延々と驚かされる音楽。それはホラー音楽ではない。作曲家「澁谷浩次」氏について。

宮城県を活動拠点とするバンド『yumbo』。

自分が所属するバンド『図書館』の初めてのライブ、その共演者として数年前(おそらく10年ほど前か)バンド『yumbo』と初めて出会った。阿佐ヶ谷の確か地下にあったライブハウスだと記憶している。その楽屋で初めて会ったyumboのメンバーの(あくまでも自分の私的な)印象は「ひとかたまりの影」という雰囲気であった。それは暗いという意味ではなく、そこにある何か強烈な意志、自分たちが作っている音楽への確信、知性などの集合体としての塊がそこに見えたのだ。自分などは気楽なバカヤロウなので相手が誰であっても(ヤクザ風体の方は別にして)気軽に挨拶してしまうので「こんばんは!宮崎で〜す。今日はよろしくおねがいします!」と確信も自信も何もない捨て身気分で彼らに声をかけた。

実はその時までyumboの音楽を聴いたことはなかった(ごめんなさい)。ただ、ブッキングして頂いた方が「図書館ならyumboが合う」とわざわざ宮城県から彼らを呼んでいただいたのだと思う。そのブッキングの真意を分からぬままに(今なら光栄すぎることだと分かってますよ!)不躾な自分の挨拶にはyumboのみなさまも笑顔で応えて頂き(無視されたらどうしようと思いつつ、だってねえ、知性の塊は怖そうなので)、少しホッとした記憶がある。

そして本番、yumboの演奏が始まる。その時には歌とともに伴奏に乗せたポエトリーリーディングがあったと記憶している。驚き、感動した。実のところ少し動揺し涙が出そうになった。楽曲が立っている場所と目指しているであろう世界が圧倒的に崇高で高かったらである。

ここからの話は自分が心の中で感じている「楽曲の世界観」として読んでい頂けたらと思うのですが、音楽を聴く時にはその楽曲が向かっている世界観を聴いている。そして、その世界観は何より(個人)のそれでなくてはならない。誰かの真似だったり影響が簡単にそこに見えてしまう(世界観)は個人のそれではない、何かの借り物である。そしてその世界観を音楽で表現することの困難さ。

自分自身も大したこともないけれど、10代から作曲だけは延々と続けている。作る曲には可能であらば(自分の中にある音楽観、世界観を)表現したいと思っている。具体的にはいい曲として仕上がりながら誰も使っていなさそうなコード進行を考えてみたり、和音構成を考えてみたり。その作業は楽しくもあり(すべてが上手くいくこともないので)、また相応に時間がかかる作業ではある。でも、そんな作曲行為を年数だけは続けていると得られることがある。他の人が作った曲を聴いた時に「作者が曲つくりの時に考えている思考」が聴いて分かるのである、つまり先ほど書いた(個)が見えてくるのである。おそらくプロフェッショナルな音楽家は皆そういう聴覚があると理解している。日々突き詰めている作業だからこそ、他の人の音楽を聴けば、その構造がおおよそ把握できるのだ。(ちなみにこの理解は楽曲の良し悪し、評価とは連動いたしません。シンプルな構造であっても素晴らしい曲はあるし、複雑さだけをまとい、メロディに弱点があると理解することもあります。)

そして、その日初めて聴いたyumboの楽曲。初対面の印象はある意味、間違っていなかったのかもしれない。すべての曲に作者だけが見通している(曲つくりへの意識が(塊)となっているのである。具体的にいうと奏でられるメロディ、和音、コード進行がすべて(個)の意思によって作られていて、それがあまりにも独特、かつ魅力的な音として響くのだ。これは驚異的なことである。自分も含めて曲を作る時には「どこか1箇所くらいオリジナリティがある進行や構成があればそれで十分」ていどに考えているからだ。その日に初めて聴いたyumboの演奏、そして以後アルバムで聴くことになる曲すべてが突き詰められている、そう自分には聴こえるのだ。

それからはyumboの曲を聴くのが楽しみになる。なぜならアルバムの曲を聴いていく喜びに満ちているからだ。「次の曲はどういう展開があるのであろう?どういうリズムやアレンジ、和音構成。そしていつものように驚かされるメロディの展開があるのか?」そして一度たりともその期待を裏切られたことはないのだ。阿佐ヶ谷の地下であった時に感じた(塊)はその強固な意思を体現していたのかもしれない。

そして、今回、yumboのリーダーでソングライターでもある澁谷浩次氏からソロアルバムをリリースしたという連絡を手にした。

https://www.smallcowfields.com/records

聴いたアルバム音源は澁谷氏のミディアムテンポのピアノフレーズから始まる。そのイントロから「このベースラインの動きはなんだ?」アルバム最初始まってからすぐに驚きがまた訪れるのである。そしてその驚きは全曲、最後まで尽きないのである。ホラー映画ですら延々と驚かされるとその怖さには慣れてしまう。が、アルバムで聴いている澁谷氏の曲はその先の驚きが全く予想できないのである。すべての曲に全く異なる(音楽的な)工夫が込められているのだ。

驚異的なソングライターだと思う。それを音楽的に「ロバート・ワイアットの新曲みたいだ!」と語ることも出来るかもしれないが、当然にそのような他のアーティストからの影響があるとしても、それは引用というよりも澁谷氏がロバート・ワイアットや(ご自身が影響を公言しているXTC)からの驚きを引き継いで(個人)として新しい驚きを楽曲に見出しそうとしている、その(引き継ぎ意識)が驚異的なのである。

自分などはポール・マッカートニーという誰でも知っているような音楽家に影響を受けてきた。ただ、自分でもポールから感じた驚きを相応に自ら作り出そうとしている。だから、というわけではないけれど、澁谷氏が考えている「音楽を作るときに考えなければいけないこと」については(勝手ながら)共感してしまうのである。そして、ご本人とはそのことについては語り合ったこともないけれど、遠からずに「誰かをちょっとだけでも驚かせたい」と思い、何よりも自分自身で「この和音は面白い!」と新鮮な気分で曲つくりに向かっていたいという意識があるのではないか?と、推理している。このフレーズにあの楽器で和音を鳴らしたらどうなるのか?その試す過程こそが楽しいはずなのだ。そうであって欲しいと思いながら、これを書いている。そして、少しだけ楽観的になってしまうのは澁谷氏、そしてyumboには熱心がファンがいることが分かっているからだ。澁谷氏とyumboの音楽に自分と同じように「驚き魅了されている」人たちが沢山いる世界、伝わる世界観に自分たちは生きているのだ。それを希望と呼ばずになんと呼ぶのか。

澁谷氏のソロアルバム『Lots of Birds』、今回もまた驚きを届けることになると思う。是非に。ソングライティングの最先端のカタチがひとつここにあると思っています。


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