでは解決できない問題のほうがずっと多い。
大切にしていたものを(故意かどうかに関わらず)壊してしまった相手に「ごめんね」と言われて、すぐに「いいよ」と思えるだろうか?
同じようなトラブルが以前にあっても、「ごめんね」「いいよ」で事は済むのだろうか?
多分、「いいよ」と言った人も、「ごめんね」と言った人も、スッキリハッピーとはいかないだろう。わたしは、いかなかった。
仲良くできなくたっていいじゃないか
スッキリハッピー仲直りするには、一度問題に向き合わなくてはいけないと思う。
どうしてそれをしたのか。
何が嫌だったのか。
今後はどうすればいいのか。
面倒くさいし、嫌な感情を目の当たりにするかもしれないけれど、そういうものを一つずつ解決していく。話し合う。聴き合う。
仲直りするには、「喧嘩」じゃなくて「話し合い」が必要なんだ。
*
前提として、わたしは「すべての人が仲良くできるわけじゃない」と思っている。
きちんと話し合った結果、「この人とは合わないなぁ」と思うことだってあるだろう。
仲良くできたほうが嬉しいし、一度繋がった人と離れるのは寂しいけれど、お互い無理して一緒にいても幸せな気持ちにはなれない。
だから「仲直り」に拘るんじゃなくて、自分の何が相手を傷つけ、そして自分は相手の何に傷ついたのか、それを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを考えたい。
時間を置いたらお互い価値観がちょっとずつ変わって仲直りできるかもしれないし、今よりちょっと離れてみたら意外といい距離感になるかもしれない。
「みんな仲良し」の呪いを解こう
ごめんね。
いいよ。
ハイ、仲直り。
そのやり取りは、とても平和で、スムーズだ。でも、人間関係がそんなスムーズに行くことはまず無いだろう。
お互い、大切にしていることも、思想も、信じているものも、好みも違う。どうしたって許せないことや、どうしたって諦められないことがあるだろう。
それを犠牲にはしなくていいし、相手にも犠牲にさせなくていい。
あなたは謝らなくたっていいし、許さなくたっていい。だからもう、誤魔化すのはやめよう。
仲良くすることに拘りすぎないほうが、かえってうまくいくかもよ?
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