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1000万の箸(はし)

 ……俺の家には、ものすごいお宝がある。

 代々語り継がれている……歴史ある、一品(ひとしな)。

 年代物の大きな仏壇の前に供えられている、紫色の布に包まれた、上品極まりない、桐の箱に入った、一膳の……、箸(はし)。

 一見何の変哲もない、少々気取った代物(しろもの)だが…、実は信じられないような価値を持っている。……背負っている歴史が、しゃれにならないのだ。

 俺の家は、今でこそ個性的な佇まいになっているが…その昔、田舎でよく見られるような、大きな大きな屋敷だった。200坪を越える土地に縁側つきの大きな平屋が建っており、この辺りではちょっと裕福な家として有名だったらしい。
 敷地内には桜の木が何本も植えられていて、春になればそれはそれは見事な薄ピンク色の景色が広がり、近隣住民のみならず県内、県外からも見物客が来るような、みんなに愛された場所だったそうだ。新聞の地方欄に取り上げられたことやテレビの取材を受けたことも一度や二度ではないと、オヤジが話していたのを聞いたことがある。

 俺には正直……あまりいい印象がない。しょっちゅう頭の上に毛虫が落ちてきたせいで未だに虫全般がダメになってしまったし、酔っぱらった花見客に暴言を吐かれた恐怖が忘れられず、酒全般に嫌悪感が湧いて飲めなかったりするから。まあ、秋に焼き芋を焼いた事くらいは…いい思い出として残ってはいるのだが。

 俺が保育園に入る年……今からおよそ30年ほど前の事だ。

 俺にはひいじいさんがいたのだが、その人が少々、…いや、かなり、やらかした。
 俺はまだ小さかったので、この辺りの争いらしい争いの詳細はわからない。だが、時折物静かなオヤジが声を荒げていたことは、なんとなく覚えている。

 ―――もう間もなくお迎えが来るから、悔いの残らないようやりたいことをやらせてくれってね。
 ―――自分が生きた証を、なんとしてでもこの世に残したいと言い張るんだよ。
 ―――今までずっと我慢してきた、最後ぐらいは夢を叶えさせてくれ!って、もう手に負えなくてさあ……。

 何があったのかオヤジから詳しい話を聞いた際…そのぶっ飛んだ内容に、度肝を抜かれた。

 ひいじいさんには、大工になるという夢があったらしい。
 親の命令に逆らえず地元の役所に就職する事になり、ずっと真面目に勤め続けてきたものの…、どうしても諦めきれなかったようで、定年後に近所の大工の親方のところに足しげく通い基礎を身につけ、その年に周りの反対を押し切って実行に移したのだそうだ。この時御年75歳というのだから、その行動力たるや…恐れ入る。

 それなりに資産もあり、コツコツと退職後に働いて貯めた金もあったので、家族は何も言い返せなかったようだ。もしかしたら言ったのかもしれないが、おそらく聞く耳を持ってもらえなかったに違いない。ともかく、夢をかなえようと必死だったひいじいさんの暴走は、誰にも止める事ができなかった。

 時はバブル時代。

 庭にある樹齢100年の桜の木々を使って家を建てようと目論んだひいじいさんは、退職金と大工のバイト代を使って道具や機材を買い込み、嬉々として作業に没頭しはじめた。
 それはそれは景気よく木々を切り倒し、広い敷地の端っこに師匠に頼んで小さな家を三軒…ひいじいさんとひいばあさんの長屋、爺さんと婆さんの一戸建て、オヤジと母ちゃんと、俺と弟、妹の住む家を建ててもらい、古くてデカい家を潰して空いた土地にコンクリートを流し込んだのだそうだ。

 このとんでもない流れの中、ただやきもきする事しかできなかったひいばあさん、爺さん、婆さん、オヤジだったが、母ちゃんだけは機嫌が良かったらしい。ひいじいさんのところに顔を出しては、色々と世話を焼いたりしていたのだとか……。
 わりと婆さんは几帳面で口うるさかったので、おおざっぱな母ちゃんとは相性が良くなかった。同居が解消されるきっかけを作ってくれたひいじいさんには本当に感謝しているのだと、葬式の時に目に涙を浮かべて話していたのを思い出す。

 俺はというと、たまにパワーショベルにのせてもらって喜んだことを覚えている。わりと表情が乏しかったひいじいさんだったが、俺を膝の上にのせて重機を動かす時はニヤニヤとだらしない顔をしていたから、なんとなく記憶として残っているのだろう。
 だだっ広い場所で、土や砂をほじっては喜んで、保育園の友達を呼んで泥だらけになったことも何度だってある。俺がはしゃいでいる裏で、親父や爺さんたちがどれほど苦虫をかみつぶしていたのだろうかと、今にしては思う訳だが……。

 広い場所ができて、材木屋と屈託してちまちまと家を建て始め、さらにご機嫌がうなぎのぼりになったひいじいさんであったが、思いがけない悲劇に見舞われた。
 突如バブルがはじけ…しかもタイミング悪く、ひいじいさん自身も病に倒れてしまったのである。

 ひいじいさんが闘病しているまっ最中に、あれよあれよという間に材木屋は倒産し……大量の木とまだまだ新しい機材、一階の床すら完成していない家の土台と広い土地が残され、家族は途方に暮れた。が、ぼんやりしたのは一瞬だった。爺さんは物流会社の経営が傾いてそれどころではなくなり、オヤジはプレゼン中のリゾート計画がぽしゃって信じられないような赤字を出してしまい全国各地を駆け巡ることになり、母ちゃんは実家の旅館を畳むことになってその手伝いに追われ…危うく一家離散となるところだったのだ。

 小学校高学年になっていた俺にはオヤジ達の苦労はほとんど知らされてはおらず、ただただ忙しそうな両親達の邪魔をしないよう、婆さんと一緒に必死になって…飯を作ったり、掃除をしたり、ぼんやりし始めたひいばあさんの世話に行き、弟と妹の面倒を見て、留守の家を三軒、守り続けた。
 あの頃苦労したことは今なお俺の家事スキルとして残っているのだから…まあ、ある意味ありがたいことではあったのだと、今は思っているのだが。

 ひいじいさんは、病から回復したものの左半身にまひが残ってしまって…作業を続けることができなくなった。かといって、誰かに意志を継いでもらう事も望めず、仕方なしに…箸を作り始めたのだ。山のように積まれた桜の木を、少しでも処分しようと考えたのだろう。また、ひいばあさんが施設に入ってしまったので、その寂しさを紛らわせるために打ち込める何かを求めた部分もあったのだと思う。

 ―――おうい!箸ができたぞう!
 ―――これで一生、箸には困らんなあ!!
 ―――この箸は……一番の出来だ!!
 ―――師匠に桐箱こしらえてもらったぞ!
 ―――よし、コレは家宝にしよう!

 丸太のままの桜の木に囲まれながら、材木にしてあったものを一つ一つ取り出しては…コツコツと割りばしを作っていた、ひいじいさん。

 たまに木の切れ端で小さなログハウスのようなものを作りながら、ニコニコと作業に没頭していた。それを見ながら、妹は…建築に興味を持ったんだよなあ。
 いつも出来上がった箸を空いた部屋に几帳面に収納しては、婆さんに使いきれないものを貯め込むなと怒られてたんだよ。一緒になってひん曲がった箸を作っていた弟が、絶対に全部使うから捨てちゃダメと泣いてたんだよなあ。ちまちまとカップ麺を食う時に使ってたけど、結局使いきれずに大量の自作の箸をほったらかして…大工になったんだ。

 結局……ひいじいさんは、自分で家を建てるという夢をかなえることなく、大往生したのち、この世を去った。

 だが、妹や弟が、家を作るんだとか、あのトラックは僕が運転するんだとか…しょっちゅう話をしていたから、おそらくではあるが、穏やかに旅立っていったのだとは、思う。自ら叶える事はできなかったが、その夢はひ孫達に受け継がれ、今や建築家として、大工として…立派に独り立ちをしているから、今頃空の上でニヤニヤとしているのだろう。

 穏やかに天に召されたであろうひいじいさんだったが、残された家族は膨大な木材や使わずに放置されていた器機を処分するのにずいぶん苦労することになり…、大変だった。俺も時間を見つけては掃除などを手伝ったが、とにかく焼け石に水で……結局業者を探して頼むしかなく、金がかかってしまった。
 当時は今のように廃材や不用重機をリサイクルするような習慣がなく、処分費を支払わなければならなかったことも大きな要因だろう。バブルがはじけたせいで、周りには商売に見切りをつけるものが相次ぎ、タダでももらってくれなかったのだ。

 あと五年処分を待ってくれたら開業時にめちゃめちゃ助かったのにと、弟が後々ぶうぶう文句を言っていたが…、使わない高い機材や特殊車両を維持するのは難しいことだから、どうしようもなかった。知識のあるものが一人でもいたらこういう結果にはならなかったかもしれないが、色々とタイミングが悪かった事は間違いない。

 オヤジや母ちゃんや爺さんの仕事なんかの負債がかさんで、更地にした場所はすべて手放すことになったし……まあ、あの激動の時代に比較的新しい家を三軒も建てて、残せただけで御の字なのだろう。
 切り倒された桜の木は家になることはなく、最終的にどこぞの窯業の社長が二束三文ですべての丸太を引き取っていき、ほとんどが薪になって燃えてしまったそうだ。

 重機や機材の引き取り代、放置されていた家の土台の撤去……経済がガタガタになってしまった時代に、おおきな負担となってしまった、ひいじいさんの大暴走の結末。

 結局一体いくら使ったんだと、まだ現役だった爺さんが計算をしたのは…確か妹の結婚式の前日だったかな? 義弟がハウスメーカー勤めで、景気づけてやろうとかなんとか言っていたような記憶もあるが…イマイチどこでこのエピソードを語ったのかまでは、覚えていない。飲みなれない酒を飲んだせいで記憶が飛んでしまったのかもしれないが。…料理がやけに大味で、厨房に乗り込んでいったことまでは、覚えているんだが……。

 新品で買った特殊車両代、重機代、さまざまな機械の代金に、小道具代、材木置き場の建築代に不用品の処分費、土地を更地にする費用、いろんなものを売り払って得た金額…すべてを算出したその総額は、およそ1000万円の支出であることが判明した。

 ―――これは相当な覚悟がないと捨てられんなあ!!
 ―――六畳の部屋三つ分の割りばしの価値、1000万円か……
 ―――一本いくら?ええと…ここに何本あるんだ?!
 ―――火事になったらよく燃えるだろうなあ……
 ―――縁起の悪いこと言うなよ!使えばいいだろ?!
 ―――こんなの一生使いきれないよー!!!

 あれほど部屋の中にみっちりと埋めつくされていた、4LDKの間取りを乗っ取っていた割りばしであったが。

 ひいじいさんの家を改造して、定食屋を始めて…およそ15年。

 俺が店で全部使っちまったから、もう一膳も……残っちゃいない。

 微妙なささくれが絶妙に滑り止めになるからうどんがつかみやすい、きっちり左右対称に割れる箸で縁起がイイってね、わりとお客さんに人気があったんだよなあ……。手作りの箸袋を、来る日も来る日も母ちゃんと一緒に作って、嫁と一緒に作って、子ども達と作って……懐かしい思い出だ。

 まさか、使い切る日がやってくるとは思ってもみなかった。はっと気が付いた時には、嫁が買ってきた業者用の割りばしと混じってしまって、いつの間にかひいじいさんの遺産は一つ残らずなくなっていたのだ。

 ―――アレだけあったのになあ!
 ―――買うようになってわかったけど、意外と割りばし高くて!
 ―――お義父さんも本望でしょ、全部使ってもらえたし!
 ―――会心の出来の箸、残しといて良かったなあ!
 ―――最後の一つかあ、まさに1000万の箸だ!

 かくして……、ひいじいさんの財産は、今やこの仏壇に供えられた……、桐の箱の中に納まっている、一膳の……、箸のみと、なったのだ。

 1000万円分の歴史がすべて背負わされている、唯一の……箸。
 恐れ多くて、誰も触ろうとしない、歴史ある一品。


 ・ ・ ・ な ん だ け ど ! 


 ……実は。

 箸が入っているはずの、桐箱の中身はだな!!


 ……あれだ、オヤジがじいさんの魂がこもった特別な品だから触るなってうるさいもんだからさ!!
 ……爺さんが由緒ある加藤家の伝統の品だから、長男であるお前が管理しろだのうるさいこというもんだからさ!!
 ……ひいじいさんがこの箸で食えば何でも美味くなるんだと目をキラキラさせながら語ってたもんだからさ!!

 ……俺にも一応、反抗期的なもんがあったっていうか、好奇心が抑えきれなかったっていうか!!

 こっそり箸を持ち出しては、カップ麺食ってやったりさ!!
 うっかり箸を折っちまって、割りばしと入れ替えたりさ!!
 やっぱりそれじゃあ流石にマズかろうと、自分でこしらえてみたりさ!!

 いざとなったら、大量にある割りばしいれときゃ大丈夫だろってタカを括り過ぎたんだなあ。

 いざという時には、肝心の割りばしが無くなっちまっててさ!!

 ……うん、その……、なんだ。

 今入ってるのは、不器用な俺が夜な夜なチマチマと削って作った、正真正銘のニセモノだったりする……。

 一族の中で、俺しか知らない、事実。

 今でこそ御大層に仏壇に飾ってはいるが、一昔前までは押し入れの天棚にしまい込んでいて誰も見向きもしていなかった時期があったんだよな……。親父も爺さんも婆さんも、箸を見ると忌々しい気持ちになる時代ってのが確かに存在していたんだ、仕方がないというか!!

 たしか俺が嫁と結婚した時にリフォームを弟と妹に頼んで、天棚の奥に隠しといたのが発見されて…やけに一族ではしゃいじまって、とてもじゃないが言い出せなくなって!!!いつの間にか仏壇前が定位置になっちまって、今さらしまいこめなくなっちまって!!!

 ……だいたいそもそも、もともと入っていた箸だって、大量にある割りばしとそんなに変わんなかったんだ。ちょっとささくれが少ないだけの平凡な箸で、炒り卵作る時に使ったらあっという間に折れちまったしさあ……。すぐ壊れるようなもんをわざわざ桐の箱に入れて奉るとか、どう考えてもやり過ぎだって!!そもそもが間違ってたんだからしょうがない!!…みたいな理屈を自分の心の中でこねまくってだな!!!

 なんというか、俺は…ひいじいさんのやらかしがちの血を、バッチリ引き継いじまったらしいんだよな……。もうさ、今さらどうしようもないっていうか、こんなの墓場まで持って行くしかないだろ?!

 いつバレるのか、いつバラすのか。
 バラさないのか、バラすべきなのか。

 もしかしたら俺は……、1000万を台無しにしたという、ものすごい肩書を持って我が加藤家の歴史に名を刻むことになるのかもしれないわけで!

 一族に割りばしの組成成分を調べるような学者肌が現れたら……。
 一族に家宝を開けて売りに出そうと考えるような不届き者が現れたら……。
 一族に加藤家の歴史を明らかにしようとする探求心豊かなやつが現れたら……。

 うちの長男はぼんやりしてるけど、嫁に似てクリエイター気質だからな、いつかひいじいさんの作品を拝もうとするんじゃないかとヒヤヒヤしている。
 うちの次男はひょうきん者のお調子者だから、そのうちやらかすんじゃないかと気が気じゃない。
 うちの長女は真面目な優等生で不正を許さないタイプだから、絶対にややこしいことになるだろう。
 うちの次女は几帳面で掃除好きだから、ホコリをかぶりがちな仏壇に毎日はたきをかけているから気が抜けない。
 うちの三男はまあ、まだよちよちしてるから大丈夫だとは思うが……いやいや、なにがあるかはわからない。
 もしかしたらまだ腹の中にいる奴らが育ったときに、共謀して家宝を暴く日が来るかもしれない。

 ……今日も俺は、ドキドキしながら、ひいじいさんから受け継いだこの場所で。

「へい!!二番さん絶品ハンバーグ、あがったよ!!」
「ごめん!!今日のおすすめプレート、完売ねー!!」
「ちょっと!!誰か玉ねぎの追加持ってきてー!!」

 情けない肩書を背負っても弾き飛ばせるくらいの……凄腕シェフの伝説を残すべく。

「たいしょ―!!いつもうまい飯、ごちそーさん!!」
「ここのソースはホント天下一品なのよ!!」
「ずっと孫の代まで続けてくれよ!!」

 俺にしか作れない……俺が伝授する事で代々引き継がれていくであろう味を守るべく、豪快にフライパンを振っている。

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