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「ただ、そばにいる」の価値

ひらやまさんのnote「一番つらかったとき、してもらえたらうれしかったこと」を読んだ。

朝起きて、リビングの椅子に座って、窓の外を見ることしかできないときがありました。

「しんどかっただろうなぁ」と思うと共に、「わたしにもあったなぁ」とも思って。noteを読みながら、「そうそう、そういう行動が嬉しかった」と何度も頷いてしまったので、今日はこのnoteの「たかれん的分かるわポイント」を紹介したい。

①“矛盾を自分の中に抱えるからつらい”

本人が一番なんとかしたいと思っている。でもどうにもできない。その矛盾を自分の中に抱えるからつらい。

どうしようもなく苦しい時だって、やったほうがいいことは自分で分かっている。
食事をきちんと摂って、しっかり眠って、清潔にして、しっかり仕事をして、適度に運動もする生活を送ったほうがいい。
職場が苦しいなら転職するなり休職するなり上司に相談するなりしたほうがいい。
人間関係が苦しいなら人との関わり方を見直すなり自分を癒してあげるなりしたほうがいい。

でも、できない。
頭の中では「これをやったほうがいいよなぁ」と思いながらも、身体が動かない。
ただ座ったまま、寝たままの状態で、時が過ぎていく。一日が終わって、「今日もなにもできなかったなぁ」と落ち込む。その繰り返し。

いっそ、「もう、どうでもいいや」とすべてを諦めてしまえたら、いくらか楽になるのかもしれない。それでもどうしたって自分の人生は諦められくなくて、ふとした拍子に希望を持ってしまう。理想を思い描き、そもそも正常な日常を送れていない自分に絶望する。

矛盾した二つの想いを抱えた時、「こっちを選んだらスッキリできる!」とか「こう行動すれば全部決着!」みたいな、一撃必殺の特効薬はない。
だから、待つしかない。
その時、「一緒に待ってくれる人」がいたら、夜の寂しさは緩和できるのだろうか。

②“自分でもどうしたらいいかわからない気持ちを一緒に受け止めてほしい。”

そのとき持っている自分なりのプライドをずたずたにしながら、誰かにすがりつく。

自分でもどうしたらいいかわからない気持ちを一緒に受け止めてほしい。何かをアドバイスされても判断する力は、そのときの自分にはないから。

こういうのは、苦しい。
これまで当たり前にできていたことができなくて、自分ではもうどうしたらいいのかもどうしたいのかも分からない。「誰かにすがりつく」以外の方法がない。

考えるのにも、体力がいる。だから体力と気力が底をついている時、「じゃあこうしたらいいよ」とアドバイスをもらっても、それが自分にとって良いのかどうなのか分からない。それで決められない自分がもっと情けなくなるし、行動できないのが申し訳なくなってしまう。

ひらやまさんもnoteで書いているけれど、“やさしい言葉や配慮された行動”も、それに見合う形で受け取れない時がある。
やさしさも、強さも、あたたかみも、なにもかも、ちゃんとした形で受け取ることができない。ただただ、“「申し訳ない」という気持ちが湧いてきてしまう”。

ひらやまさんは、そういう時、“ただ存在に寄り添ってもらえたら、うれしかった。”のだと言う。

ただ、自然にいてほしい。
いることだけを、受け止めてほしい。

分かるなぁ、と思った。
何を期待するでもなく、求めるでもなく、諦めるでもなく、ただただ、傍にいてもらえたら良かった。存在を認めてもらえたら、楽になれた。

③“信頼できる人から、信頼できる専門家を教えてもらえることができたら、うれしかった。”

専門家に頼りたいけど、どの専門家が信頼できるかがわからない。だから信頼できる人から、信頼できる専門家を教えてもらえることができたら、うれしかった。

どうにか変えよう、少しでも何かしようと、必死で現状を打破する方法を探す。しかし、ネットでいろいろと調べてみても、“不安を煽るような広告や記事ばかりが目に入る”。
病気の名前とか、いろいろなフレーズは出てくるし、その度に不安な気持ちになるけれど、結局何をすればいいのかは良く分からないままで。「一日15分でも外出しましょう」と言われても、それができるとは思えなかった。それだけのことができない自分に、もっと苦しくなった。

「うつ度チェック」とか「ストレスチェック」とか「〇〇症診断」みたいなものを狂ったようにいくつも受けていた時がある。「××の危険があります」と言われるとますます不安な気持ちになったけれど、「軽度の△△の可能性があります」と言われても、現状が最底辺ではないことに絶望した。

そういう時、きちんと専門家に相談し、信頼できる情報を得て、今の自分に合った方法を知るのはとても大切だ。
でも、専門家にも相性があるし、ただでさえ体力・気力がすり減っている状態で、自分に合った専門家を見つけるのは難しい。
実際、わたしの場合は自分で心療内科を調べて受診したのだけれど、3件行ってどこも「合うな」とは思えなかった。毎回、自分の症状や過去について話すのは大変だったし、病院に行ったのに良くならない自分に虚しくなった。

代わりに探してくれる人がいたら、と思う。
その人が特別な知識を持っていなくても、一緒に探してくれたり、そこが信頼できるところか調べてもらえたりしたら、嬉しかったなぁ。

④“人は弱い存在だから、大きな困難の中では、愛してくれる人を頼ることぐらいしかできない”

自分の気持ちの海に放り出されてしまったような感覚。周りには誰もおらず助けを呼びたくても声が出ない。冷たい雨が降っていて星も見えず現在地も方角もわからない。

そんな感覚。

その感覚を知ってから思うことは、人は弱い存在だから、大きな困難の中では、愛してくれる人を頼ることぐらいしかできないんだと思う。

「弱い自分を受け入れる」「できない自分を愛する」「今の自分を尊重する」
言葉ではいろいろ言えるけれど、それができるのは、一定の余裕があるタイミングだけだと思う。

できない自分はおろか、できる自分さえ愛せない。だって今のわたしにできることなんて、息を吸って吐くことと、誰かに迷惑をかけることくらいなんだから。
そうやって、どんどん自分で価値を落としてしまう。価値が低いから、大切にしなくなってしまう。大切にしないから、もっと傷ついて、ボロボロになって壊れてしまう。

もう限界に近い状況、もはや限界すら超えているような状況で、最後にできること。
それが、“愛してくれる人を頼ること”なんだと思う。

だからせめて、日頃から、自分を愛してくれる人、自分が愛したいと思える人を、多くなくていいから、見つけておいてほしい。
そういう存在は、本当に最後の時の、貴重な支えになってくれるから。

⑤“求められたときにそっと手を差し伸べる準備をしておく。”

相手がどんな困難にいるのかを知り、先入観なしにその人がどんな気持ちなのかを尊重し、生きることと変化することを気遣いながら、求められたときにそっと手を差し伸べる準備をしておく。

note内で紹介されている“フロムが定義する「愛するということ」の4つの要素”は、わたしたちにとって本当に良いヒントになってくれる。

配慮、責任、尊重、知。

「愛する」「愛を持って接する」というとなんだか難しく思えるけど、やることは案外単純なのかも。

いざという時、大切な誰かの力になりたいと思った時のための、「準備」をしておく。
こちらから能動的に働きかけるのではなく、日常に甘えて忘れてしまうのではなく、困難ゆえに求められた時、そっと手を差し伸べられるように。
本当は一生来なければいい、でもいつか来るかもしれない、その瞬間のため。

そして、あなた自身が「その瞬間」を迎えた時には、わたしたちが、そっと手を差し伸べるようにしておきたい。
あなたはその手を掴んでもいいし、スルーしてもいい。あなたにとって、一番楽でいられる方法を選んでほしい。ただ、傍にいるから。

「ただ、そばにいる」の難しさ

つらい状況にいる人に寄り添おうとする時、いくつかのアプローチ方法があると思う。

①その人の状況が好転するようなアドバイス、ポジティブな声かけ
②現状に対する不満への共感、「自分も苦しかったんだ」のような自己開示
③その人が苦しみを吐露できる環境づくり、声掛け

しかし、そのどれもが重荷になる時がある。
アドバイスをもらっても、「それができたら苦労しないよ」「なんで分かってるのに行動できないんだ」と自責・他責してしまうことがある。
共感してもらっても、「一体わたしの何が分かるって言うんだ」「他の人も苦しいのに、なんでわたしは頑張れないんだ」と思ってしまうことがある。
苦しみを吐き出せる環境があっても、だからこそ言えないことがある。「いつでも相談して」と言われると、かえって自分が無力な人間に思えることがある。

④ただ、そばにいる。隣にいて、共に呼吸する。

アドバイスをくれなくてもいい。共感してくれなくてもいい。相談してと声をかけてくれなくてもいい。その気遣いに、今は報えないから。
だから、ただそばにいてほしい。
何をするでもなく、しないでもなく、ただ隣にいてほしい。それだけでいい。それがいい。

でもそれは、わたしたちが想像している以上に難易度の高いことで。
苦しい状況にいる人が隣にいると、思わずアドバイスしたくなってしまう。声をかけたくなってしまう。

ただそばにいるって、難しい。
難しいからこそ、大切にしたい。
大事なのは、わたしがしたいことをすることではなく、目の前にいるその人が、少しでも楽になって明日を迎えられることだと思うから。

あとがき

つらいことがあった時、泣きたい気持ちになった時、もはや自分の気持ちさえも分からなくなった時。
そういうのは、誰の人生においてもあることで、しかも一度や二度じゃないはず。笑顔に見えるあの人も、いつも仕事が早くて頼りになるあの人も、きっとどこかで切ない時を過ごした経験があるはず。もしかしたら今夜も、ちょっと心細い思いをしているのかもしれない。

そういうことに、思いを馳せられる人でいたい。
「もしかしたら悩んでるのかも!力にならなきゃ」なんて肩肘張らずに、今この瞬間に寂しさや虚しさを抱えている人の心を想像する。
その人が、何かにすがりたくてネットを彷徨った時、辿りついたところで「ただいるだけでいいんだ」と感じられることを願いながら。

ひらやまさんのnoteには、いつもたくさんの想いが詰まっている気がする。
今回のnoteも、いろいろと考えながら書いたんじゃないのかな。今困難を抱えている人に向けて。その人の周りにいる、どうにか力になりたいと歯がゆい想いをしている人に向けて。
だからこそひらやまさんのnoteは、「押しつけがましさ」というか、プレッシャーがなくて、すっと入ってくる。行動するヒントが見つかるし、行動しないことも許されている気がする。
そういうの、良いよね。

このnoteは、「私のお気に入り #cotree_advent_note 」企画に寄せて書いたもの。

「cotree advent note」のnoteたちは、↓から。あなたのお気に入りが見つかったら、嬉しい。

おすすめnoteを一つずつ順番に書くことにして始めた、#takaren_advent_note 5日目。

TOP画像は、犬と共にベランダで夜空を眺めていた時のもの。
ちょっと嫌なことがあったり、疲れたりした時、よくベランダでぼーっとする。涼しい風があるからか、それともわたしの心中を察してくれているのか、ほぼ毎回、愛犬が隣に座ってくれる。

ただ、傍にいてくれる。
それだけのことが、言い表せないくらいに嬉しい。

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