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女性の胸部を巡る俺のたゆみなき努力と邁進の結果をここに記す。


 俺には欲してやまないものがあった。

 ……それは、女性の、胸部の、膨らみ。
 いわゆる、おっぱいという奴だ。

 脂肪細胞を蓄え、類稀なる手触りを与えたもう、あの塊。
 男子には付属しない、究極の憧れの化身。

 気が付いた頃には、とりこになっていた。

 触りたい。
 触りたくてたまらない。
 触りたくてならないのに触れない。

 切望する心が暴走したのは、いつの頃のことだろうか。

 隣のクラスの鹿島の腹の肉が近しいと聞けば揉みに行き。
 溶けかけの雪見大福が近しいと聞けば十個買い。
 水の入っているビニール袋が近しいと聞けばいろんな厚みのビニール袋を買い込み研究に没頭し。
 羽二重餅が近しいと聞けばあちらこちらに土産を買いに行き。
 時速85キロの車から手を出した感覚が近しいと聞けば親父の車に乗り込みドライブついでに実践し。
 たるんでいるおばちゃんの二の腕が近しいと聞けばバイト先のパートのおばちゃんに頭を下げ。
 焼き立てのメロンパン、皮をはいだメロンパンが近しいと聞けば毎日パン屋を巡って体重を五キロ増量させ。
 シュークリームが近しいと聞けばケーキ屋を巡って体重を五キロ増量させ。
 やわらかめのゼリーが近しいと聞けばゼラチンを買い込んで毎日自作して消費し体重を五キロ増量させ。

 風船に水、風船に木工用ボンド、風船に牛乳…風船の中にあらゆる物を詰め、あいつは一体何をやっているんだとあきれられた。
 クッションカバーに手芸綿をみっちり詰め込んで表面に穴が開くほど握り締め、あいつは一体何をやっているんだとあきれられた。
 発泡ウレタンを丸いボウルに入れて取り出そうとして剥がす事ができず、あいつは一体何をやっているんだとあきれられた。

 だが、何事にも夢中になることは良いことだと、親父だけは味方でいてくれた。

 たった一人ではあるが、俺を何も言わずに見守ってくれている人がいる、それだけで安心して自分の研究に没頭することができた。
 自分のやりたいことを思い切りやれている、やらせてもらえている、その事実が俺を実直で一途な人間へと成長させた。

 15キロも増量した風貌では、現実のおっぱいを手にすることは難しいと気が付いたのは、高校を卒業する頃のことだ。

 膨らみ始めた己の胸部に手をやり、これもおっぱいなのだと涙する、日々。
 はちきれんばかりに膨らんだ己の腹部に手をやり、これも脂肪の塊なのだと涙する、日々。

 大学の同級生達が、皆嬉々として俺のおっぱいを触りに来た。

 男子生徒が俺のおっぱいをもんでニヤニヤしている。
 女子生徒が俺のおっぱいを見てニヤニヤしている。
 男子生徒が俺の腹をもんでげらげら笑っている。
 女子生徒が俺の姿を見てげらげら笑っている。

 ……ああ、おっぱいとは、こんなにも。

 もまれて恥ずかしい、ものなのか。
 見られて恥ずかしい、ものなのか。
 大きければ笑われてしまうものなのか。
 目立てば笑われてしまうものなのか。

 俺は己の煩悩を振り払うことを決意した。

 おっぱいに執着したところで。
 おっぱいの持ち主は己を恥じているのではなかろうか。

 おっぱいだけを求めたところで。
 おっぱいの持ち主は己自身を求められない悲しみを抱いているのではなかろうか。

 おっぱいに幻想を抱く俺は、なんと言う…無礼者なのだろう。

 おっぱいに群がる輩のおかげで、己の間違いに気が付いた。

 毎日体を鍛えた。
 毎日走って体重を落とした。

 鍛え上げられた俺は、心も磨かれた。

 揺れる胸部を見ても心を乱すことがなくなった。
 豊かな胸部を見ても心を囚われることがなくなった。

 胸部を求める心を己の一番最奥に封じ込めた。

 おっぱいに憧れた、切ない思い出として、大切に。
 おっぱいを求めた、ひたむきな記憶として、大切に。
 おっぱいは良いものだと、しみじみ納得する感情として、大切に。

 やがて俺は触ってもいいおっぱいを手に入れたが、その頃にはすっかりごく普通の人になっていた。

 むやみやたらに、柔らかいものをさわろうとはしない。
 むやみやたらと、走行中の車から手を出したりしない。
 むやみやたらに、人の胸部に注目して表情を変えたりなどしない。

 …愛する妻は、たわわなおっぱいを携えているが。

 おっぱいがついているから好きになったんじゃない。
 おっぱいが大きいから愛したんじゃない。
 おっぱいのさわり心地が最高だから結婚したんじゃない。

 愛する妻に、おっぱいがある…、ただ、それだけの事なのだ。

 ……穏やかに子供に乳を吸わせる我が妻の乳房を見ても、かつてのような渇望を思い出せない。ただ、子供であった頃の己の一途さを思い出し、そっと口角をあげるのみだ。

 人というのは、じつに移ろうものなのだな……。

 いつか子供が育ち、おっぱいを切望したならば、俺は黙って見守ろう。

 俺はそう心に誓い、息子の頭をそっと撫でたのであった。


この場合の息子というのは、血を分けた愛息の事ですからね…。


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