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おねえさん

「……128円、こちら50%引きでございます、210円、58円、19円のもやしがイチニ…五つですね」
「あ、はい」

 只今の時刻、夕方四時半。近所の通い慣れたスーパーで、いつものお姉さんのレジに並んだ私は、ほんの少しだけ…ハラハラしていたりする。
 というのも、私の前に並んでいた奥さんが、支払いに少々手間取っていらっしゃるのだ。

「あらやだ、これはどこにお金を入れたらいいのかしら……」

 声をかけるべきか、いやしかしソーシャルディスタンスが、レジのお姉さん気付いて声かけてあげなよ、ああしまった、私がバラの野菜をいっぱい買っちゃったから袋詰めに忙しくて気が回らないんだな……。

「あ、お札はこちらに入れてくださいね~」
「ああそうなの!ありがと!!」

 たまたま通りかかったカゴ回収のおじさんのナイスフォローで、奥様は無事に支払いができそうだ。いや、良かった、よかった。私はレジの表示版に視線を戻してですね……う、2千円超えそうだ。おかしいな、計算上は2千円でお釣りが来るはずだったのに!

 このところ、スーパーのレジはいわゆる【支払いは別】方式が増えた。レジを通すのは店員さんがやって、代金は客側が機械を操作して支払うという仕組みである。
 代金やお釣りの渡し間違いがこのシステムのおかげで各段に少なくなり、店員さんの負担もかなり減ったと思うのだが…その一方で、余計に時間がかかってしまうという場面に遭遇することがたまにある。
 タッチパネルで支払い形式を選ばないといけないのがわからない、ポイントカードのスキャン方法がわからない、お金を入れる場所がわからない、機械が入れたお金を認識してくれない、お金が足りない、なにがなんだかわからない……。タッチシステムが苦手な人というのは、一定数いらっしゃるのだ。

「はい、お会計2138円になります!こちらの精算機でお支払いを…こちらでこのままお待ちください、お願いいたします!」
「はいはい、ありがとうね」

 レジを通った私の買い物かごが…支払い途中の奥さんのかごの横に置かれた。支払いは順番だから、私はこの奥さんがおわるまで、待たなければいけない。
 夕方の込み合う時間帯だと待ちが3人ぐらい出る事もあるので、これくらいなんてことはないのだが。

「おい!!次の人に迷惑だろうが!!早くこっちに持ってこんか!!」

 やや乱暴な声がしたので、そちらへと目を向けると…奥さんの伴侶と思しき年配男性がサッカー台の前で偉そうに腕組みをしてこちらを忌々し気に睨んでいる。

「ごめんなさいね」

 申し訳なさそうに頭を下げながら、山盛りのかごを抱えてよたよたと移動する奥さん…。

 なんだかなあ、他人に気を遣うくせに、身内に厳しいとかどうなんだ。というか、奥さん一人に任せないで自分が取りに来るとかしないのか。なんで俺は他人に気が使える常識人なんだぞ顔をしてこっちを見るのか。文句を言うくらいなら畳まれたレジ袋を広げるくらいしたらいいのに。どうして袋詰めを手伝いもせずに箸は余分にもらったのかだの弁当はビニールで包めだの口うるさく命令をしているのだ。なんだこいつはもしかして、ちょっと前に大流行りしたポテトサラダジジイ系列の種族なのか。

 そんな事をぼんやりと思いながら、タッチパネルを操作して、支払いをして、レシートを取ろうとしたら……、2枚重なっていることに気が付いた。急いで移動する事に一生懸命だった奥さんが、取り忘れたのだな…。

「お姉さん、これ忘れ物ですよ」

 あーだこーだと文句を言われている奥さんに声をかけ、そっとレシートを手渡す。

「あ、えっと??……ありがとう!!」

 一瞬の躊躇ののち、にっこりと笑って、レシートを受け取った奥さん……。

「お姉さん!!こんな婆さんに!!ハハハ!!こりゃ傑作だ!!」

 少々ドギマギする奥さんの横で、大げさにゲラゲラと笑うクソじじい…。
 まあ、ねちねちとした攻撃がやんだんだから、良しとするか。隣の島のサッカー台にかごを置き、自分の買い物をMYバッグに詰め、詰め、詰め、つめ……。

 ……私には、年上女性を【お姉さん】呼びしてしまうくせがあるのだ。

 祖母の姉にあたる大叔母さんがいたのだが、その人がやけにこう…粋だったというか、フェミニストだったというか、気が若い人だったというか、頑固者だったというか‥‥女性を呼ぶ時の呼称について、非常に厳しく叩き込まれたのである。おばさんは客商売をしていたこともあり、非常にこの手の気遣いについてうるさかったのだなあ。

 ―――年上女性はお姉さんと呼びなさい、おばさんなんて言っては失礼でしょう、お婆さんなんてもってのほか!!
 ―――人類みな兄弟ってね!!先に生まれた人はみんなお兄ちゃんお姉ちゃんなんだからね!!
 ―――独身かもしれないし、むやみやたらに奥さん呼びしたらダメ、知ってる人や仲のいい人ならともかく、一見さんにこそ気を使わないと…とんでもないことになるんだからね!!
 ―――あたしゃアンタのおばあちゃんじゃないんだからせめておばさんと言いなさい、あたしをおばあちゃんと呼んでいいのは孫の百合子と信一、健太に祐、幸子と由紀だけだよ!!
 ―――おばあさん?!あたしゃまだ80になったばかりだよ!!保険なんざ知らないね!!帰ってくれ!!

 90過ぎたらばあさんと呼んでも許してやらんでもないと、豪快に笑っていたことを思い出す。
 ……結局、ばあちゃん呼びをすることなく、おばさんは旅立ってしまったのだなあ。

 厳しく躾けたおばさんはもういなくなってしまったのに、その教えだけは私の中にしっかりと残って…今や子供達までもが、年上女性はすべてお姉さん呼びがデフォとなっているのだ。

「……おい婆さん!!詰め終わったなら早くどけよ!!!」

 昔の事を思い出しながらのんびりとしていたのがいけなかったらしい。
 やけに尖った感情が、後ろ頭にぶつけられた。

 物の入っていない空のかごを弾き飛ばして、自分のかごをサッカー台に置いた…くそジジイ。

 どう見ても私より20…ひょっとしたら30くらい年上の爺さんだ。なんで私はこんなジジイにババア呼ばわりをされているのか。
 もしかしてあれか?小学生が女子高生をババアと罵るような感覚?いやいや、50過ぎたおっさんが婚活パーティーで30代はババアだから範疇外だとほざく感じ?

 ……如何せん不愉快極まりないな、だがしかし一言モノ申せば腹立たしい奴と会話をしなければならない状況に陥ってしまう。これはスルー案件だ、一刻も早くこの場を立ち去ろう。

 空になったカゴを回収場所に持って行こうと持ち上げると。

「お姉さん!!それ、もらっとくよ!!」

 ニコニコして手を差し出したのは……年配のカゴ回収スタッフさん。

「ありがとう!」

 私は、にっこり笑って、カゴを手渡し。

 鼻歌交じりで、駐車場へと向かったのだった。

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