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夢を語れない子どもだったわたしは、綺麗ごとを語る大人になりたい

小学6年生のとき、クラスの卒業アルバム用にいくつかの質問に答えた。

「好きだった教科は?」「嫌いな食べ物は?」「思い出に残っている行事は?」

子どもらしい、可愛らしい問いたち。
わたしは概ね正直に回答した。

算数。トマトとピーマン。運動会。

でもひとつ、正直に書けなかったところがある。

「1年生のときの将来の夢は?」

わたしは「ケーキ屋さん」と答えた。

夢を描くことは笑われた

小学1年生のときには、明確な夢を持っていた。
「獣医になりたい!」と思っていて、獣医になる方法を調べたり、動物について勉強したりもした。(幼稚園児時代からチャットゲームをしていた現代っ子)

しかしわたしは、その夢を語ることをしなかった。
夢を語っても、真面目に取り合ってもらえることはなかったから。
夢を描くことは、笑われたから。

ケーキ屋さんと書いたのは、同級生の間で食べ物屋さんを書く人が多かったからだ。アイスクリーム屋さんやクッキー屋さんといった可愛らしいフレーズの中に、わたしのケーキ屋さんは見事に馴染んでいた。

※ケーキ屋さんもアイスクリーム屋さんもクッキー屋さんも、とても素敵で立派だと思っています。ただ、本心でないものを書いてしまった事実が、胸をチクッと刺すのです。

結局獣医を目指すことは(学費の高さに絶句して)諦めたけれど、それでも、わたしは常に夢を持っていた

「教師になって、いろんな子どもたちの居場所を作りたい」
「保護動物たちの里親になって、幸せな思い出をたくさん作りたい」
「絵本を書いて出版したい」

その大多数は獣医と同じように潰えていったけれど、叶え途中のものもいくつかある。
中1のときに描いた「教師」の夢は、形こそ変わったものの「フリースクールを作る」ことで叶えた。

けれど、中学1年生のときも、3年生のときも、高校入学当時も「夢」について書く機会があると、わたしは必ず嘘を書いた。

笑われたくなかったから。
都合のいい笑いのタネにされたくなかったから。

自分が持っている夢をバカにされることは、自分自身をバカにされることよりもつらかったから。
夢は誰にも語らずに、心の奥の奥、決して誰にも見せない場所にぎゅぎゅっと仕舞い込んだ。

高校2年生のとき、初めて夢を人に話した。相手はまっすぐにわたしの目を見てくれた。

わたしが初めて夢を人に話したのは、高校2年生のときだ。

当時、相談サイトを運営するボランティア団体に関わっていて。
ある日、代表の方がこんな話をしていた。

「みんなのおかげで、たくさんの人が相談をしにサイトに来てくれるようになりました。これからは、専門性に特化した姉妹サイトを作って、より細かな悩みも拾えるようになりたいと思っています。将来的にはこのサイトは、そういう“特化したサイトたちをまとめるサイト”として機能していきたい」

当時、関わっていたサイトは「悩み 相談」とか「無料 悩み相談」みたいなキーワードで検索すると1ページ目には表示されるくらいまで育っていて。
けれど、例えば「眠れない 相談」とか「恋愛相談 片思い」みたいに、悩みが細かくなればなるほど、専門性の部分で劣ってしまう。

だから姉妹サイトを作って、「どんな悩みでもココに辿り着いて、安心して相談できるようにしたい」とのことだった。

この話を聞いた翌日には、わたしは超長文メールを彼に送り付けていた。

家や学校に居場所のない10代の子が相談したり交流できたりするサイトを作りたいです。
できることは少ないし知識もないけど、挑戦させてください。

当時のわたしなりに、コンセプトやら、サービスやら、いろいろ書き込んでいたように思う。とにかく本気であることを分かってもらいたくて書いたメールは、たぶん5000文字を超えていた。

「いいね、やりましょう!」

代表の方は、わたしの夢を笑うことなく、きちんと真正面から向き合って応援してくれた。

そしてその後、度重なるフィードバックをいただき、なんとかサイトを完成・公開することができた。

成人した時に運営を10代の人に任せて表舞台からは去ったけれど、今もいろんな方がブログや掲示板を利用してくれている。

代表の方だけでなく、デザイナーさんがサイトのデザインを手掛けてくれもした。
たくさんの方にサポートしていただいたからこそ、プログラミングの知識もデザインの知見も持たないわたしがサイトを運営できたのだ。

改めて、感謝を。
皆さん、あの時は本当にありがとうございました。

皆さんのおかげで、わたしは夢をひとつ、叶えられました。

夢を語れるとは、夢を聞いてもらえるとは、なんと素晴らしいことか

最初のメールを送った時のことは、今でも覚えている。
快く引き受けてもらった時のことも、よく覚えている。

夢を語れるということ。
夢を聞いてもらえるということ。

それは、一生の宝物になるような、素敵なことだと思う。

すべての夢が叶うわけではないだろうし、そもそも叶えようと行動するまでに至らない夢も多いだろう。

それでもわたしは、人の夢を応援したい、と思う。

たとえそれが、現実には到底成し得ないような夢物語であっても、誰かが一笑に付した夢であっても。
わたしは真っすぐ目を見て、あなたの夢を応援したい。

だって、夢を語ることは、とても大きな勇気が必要なことだから。
振り絞ってくれたその勇気に、夢を聴かせる相手に選んでくれたその信頼に、応えたいと思うのだ。

わたし自身が夢を語ることを諦めた人生だったから。
夢を語ることを選ぶ人を応援したいのだ

わたしは「綺麗ごとを語れる大人」になりたい

夢を語ることを諦めかけはしたものの、今は胸を張って夢を語る自分がいる。

インタビューをお受けした時。
フリースクールについて教えてほしいとお声がけいただいた時。

わたしは嘘を吐かない
今の自分が描いている理想の未来を、世の中を。真っすぐに語ると決めている。

時にはその言葉が記事になって、「綺麗ごとを」と言われることもある。
それでもわたしは、その「綺麗ごと」を語り続けると決めている

学校の中で起きるいじめによって苦しむ子をゼロにする。
10代の自殺をゼロにする。
今を生きるすべての子どもが、明日に絶望するのではなく、朝を恐れるのではなく、心穏やかに過ごせる世の中を作る。

現実的に難しいことなんて、とうの昔に理解している。
それでも、決めたんだ。やるって。

誰に笑われても、誰にバカにされても、わたしはもう口を閉じない。

子どものための仕事をするわたしが「綺麗ごと」すらも語れなくない世の中に、子どもたちを送り出すわけにはいかないから。
子どもたちのために、そして過去のわたし自身のために、わたしは「綺麗ごとを語れる大人」で在ると決めた

綺麗ごとも、夢も、話せていいじゃないか。それが「ない」ってことも話せていいじゃないか。

綺麗ごとや夢を話そうとする人が、躊躇わずにいられる社会であってほしい、と思う。

それは、別に「みんな夢持とうよ!!」とか「綺麗ごとを語りなさい!!」と言いたいわけではなくて。

語りたくない人は、語らなくていい。
語りたい人は、語ればいい。

少なくともその選択をする時に、周りから圧力がかかったり、笑われないかと不安になったりしなければ。それだけでいい。
その後どんな行動が選ばれようと、それは当人の自由だ。

綺麗ごとも、夢も、それがないということも。
語りたい時に語れて、語りたくない時はそれで済む。

たったそれだけのシンプルなことが、今のこの社会では、少なくともわたしが見てきた小さな世界では、現実のものとなっていないのだ。

子どもの可能性を消さない社会に、わたしはしたい

夢を持つことは、可能性を持つことだと思う。
夢というと少し大袈裟かもしれないが、要は「やりたい」だ。

「将来、こういうことがやってみたいんだ!」
「これを仕事にしたいんだ!」
「こういう生き方をしたいんだ!」

それを語るかどうかは当人の自由だけれど。
少なくともわたしは、語る言葉を持ってから、想いを持ってから、世の中が少し鮮やかになった。(あくまでわたしは、の話ね)

だから今接している子どもたちにも、なるべく鮮やかな色を見てみてほしいなぁと思うし、その自分だけの色を消さないでいてほしいなぁと思っている。

でも、子どもたちが何か夢ややりたいことの話をした時に、

「そんなのできるわけないでしょ!」
「どうせ子どもの遊び」
「そんなので食べていけるわけがない」

と大人たちが言ってしまっては、その子の鮮やかな色は真っ黒に塗りつぶされてしまう。真っ黒の上に何を重ねても、濁った色になってしまう。
それをまた自分なりの色にしていくのは、時間がかかるのだ。

だからこそ、子どもの可能性を社会にしたいと思う。

子どもたちが描いた夢のうち、叶えられるのはきっと数パーセントだ。でも、きっとゼロじゃない。
叶わない夢だって、すべてがゼロになるわけじゃない。その子の生活や未来をほんのちょっと変えるかもしれない。

「わたしが真っ黒に塗りつぶさなくたって、どうせ社会に出たら真っ黒に塗りつぶされるよ」
「若いうちから苦労しておいてほうがいい」
「仕事のつらさを伝えておくことも必要」

そう思う人もいるだろう。

確かに、社会に出れば「真っ黒」はいくらでもある。何度も潰されそうになるし、嫌な思い出はいっぱいある。
でも、そんな「真っ黒」に出合った時にわたしを支えてくれたのは、子どもの頃に蓄えた鮮やかな色たちだ

大切な人からの言葉。
子どもの頃に描いた理想像。
貝殻みたいにキラキラとした思い出。

だから、わたしたちがやるべきなのは、「要らぬ先取りをして子どもたちのパレットを真っ黒にすること」じゃない。
その先の真っ黒を乗り越えられるように、色とりどりのインクをプレゼントすること」だ。

もしかしたらそのインクはその子の人生の中で使われないかもしれないけれど、10年後20年後、どこかで「そういえば」と思い出してもらえるかもしれない。

だからわたしは、子どもたちに「世の中はしんどいことがいっぱいだよ」とは言わない。

世の中には、やさしい人がいっぱいいるよ。
しんどいこともあるけれど、楽しい思い出もたくさんあるよ。
人生って、大人って、ワクワクするよ。

ここであなたを、待っているよ。

そう言ってくれる大人に会いたかったから、わたしはそういう大人になりたいのだ。そう言える社会で、あってほしい。

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