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恥ずかしがり

 好きです。

 すき、です。

 すき…です。

 す、すきです。

 好きですぅ!

 好き、で…す。

 好きですっ!

 す き で す 。

 ……、『すきです』の、四文字が。

 たった、一言が。

 

 どうしても、うまく言えない。

 

 何度、口にしてみても。

 何度、頭に浮かべても。

 何度、場面を想像しても。

 気持ちが、籠らない。

 心が、乗せ切れない。

 愛が、伝えきれない。

 本番は………、もう、間もなくだというのに!

 ……迷いを抱えている、僕。

 こんなでは、絶対に、失敗する。

 ……必ず、心を、つかみたい。

 ……必ず、涙を、さそいたい。

 ……必ず、愛を、感じてもらいたい。

 ああ……、時間、時間が、足りない。

 もう、彼女は…待ち構えているはずだ。
 今頃、彼女は…文句を呟いているはずだ。

 ……逃げ出すわけには、いかない。

 どれほど、僕が迷っていようとも。
 どれほど、僕が焦っていようとも。
 どれほど、僕が緊張していようとも。

 腹をくくって、彼女の元へ、急ぐ。

   ……、ああ、彼女が、待っている。

 明かりに照らされた、美しい、彼女。

 まっすぐ、僕を、見つめている。
 大きな目で、僕を、睨み付けている。

 口元が、少し…震えている。

 僕の足も、少し…震えている。
 僕の指先も、少し…震えている。
 僕の唇も、少し…震えている。

「す、すすすすすき、すすきですっ!!」

「……ッ、私も、好きっ!」

 カミカミの、情けない僕のセリフを、受け止めてくれた……彼女。

 僕は、ギュッと、抱き締められた。

 ああ……、良かった。

 ホッとしたら、視界が…暗転、した。


 ……彼女がいる。

 ……彼女が、イケメンと、並んでいる。

 ……僕の、お墓の、前で。


「……私、幸せだった。」

「あなたに、告白されて。」

「不器用で、情けない…あなたの、告白。」

「だけど、それは、悲しみの始まりにしか過ぎなかった。」

「ありがとう、私を好きになってくれて。」

「ありがとう、私はあなたを忘れない。」

「でもね……、私、さみしいの……。」

「ね、私、あなたじゃない人と、結婚して、良い?」

「僕が必ず…、幸せに、しますから。」

 あぁ……、僕の、彼女が。

 

 ……彼女が。

 すかした、イケメンに。

 

 僕は、何も言えない状況の中、光の届かぬ暗い場所で…一人、涙を、浮かべた。

 

 

 

「…ちょっと!アンタどういうつもりよ?!なにあのカミカミは!あり得ない、一番の見せ場でなにやらかしてんのよ!おかげであたしのセリフにまで被害飛んできたじゃないのよ!スポンサーも来てたのに!アドリブなんて…冗談じゃないわよ!」

 ……ヤバい!

 めちゃめちゃ、怒ってるぅううううううー!

 僕、めちゃめちゃ、怒られてるぅううううううー!

「す、すみません、そのう、宮原さんがめちゃめちゃ仕上がってて、えっとー、恥ずかしくなっちゃって……。」

「おいおい…、役者がナニ言ってくれちゃってる訳?キイちゃんがかわいそうだよー!もうさあ、後半の演技にまでアドリブ挟む羽目になったの、英輔君のせいだよ?面白かったけど!」
「わりとヘタレ設定も良かったかなって、僕も思ったけどね…。」
「監督?!ダメですよ、原作者さんが怒っちゃいます!!」
「ははは、宮原は舞台にあがると神が降りてくるからなあ!まあ、今後は呑まれないよう稽古を積むこった!」

 劇団の初日公演を終えた僕は、只今楽屋裏で彼女役の…、主演の宮原さんに叱られていたりする。

 呆れ顔でこちらを見ているのは旦那さん役の於田さん、腕組みをしているのは監督さん、丸めた台本を持っておたおたしているのは演出家の牧野さん、僕の丸まった背中を叩いたのは先生役の大御所ハムタマゴ師匠だ……。

「す、すみません、すみません!」
「謝る前にね!本読みの一つでもしなさいよ!ちょっとそこに立ちなさい!…ハイ、読んで!」

 どうやら、主演女優賞経験もある令和の大女優さん直々に…稽古をつけてくれるらしい。

 舞台上で、儚さと悲しみをアピールしていた健気な女性が……鬼そのものの形相で、台本片手に腰に手をやり、こちらを睨み付けている…!!!

 に、逃げられない!!

 腹をくくって、セ、セリフをっ!!!

「好きです。」
「もっと心を込めたらどうなの!?」

「すき、です。」
「溜めすぎよ!企んでるみたいじゃない!」

「すき…です。」
「なんか不満有りそうに聞こえる!」

「す、すきです。」
「小学生の告白かっ!!」

「好きですぅ!」
「必死すぎ!」

「好き、で…す。」
「奇を衒いすぎ!」

「好きですっ!」
「青春ドラマじゃないんだけど!」

「す き で す 。」
「真面目な舞台にお笑い要素ぶちこまないで!」

「まあまあ!!舞台はまだあと一ヶ月も続くんだ。きっとそのうち、納得のできる告白ができるようになるよ。明日もガンバ!!」

 おちゃめな脚本の諸沢さんの一言で、僕はようやく解放された。


 さんざん叱られ。

 とことん指導をされ。

 えんえんダメ出しをされ。

 ……こんなんで、最終日までちゃんと務まるんだろうかと、冷や冷やしたものの。

 時に笑われ。

 時に認められ。

 時に見つめられ。

 ……役を背負い。

 ……役になりきり。

 ……役が身に付き。

 ……役の魂が宿り。

 

 毎日、心をこめて、告白した。

 毎日、愛をこめて、告白した。

 毎日、目をみつめて、告白した。

 毎日、告白を受け入れてもらった。

 毎日、抱きしめてもらった。

 毎日、暗転に助けられた。


 ……、助け、られた?

 ……あれ。

 ……おかしいぞ。


 ……なんだ、この。


「……、好き、です。」

「……私も、好き。」


 ……いつからだ?

 真っ直ぐ目を見つめて口にする台詞に、違和感を覚えるようになったのは。


「……好きです。」

「私も、好き……。」


 ……いつからだ?

 気持ちを込めて口にする台詞に、違和感を覚えるようになったのは。


 この、……台詞は。

 役者として言っているのか。

 ……それとも。

 

 ……日に日に募る、謎の…もやもや。

 そして……、舞台の、最終日を、迎えた。

 ―――今日で最後だね。

 ―――悔いの残らないよう、いい舞台にしようね!
 ―――緊張してるの?初日みたいな顔してるよ?
 ―――大丈夫!いつもの演技なら!……私、信じてる!

 アドリブを許さない、完ぺきな演技を求める……女優。
 毎日熱意を隠さず、全力で演技指導をし続けた……大先輩。

 いつも最後ににっこり笑って、ポンと肩を叩いて楽屋をあとにした……すっぴん女性。

 愛する女性に、気持ちを伝える……大切な、場面。
 愛する女性に、気持ちを伝える……大切な、演技。

 ああ、最終日にして……ようやく、わかった。

 愛する女性に、気持ちを伝える……大切な、場面。
 愛する女性に、気持ちを伝える……大切な、瞬間。

 ……僕は、ずっと。

 ……演技などでは、なく。


「好きです。」

「私も……、好き。」

 いつもだったら、彼女に抱きしめられた二秒後に照明が落ち、その瞬間にパッと離れるのだけれど。

 暗転し、舞台の背景が移動し終わるまでその場で待機し、安全を確認した後で各々はけることになっているのだけれど。


 ……溢れだした、気持ちが、暴走した。


 僕は、ギュッと抱きしめてくる、彼女の肩を。

 ぎゅっと……、抱きしめ返して、しまった。


 ……主演女優は、微動だにせず。

 ……主演女優は、振り解かず。

 ……主演女優は、逃げ出さず。


 照明が落ちても、背景が移動し始めても、しばらく、僕の腕の中に包まれて、いた。


「それではみなさーん!無事千秋楽を迎えられた事に感謝しまーす!カーンパーーーイ!」

「「「「「カーンパーーーイ!」」」」」

 一ヶ月続いた公演が終わった日の夜。

 劇場から程近い所にある大型の居酒屋の宴会場に、安物のスピーカーだったら確実に音割れするような、パワフルすぎる狂騒がこだましていた。

 二階建ての店舗をまるまる貸しきりにして行われている打ち上げには、監督さん、演出さん、ディレクターさん、脚本家さん、原作者さん、役者、師匠にスタイリストさん、大道具さん、その他スタッフさん…関係者全員がずらりと勢揃いしている。

 無事に公演を終えるまでには少々のトラブルもあったものの、終わってみれば非常に調和の取れた、思いやりと感謝にあふれる相性のいいメンバーばかりだったという事に気が付いた。その証拠に、年齢や肩書を一切スルーしてみんな実に気軽に楽しそうに…会話を楽しみ、食事をかき込み、酒を酌み交わし、派手に盛り上がっている。

 そんな中……僕は、舞台を大成功で終える事ができた高揚感に包まれながら、騒がしい居酒屋の端っこに佇み、1人ハイボールを飲んでいたりして……。

 決してボッチと言う訳では、ない。

 むしろ、皆さんにかわいがっていただいて、いじられていたとは思う。

 普段の僕であれば、あの裸踊りの真ん中でスキップを踏んではしゃぐくらいの事はしていたはずだ。

 けれど……今日は、どうしても。

 とても、そんな、気持ちに……なれないというか……。
 盛り上がっている皆さんには悪いが、とても…はじけるだけの、テンションが出てこない。

 雰囲気を壊さないよう、おとなしく酒を飲んでいることぐらいしか、できない。

 僕は、今後、この、大成功した舞台にあがることは、……ないのだと。
 その事実が……僕を、落ち込ませる。

 ……一ヶ月間、毎日、告白し続けた舞台を……思い返す。


 ―――好きです。

 ―――私も……、好き。


 ……僕は、もう。

 彼女に、告白することが、できなくなる。


 ……毎日告白していたからか、胸がいたい。
 ……毎日告白していたから、さみしい。
 ……毎日告白していたかった。

 何度も告白をして、何度も抱きしめてくれた、……彼女。

 このまま、縁が切れてしまって……いいのか?

 相手は大人気の女優だ。
 大手事務所の看板タレントだ。
 好感度ナンバーワンの女性だ。

 このまま、何も言わずに去る……べきなのか?

 しがないタレントの僕。
 レギュラーのひとつもない僕。
 脇役しか勤めたことがない僕。

 ……言えない。

『すきです』の、四文字が。

 たった、一言が。

 伝えたい。
 ……舞台ではない場所で。

 伝えたい。
 ……演技しなくても、いい場所で。

 ここは、舞台ではない。

 ここでは、演技などしなくてもいいのに。

 ……伝えられない。

 ……伝えたい。

 ……伝えるべきではない。

 ……伝えてしまいたい。

 ……伝えてはダメだ。

 ……伝えてもいいじゃないか。

 ……伝えるんじゃ、ない。

 ……伝えないで、終われない。

「……お疲れ。」

 一人、迷う僕の目の前に……さんざん告白をしてきた彼女…いや、宮原さんがグラスを片手にやってきた。

「あ……、お疲れ様、です。」

 

 もしかしたら、今日の最後の舞台……、抱きしめてしまったことを咎められるかもしれない。

 ヤバイと思う気持ちを、薄くなってしまったハイボールで、飲み下す。

「演技指導も長かったから…寂しくなるなあ!」
「……はは、ありがとうございました、えっと…うん、ありがとうございました。」

 しまった、ずいぶん酒が回っているらしい。
 いつも以上に、へっぽこな返事しかできないことにショックを覚える。
 ……今日が最後の会話になるかもしれないのに!

 焦る気持ちを胸に、当たり障りのない話をしながら…共にグラスを、傾ける。

 テンション高く騒ぎまくる周りと……少しだけ漂う空気が違う気がするのは、僕と女優がお酒に強いからなのか……それとも。

 演劇論に、舞台演出の不満、共演した役者のすごさに、これから自分が演じる事への不安、希望、のぞみ、夢……。

 お酒が入っているからか、お互いずいぶん饒舌に語り合う事になった。

 真面目で熱意のある役者だと思っていたけれど……ずいぶん、イメージが……。

 こんなにも、無防備?酔っている…にしては、しっかりとしたもの言いで……。
 もしかして……、公演中は宮原さんも、大女優という演技をしていたのかも、なんて……。


「ね、最後に…私に、告白、してみてよ!」

「…へ?」

 身長差のある僕を、いつも下の方から真っ直ぐ見上げては…最後にバンと背中をたたいていた、華奢な女優…大先輩の挑戦的な、笑顔が。……目、目の前に!!!

 ……椅子に座っているから、ずいぶん……距離が、近い!!!

「……できないの?役者なんでしょ?」

 不満がある時には、いつも少しだけとがる、桜色の……唇。
 何か伝えたいことがある時には、いつも0.2度ほど傾く、茶髪のロングヘアー。
 必ず、うまくいくと信じている時に少し輝きを増す、大きな……瞳。

 ……ほぼ同じ高さにある目を、しっかりと見つめて。

 言葉に、心の奥の気持ちを……託して。

「……好きです。あなたが、好きなんです。」

 演技ではなく…本音を、そのまま、ぶつけた。

 僕の……渾身の、セリフに、果たして、名女優は……なんと、返す?

 ……いつまでたっても、返事が?

 ……なんか、めちゃめちゃ、タメが長い?

 ……珍しく、目を逸らしたけど?

 ヤバイ、もしかして、僕は……やらかしてしまったのか?!

 宮原さんは演技をしろと言っていた、なのに僕は!!
 思わずチャンスだと思って……ほ、本音を!!!

 演技じゃないじゃない!って怒られるかもと、冷や冷やし始めたとき。

「わ、私だって、す、好きなんだからね?!」

 ……ぎこちないセリフが、返ってきた。

 これが……名女優の、演技?

 それにしては、やけに……落ち着かないような。
 ずいぶん、気持ちが……散らばっているような。
 なんだか、後悔が……伺えるような。

 気のせいか、顔が……赤くなってきたような。

 みるみる、見たこともない表情になっていく…宮原さん。

 うわぁ……、こういう表情も、できるんだ!!
 かわいい……、まるで、恋を知ったばかりの、少女みたいだ!

 演技指導中だったことをすっかり忘れて、思わず笑ってしまったら。

「ちょっと!?なに…笑ってるのよっ!!!」

 バシッ!!!
 ばし、バシッ!!!

 いつもの、背中バンバンがお見舞いされた。

「は、あわわ…その、す、好き、えっとー!れ、連絡先とか、交換しません?!あのう、かわいいです、その演技の先が見たいっていうか!もっと、話したい!こ、こここれ、この、LINEがね?!」

 派手に叩かれた拍子に、思わず本音がぼろぼろと飛び出してしまって!

「おいおい、ナンパかー?!」
「いいぞもっとやれ!!!」
「でへへ…!!!僕タンもハムエッグたんだいちゅき―!!」
「ちょ!!おい、やめ、やめんかあああああああああ!!!」
「うちもすっきやで―!!ぶっちゅ~♡」
「ぎゃあああ!!!」
「あはは!!!ちょーおもしろーい!!!」

「あー!!も~!!!こうなったら飲むわよ?!」
「ひゃ、ひゃひっ!!!あ、アアア、ありがと…うわあ、宮原さんの、げ、ゲゲゲット!!!」

 どうにも収拾のつかない打ち上げが終わったのは……翌朝になってからだった。

 パンパンにむくんだ顔で宣材写真を撮ることになって……当時のマネージャーさんにめちゃめちゃ怒られたんだよね。


 ……それから、しばらくして。

 僕は……いろんなことを、知ったんだ。


 演技をしない、女優のかわいらしさ。

 本音を隠さずに口にする、女性のおそろしさ。

 真っ直ぐ愛情をぶつけてくる、彼女のたくましさ。

 誓い合った時に感極まって泣き出した、奥さんのいとおしさ。


 ……そして、今も、昔と、変わらずに。


「ごめんママ、えっとー、お、お疲れさまっ?!いい芝居だったね、感動して涙がね?!」

「パパね、ママのキスシーン見て泣いてたよ!!演技の練習なんだって!!!」
「熱心だよね、パパ……。役あんまり…もらえないけど。」

「もう!!!平気なふりしてるの、バレバレなんだよ?!だから今期は恋愛ドラマだから見るなって言ったのに!!」

 愛する家族に、演技のダメ出しを……、され続けているという、お話。

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