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ポールの頭の中を想像してみるの巻。

あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします〜!

昨年の11月、ディズニーちゃんのチャンネルで配信が始まった映画『Get Back』(以下カタカナ表記)、すでにご覧になった方も多いと思います。いやはやなんとも(『イヤハヤ南友』という永井豪のマンガもありましたね、豪ちゃんついでに「ハレンチ」という死語を復活させたい、と思いながらも「死語」自体をまずは復活させねば!と堂々巡りの2022年でございます)、とどのつまり、『ザ・ビートルズ』って何よりも人間関係が面白すぎる!とね、写っている方々はすでに全員超金持ちであるのに、その資本力について無頓着な風情が永遠に「こいつら、ただのバンドマンじゃん」という、世界中のミュージシャンからの共感される彼らの本質を体現していて、そこに「いいね!」とフェイスブックみたいなボタンを押したくもなりつつ(ちなみにフェイスブックを見るたびに“天国と地獄”という概念を可視化されている気分になります)、いや、まあ、そんな話はどうでもいいのですが「ビートルズってジョンがふざけ続けられるための場所だったんだ、、」とか、そこで真面目に「僕たちは本当はすごいんだから!音楽を作ればすごいんだから!」と純粋真っ直ぐな気分を大きな眼で体現しているポールがやればやるほど現実と乖離していく(あれでポールの目が小さかったら悲しみに説得力がないんですよ)学級崩壊時の担任の先生みたいな有様とか、リンゴ・スターによる「今さ、すかしっ屁しちゃったけどさ!言っとくよ!」という、もしかしたら世界のドキュメンタリー映画史上、ただの一度も映されたことがなかった場面とか(その発言をなんとなくスルーする周囲のリアクション含めて)、米国のセレブリティが資本力と著名性を獲得したがゆえに自我が崩壊して亡くなっていく(最近はまた違ってますがね、環境問題はセレブリティの救済策としても機能しています)現象とは異質であるがゆえに生き続けている“リバプールの面白野郎たちビートルズ”の奔放さを堪能した次第ですが、本題はそんなことではなく!!、リンクした映像、ポールが『ゲットバック』を作り始める、まさにその瞬間が記録されていることでしてね。                

「ありゃま!こりゃまた大した映像でございますな!」と思わず、口に出てしまいましたよ。この映像はそれなりに評判らしく「すごい!ポール天才!」という反応も当然なんですが、実際のところ、あれなんですよ、アカデミックな音楽教育を受けているわけでもないバンドマンの曲作りって皆、こんな感じでしてね。例えば、そのメロディ誕生のいきさつをポール自身が語ることが多い名曲『イエスタディ』、ポールはこのメロディを夢の中で書いた!と。その話を聞いて驚く人が多いのですが“朝起きたらメロディが頭の中に出来ていた”という体験自体は、作曲作業を延々とやり続けている人にとってはありふれた出来事でして(メロディ作りの基本は鼻唄である話はweb連載で書いてます)。では、そこらの作曲家(自分含む)とポールやジョンとの違いは?というと〈思いついたメロディの質が違う〉という身も蓋もない結果論でしてね。                       同年齢の人間を無作為に100万人集めて〜ヨーイ!ドン!〜でいきなり100m走らせたら(スポーツ選手は除く)ポールが一番早かった、みたいな話で。一等でゴールした本人が「あれ?なんで自分が一番早いの?」というね、それだけのことでございまして。夢の中でメロディを作る行為自体にはさほど意味がないんですよ。300万人無作為に集められた中で〈最もすね毛が長い人〉を選ぶ作業と同じなんですよ。もっともすね毛が長かった人がそれを資本化すれば(その方法は知らん)すね毛の長さに価値が生じて「チクショ〜!俺も明日から足に毛髪剤をふりかけるぞ!」残り299万人がその価値に乗るかどうかの違いだけでして、、それが資本主義。                        

と、話がまた木星方向にずれてますが、とにもかくも、自己流で(楽しいからやってるだけ)の彼らの何が興味深いのか?というと、そこにある無意識と基礎体力。先ほど書いたようにジョン・レノンは延々とふざけているわけですよ、というか、ふざけるために音楽を作っている気もするくらいのレベルなんですが(そのふざけっぷりが面白すぎる話とは別に)ただの一度も歌の音程がずれないんです。これは怖るべき能力でしてね。ジョンが手にしている端正な歌唱ピッチを獲得するための訓練、教えを世界中の音楽教室や専門学校で延々とやっているわけで。歌唱ピッチの良さはポールも(そして実はジョージも)同じですが、やはり無意識力の帝王(天才)ジョンはすごい。映画『ゲットバック 』には、コーラスラインを決めて、それをジョンが即座に歌うシーンもあるのですが「こんなラインだよ」と誰かが弾いたメロディを即座にジョンが把握して歌うんですよ。「え?それで歌えるの?」って驚きました。ビートルズが楽譜から縁遠いとは知られた話ですが、あの指示だけで、すぐに歌えるならば確かに楽譜はいらないな、と。

で、彼らのその(無意識の能力)がまさに『ザ・ビートルズ』の凄みでして。彼ら4人がそこを自覚しているのかいないのかは誰も聞いていないので今だに不明ですが(「レノンさん、自分の歌唱力、ピッチの良さについてどう思ってますか?」って聞いているインタヴューを読んだことがない)だからこそ「君たちの売れ方は特別すぎる!」と言われても調子に乗ることがなく、いや、なんなら「俺たちって楽譜も読めないし、、音楽のこと言われても、、コードしか知らんし、、情けないといえば、情けないよなあ、、」とか思っている風情、その感情が彼らを自滅的人生から遠ざけている理由そのものかなあ、と。そんな話は置いておいて、さて、(やっと本題に入るぞ!)ポール・マッカートニーが『ゲットバック』を思いつく映像。あれがね、ポール流作曲の本質なんです。映像で分かることを書いてみます。

1.まずは頭のなかで自律的にメロディを走らせている。延々とそのメロディを歌いながら確認している。曲作り中には視線が宙を泳ぐ。浮かぶメロディラインをまさに身体が捕まえようとしているその様なんですね、。

2.メロディを、歌いながら確認している。シンガーソングライターですね。口から出てくるメロディのピッチが正確がゆえに思いついたメロディが再帰的に自身に返ってくるわけです。そして、その歌はすぐに表現化されてしまう。聞いているジョージとリンゴがそれを理解できる。バンドとしてのビートルズの優秀さ、スピード感はここが基軸です。歌ですぐに伝えられる。

3.勝手に走り回るメロディに「そっちの道じゃないよ!」と道すじをつけている。何度もメロディの行き先を変えている。メロディラインを変えるというよりも自由自在に走りたいメロディに「行き道」を指ししめしている。

4.ポールがやっていることはメロディに道すじを作っていること。

5.ポール製の道案内看板、メロディのための看板には「7th(セブンス)に行くべし!」と書き記してあること。

以上ですね。ここから先は少し記号(コード記号)が出てきますが、歌いながら確認していきましょう、もう少しお付き合いください。



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