見出し画像

マンデラエフェクト

……ずいぶん前に、新人漫画賞を、受賞した。

受賞作品は、ニヒルなキャラクターの冒険活劇を描いたものだ。

主人公であるこのキャラクターは、小学生の頃から俺のノートの片隅にいつもいた。

算数の時間、問題が解けなくて鉛筆が止まるたびに、ノートの片隅に顔を出しては俺を元気づけていたキャラクターだ。
国語の時間、作者の写真に落書きを施した俺に、渾身の出来だと誉め言葉をくれていたキャラクターだ。
理科の時間、実験の図のシャーレのど真ん中に顔を出しては、俺の笑いを誘ったキャラクターだ。
社会の時間、家康のふりをしててんぷらを食っていた、コスプレもお手の物のキャラクターだ。
道徳の時間、きれいごとをぬかす登場人物に、真っ黒な毒を吐いていた遠慮のないキャラクターだ。

時に先生に見つかり、消しゴムの攻撃で身を消すことになり。
時に図工の時間に、芸術作品として堂々姿を現すことになり。

いつだって、俺が落ち込んでいた時は顔を出してくれた。
何も言えない弱気だった俺の代わりに、二次元の世界で代弁してくれた。
鋭いツッコミと横暴な励ましで、俺のやさぐれた心を開放してくれた。

友達のいなかった時代を乗り越えることができたのは、紛れもなく、こいつのおかげだった。

いわば俺の戦友ともいえる、マイキャラクター。

何度も何度も描いてきた、俺の手に馴染んでいるマイキャラクターを主人公に、B4サイズの紙の中で思いっきり暴れまわってもらった。
何度も何度も描いてきたから、どんな表情も、どんな動きも、どんな見せ場も、120%の会心の出来で紙の中に収めることができた。

漫画の中に、マイキャラクターの全てを詰め込んだ。

俺の寂しさを分かち合ってくれたように。
俺の夢を認めてくれたように。
俺の悲しみを笑い飛ばしてくれたように。
俺の怒りを受け止めてくれたように。

漫画の中に、俺とキャラクターの全てを詰め込んだのだ。

何度もケント紙の上に滑らせた、2Bの鉛筆の感触。
右手の小指側を鉛筆の粉で真っ黒にさせながら、画面狭しとキャラクターを動かした。

カブラペンに墨汁をつけて、鉛筆の線をなぞりながら魂を込めた。
面相筆で髪を塗りつぶすたびに、命が吹き込まれて行くのを感じた。

消しゴムをかけすぎて、人差し指の第一関節が伸びたまま戻らなくなってあせったこともある。
スクリーントーンを切るときに力が入って、裏側の世界にまでデザインナイフが突き刺さった時は焦った。

漫画が完成するまでの、熱い日々の記憶が俺の中に残っている。

完成した原稿をコピーしに行ったコンビニの入り口でコケた事を、覚えている。
完成した原稿を編集部に送った時に郵便局の姉ちゃんに微笑まれたことを、覚えている。
編集部から電話がかかってきた時にちょうど宅急便が届いてテンパったことを、覚えている。
漫画が新人賞を獲得するまでの、待ち遠しい日々の記憶が俺の中に残っている。

俺の漫画が週刊誌に載って、涙が出たんだ。
俺の漫画が週刊誌に載ったから、近所のコンビニで買い占めたんだ。
俺の漫画が週刊誌に載ったことを自慢するために、友達もいないのに同窓会に顔を出したんだ。

漫画が新人賞を獲得した後の、忙しい日々の記憶が俺の中に残っている。

だと、いうのに。

今、俺が生きている、この世界上に。
俺が、新人漫画賞を受賞したという事実だけが、存在していない。

マイキャラクターの顔すら思い出せなくなってしまった。
鉛筆を握っても、マイキャラクターの輪郭すら描き出すことができなくなってしまった。

こんなにもマイキャラクターの事を思い出せるのに、その名前すらも思い出せなくなってしまった。
どれほど活躍して、どれほど涙を呼んで、どれほど週刊漫画雑誌で魅力を見せつけたのか、知っているというのに。

確かに俺は、新人漫画賞を受賞した。
なのに、受賞した事実だけが、この世界から消えてしまったのだ。

俺が心血注いで描き上げた、最高傑作だけが忽然と消えてしまったのだ。

漫画のストーリーも、流れも、思い出せない。
だが、漫画を描いていた記憶と、心が熱く燃えた実感だけがしっかりと残っているのだ。

何が、事実なのか、わからなくなってしまった。
何が、現実なのか、わからなくなってしまった。

マンデラエフェクト、なのかと思った。

だが、あれは……。
事実と異なる記憶を、不特定多数の人が、共有している現象ではなかったか。

俺の中では、俺が新人漫画賞を受賞したことは事実なのだ。
現実で、俺が新人漫画賞を受賞していないことこそが、事実とは異なる部分なのだ。

これは、マンデラエフェクトなどでは、ない。

俺の新人漫画賞受賞が、この世界に多大なる影響を与えてしまったから……事実が消されてしまったのではなかろうか。

俺の中に残る記憶こそが、事実なのだ。

この世界には、俺が新人漫画賞を受賞した記憶を持つものが必ずいるはずだ。
だが、それを確かめるすべがない。

この世界には、俺が新人漫画賞を受賞した記憶を持つものが必ずいるはずだ。

俺の作品を読んだやつが、俺の作品をパクって発表してしまうかもしれない。

俺が確かに描き上げた最高傑作を、誰かに奪われてなるものかと、唇を嚙む。
俺が確かに描き上げた最高傑作なのだ、俺以外の誰かに描き切ることなどできるはずがないと、ほくそ笑む。

俺は世界を変えたであろう、自分の作品を取り戻すために、今日も鉛筆を握る。

記憶から抜け落ちてしまったマイキャラクターを追い求め、今日も鉛筆を握る。

絵を描けなくなってしまった手で線を引きながら、いつか必ず自分の描いた物語を取り戻すことを心に誓う。

何時になったら俺は、自分の物語を取り戻せるのだろうか。
何時になったら俺は、自分のキャラクターを取り戻せるのだろうか。
何時になったら俺は、自分の記憶に囚われて動けない状態から、抜け出すことができるんだろうか。

……イライラしていても、何も変わらない。

……一休み、するか。

鉛筆をおき、ふうと一息ついた俺は、自分の手が汚れていることに気がついた。

俺は、左手の小指の下の鉛筆の粉で真っ黒になった部分を……右手の平に、擦り付け。

汚れた手を洗うために、キッチンに向かった。


現実か、妄想か、事実か、願望か、夢か、幻か……ヒントは物語の、中にある。しかしそれが正しい歴史につながるかどうかは定かではない、みたいな(何言ってんだかさっぱりわからない)


↓【小説家になろう】で毎日短編小説作品(新作)を投稿しています↓ https://mypage.syosetu.com/874484/ ↓【note】で毎日自作品の紹介を投稿しています↓ https://note.com/takasaba/