わたしは、わたしのことを、弱い人間だと思っていた。

わたしは、わたしのことを、弱い人間だと思っていた。

何をやっても長続きしない。
確固たる信念があるわけでもない。
何かを大切にするために何かを捨てることができない。
立ち止まって、ブレて、失敗して、凹んで。泣いてばかりの人生だった。

そんなわたしが相談サイト「ココトモ」で活動を始めて、丸5年が経とうとしている。
相談を受けていない期間や、ブログを書いていない期間もあったけれど、常になんらかのかたちで関わり続けていた。
人生の中で(といってもまだ22年だけど)これほど長い間続いたものは、他にない。

諦めることの多い人生だった。
周りに助けを求めることを諦めた。
自分自身が尊重されることを諦めた。
自分が大切にしたいと思うものがまわりからも大切にされることを諦めた。

諦めていたから、何も続かなかった。

初めてのアルバイトは、3日で辞めた。
その次のアルバイトは、合格通知をもらって契約する日に行かなかった。
小学校も、中学校も、高校も、大学も、行かない期間があった。
中学生まで、将来の夢は毎日変わった。
意気込んで始めた日記は2日と続かなかった。
最初の数ページしか使われていないきれいなノートが十何冊も置いてあった。
自分から世話をするからとせがんで連れ帰った犬の世話は、その命の終わりを自覚する時まで任せきりだった。

逃げてばかりだった。
くだらないプライドのために嘘を吐くこともあった。
都合の悪いことには蓋をして、見ないふりしてきたものが数えきれないほどある。

ずっと、自分のことを弱い人間だと思っていた。
正直今でも、臆病で、見栄っ張りで、弱虫な人間だと感じている。

でも、そんな自分が嫌いじゃない。
臆病じゃなかったら、わたしはもっと不躾に人に近寄って、警戒させてしまっていたかもしれない。
見栄っ張りじゃなかったら、もっと卑屈な言動をして、周囲の人を呆れさせてしまっていたかも。弱虫じゃなかったら、夜中に独りで枕を濡らす心細さを知れなかったかも。

臆病で、見栄っ張りで、弱虫。
そんなわたしだから、今こうして、人をやさしく抱きしめることができるのだ。

強さ、弱さでなく、「あなたらしさ」として

今のわたしは、臆病で、見栄っ張りで、弱虫で、もちろん「強い」人間ではないけれど、「弱い」人間でもない。

そもそも、強さ、弱さなんていう見えないものを指標にしていては、いつまでも自分のダメなところに目が向いてしまって、心も身体も疲れ果ててしまう。

自分のこういうところは強い、こういうところは弱い、ではなくて。
自分にはこういうところと、こういうところと、こういうところがある、でいい。
ひとつずつ、「強い・弱い」「優れている・劣っている」「良い・悪い」に分類していたら、そんな分類が終わる前に命のほうが先に絶えてしまう。

見えないものを、見ようとしない。
見えているもののひとつひとつを、「自分らしさ」として大切にしていく。

その積み重ねの先に、ひょっとしたら「今より、ちょっと自分のことを好きになったわたし」は待っているのかもしれない。


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