モンターニュの折々の言葉 357「人は、ゴルファーのように皆言行不一致」 [令和5年4月5日]

 千葉の川奈でゴルフ三昧というのは、年金生活者という立場にあるゴルファーとしては言行不一致ではないかと、アフリカ在住の同期のゴルファーから、やっかみのメールが(笑い)。いやいや、そうではありません、私も含めて、人は皆言行不一致。それ故にですね、「有言実行」というのは、凡人には出来ない。並大抵ではない人しか、「有言実行」という言葉をむやみに使ってはいけないのです。しかし、世間を見渡すと、なんとも多くの凡人がこの言葉を使い、結果的には、言行不一致に。政治の世界はそれが甚だしいですよね。

 政治の世界は、まあどうでもいい。年金生活者である私の今の生活がこれ以上悪くならなければ、それで良い程度にしか関心はない。それでも、時々、某党の国対副委員長からそれなりに知られた方の講演を兼ねた朝食会への参加案内状が届くのですが、その参加費は2万円。政治家本人への支援を兼ねたこの手の講演会、年金生活者の私には、ちょっと手が出ない。政治の世界というのは、所詮は、お金の世界で、お金を沢山集めた人が当選できる確率が高い。

 そう言えば、どうした風吹き回しか、ゴルフ友の一人が、今度の区議会議員の選挙に立候補したようで、孔子のような人間と思っておりましたが、孔子も若かりし頃、政治に燃えていたこともありますので、気持ちはわかりますが、どうなんでしょうねえ。老人の冷水とは申しませんが、私的には、孔子の歩んだ道であり、人口に膾炙している言葉、のように人生を歩みたいとは思いますが。まあ、選挙も一種の試合、勝負でありますから、水物の面はあるでしょうが、有終の美を飾ることを期待しましょう。

 さて、人は、言行不一致的存在で、有言実行ではなく、不言実行の方が、言い訳も簡単にできるのに、そうしないのはなぜなんだろうと考えます。人は可能性に賭ける生き物でありますから、大いに賭けたらいい。しかし、実人生では、特にビジネスの世界では、将来展望を描く場合、まずは現状分析、自己(自社)分析を正しく、検証しないといけないでしょう。私は特にそうですが、これがなかなか出来ない。哲学者のように、論理的に合理的に、科学的精神を持って思考しながら、正しく現状の把握が出来ない。勿論、世の中は水物の面も多い(偶然性が多い)ので、ある選択が結果として上手く行かないことは多々あるでしょう。

 昔から、人は自分がこうなりたいという具体的な目標を明確にイメージできる場合、それを達成する率が高いと言われていて、小学校時代にこうなりたいと目標を立てた人が実際にそれを実現しているケースがスポーツの世界とか、あるいは、将棋の世界などでも知られています。概ね、個人競技の場合は確かにそんな傾向があります。ある会社の一員として団体競技に参加している場合は、趣きが異なりますが、可能性というのは、個人個人の想像力や、イメージ力から生まれて、それが創造力となっているという説明も、確かにあるような気がします。

しかし、問題は、自己分析です。これがなかなか出来ない。自分の才能や能力は、社会的には、比較優位で決まりますが、自己分析の視点として、こうした他者との比較で見るというのもありますが、どうも、それではいつまでたっても他人依存で、自律的な視点ではない。では、何が自律的な視点であるかと言うと、それは、やりたいことが、なってみたいことが、本当に好きなことであるかどうかということになるでしょう。それ以外の自己分析が要する因子というか、要素はないように思えます。好きかどうかを知るには、単に面白いと思うだけではなく、ある種の知的な誘引性(パスカルの言う「よく考える」ことができるようになるための導きのようなもの)もないといけませんが。

 そのために、努力することを厭わない、辛いことが苦にならないことも不可欠でしょう。他人が見て、つらそうだとか、それは無理だと思うようなことを有言実行的か、あるいは不言実行的にできることが、結果として、その人が出来たことであり、なりたかったことなんだと思います。それ以上でも以下でもない、そんな気がします。余談にはなりますが、政治家というのは、公務員も、会社員もそうだと思いますが、基本的に、自己分析はしない、社会能の方々だと思います。自分以外の外部の世界の現状分析に優れていて、だから、社会的に有益なことをしているのでしょう。この辺は、日本人の強さでもありますが、自己分析という面では、まだまだだろうと思ってはおります。

 まあ、ビジネスの世界では、人としての自己分析なんて意味がないという面もあるでしょうが、ゴルフではそれはかなり重要なファクターであります。ゴルファーは、プレーをする本人の自己分析と、それ以外の世界の分析という、主観と客観の2つの分析を終えてから、初めて、次の一打の選択が決まる訳です。ですから、最初の一打である、第1ホールのティショットは重要。将棋で、名人がなにげなく打つ一手というのは、長い間熟考を重ねた上での一手であって、無造作なものではないということ。

 ちなみに、アマチュアゴルファーを大雑把に分けると、3つのカテゴリーに。第一は、シングルクラスの上級ゴルファー。パーペースで回る。次は、ボギーペースで回る中級レベルのゴルファー。最後が、108前後で回る、ダボペースゴルファー(敢えて、初級レベルとはしません)。シングルゴルファーは、パーが起点ですから、各ホールでの最初の一打はボギーゴルファーやダボゴルファーとは質的に異なるわけです。狙い所が決まっている。そこに打つ。他方、ボギーゴルファーの場合は、ボギーを起点としているので、パーオンが不要。それだけに、第一打は、そこそこアバウトで良い。ダボゴルファーは、パーオンから2打多く打ってオンすればいいので、もっとアバウトで打っても良い。ところが実際は、そうはならない。何故か?

 ボギーゴルファー、ダボゴルファーは、パーゴルファーよりも、最初の一打は楽に、緊張しないで、喉から心臓が出るような、命を取られるような、悲壮感を持って打たなくても良い。しかし、実際は違う。ボギーゴルファー、ダボゴルファーとなるに従い、周りには緊張感や悲壮感が漂う訳です。傍目でもそれが見える訳です。不思議です。ちなみに、私が思うに、仕事に関連する組織というのは、このゴルファーの3つのカテゴリーで活動がなされているようにも思えます。仕事が好きで好きでたまらない、そして能力もある人。好きさも能力もそこそこある人。好きなのか、嫌いなのかよく分からない、能力があるのかないのかもわからない人。こういう人からなるのが組織。勿論、好きさも半端ではなく、また特別な能力もあって、他を圧倒するようなずば抜けた人もいる。しかし、組織というのは、プレーヤーとして優れた人が必ずしもトップに立つ訳ではないのは、釈迦に説法。

 さて、言行不一致的な昨日の、千葉の川奈と称されるゴルフコースでのお話を。シングルプレーヤーでもある、とある会社の社長さんのYさんに、わざわざ自宅付近まで車でお迎えしてもらい、何年ぶりかでアクアラインを通って、現地に向かいました。陽光が海面を射すような、初夏のような天気の中を渋滞もなく快走した車中からは、遠くには富士山も見え、また東京湾越しに、横浜や三浦半島が眺められる、なんとも豪華な景観を楽しみながら、現地に到着。立派なロッカールームもあり、流石は千葉の川奈だなあと。

 何故川奈と言うのかよくわからなかったのですが、プレーしてわかりました。山あり谷ありコースだから。静岡の川奈は、宿泊とプレーのセットで、大体、5万円から6万円の支出になるとか。ミシュランの3つ星レストランでの食事と似たような料金設定。プレーしたことはないので、コスパが高いかわかりませんが、Yさんが言うには、あそこは基本、歩きのコースで、歩けない人、特に上り下りが多く、普段下半身を鍛えていないと、途中で脱落してしまうような、アスリート向きのコースとか。私は、電気カートでの普段のゴルフでは疲れることもないし、本当は2ラウンドしたら、多少上手くやれるのになあと、いつも思っているのですが、懐状態がそれを未だに許さない。

 静岡の川奈はさておき、この千葉の川奈ですが、平日にも関わらず、大勢のゴルファーで賑わっていました。初めてプレーする私には、難しいコースだなあというのが率直な感想。何が難しいかと言えば、第一にティショットをフェアウエーに打つのが難しい。第二に、グリーンが見えないホールが多く、2打目や3打目のクラブ選択が難しい。第三に、グリーン上のカップの攻略がとても難しい。難しいことだらけですので、スコアはそれに準じてのもの。幸い100は叩かなかったので、満足、満足。初めてのコースは、ともかく、100を叩かないことをスコア的には目標としてはいるけれども、必ずしもそう上手く行くとは限らない。

 今回は、パーオンできたホールがミドルホールの2つ。我ながら上手く行ったと思うホールは、このパーオンのホールと、第1ホールくらいかなと。最初のホールはかなりの打ち下ろしで、387ヤード。1打目は完璧。2打目に、謙虚に7番アイアンで打ったら、グリーン手前10ヤードに。そこから寄せてのパー。幸先が良すぎるなあと思って、で、その後はミスを重ね、かつバンカーに苦労(砂が薄すぎる)して、トリの連続。上手く行ったホールと上手く行かなかったホールが同じ数となった、でも、大変勉強になったラウンドでありました。

 今日のまとめのお話を。私がラウンドを終えて思ったことでは、大きく2つ。一つは、レベルが違うゴルファーと回る時には、自己分析が甘くなるということ。自分よりもレベルの上の人とラウンドする時は、上手な人目線で考えてしまう。レベルが下の人との場合も同様になりがちになるのが、私の傾向で、それは性格の一面でもあるということ。なかなか、自分のゴルフをすることができないのが今の状態かなと。他方で、今回は先生役のYさんが、ホール毎の解説をしてくれて、ティショットは、ここ、第2打はここ、というようなことを話してくれたのですが、実は、私も一応「先生」をしているので、先生と言うのは、出来る生徒に向けての言葉と、出来ない生徒に向けての言葉は違わないといけないことを知っています。

 私が思うのは、ゴルフでは、コースのレイアウトの説明というのは有り難いのですが、それはこれから進む先の状況を知らない生徒には、不安を取り除くためにもとても大切な情報だからです。他方で、ここはこうして打つとか、あそこに打つというという言葉は、出来の悪い生徒には、むしろ弊害が多いのではないかなあと。

 というのもですね、先生のこうした言葉で生徒は金縛りにあうから。方向、距離の選択のための、クラブ選択に迷いを生じさせてしまうから。これが上手な生徒であれば、問題はない。その通りに打てるでしょうから。ゴルフに限らないでしょう。人を見て法を説け、ではありませんが、先生の何気ない言葉で、生徒は迷うこともある、というのが、私の今回のラウンドで得た経験知であります。

 情報というのは、最小限に、最低限に抑えた方が、受け取る側が色々と思考したり、想像する余地を残してくれます。時々、何もしらない初体験のコースで、滅多にでないスコアが出ることがありますが、これなんかも、そういうことを暗示している例ではないかと。

 もう一つ、思ったことは、まだまだ上半身と下半身のバランスの取れた、シンクロナイズドされたリズム感のあるスイングが出来ていないということ。2度、3度は出来ますが、継続性が足りない。例えば、ロングホールは、456ヤードから527ヤードありましたが、ボギーで上がったホールは、4打目のボールの位置がグリーンから20ヤードから30ヤード前後にありましたから、3回のショットの平均は150くらい。でも、ばらつきがあります。シングルプレーは、150ヤードをかなり正確に、繰り返し打てるようで、ショットから見ると、上達者とそうでない人を分けるのは150ヤード前後のショットということになります。これがまだまだ私の場合は、甘いのです。

 Yさんは、普段ジムで体を鍛えているようで、お風呂場で見ると、私の油のない体とは違い、なんとなくふくよか。上半身も下半身もお肉がちゃんとついている。私の場合、上半身に筋肉がほとんどない。これが私の飛距離の無さを証明している訳でもありますが、ゴルフで求められる筋力と、ランニングでのそれは違います。ランニングの走力がゴルフの脚力として十二分には活用出来ていないということです。ゴルフの筋力は生憎、ランニングには無駄で、無用で、逆効果をもたらすので、この辺が思案のしどころ。しかし、それはそれとして、下半身をも活用した理想とするスイングを身につけるために、今日も朝は練習場に行ってきた次第。

 ゴルフ場はゴルフをする場所ですが、お風呂を楽しむゴルフ場があることを発見したのが今回の千葉の川奈。東京湾が一望できて、三浦半島が見えるような、風光明媚な浴槽に浸りながら、「幸せってなんだろうな、お金では買えないものかな」と思った、モンターニュでありましたが、モントリオールから、「モントリオールブレテン」の4月号が送られてきて、そこにはケベック州での日本語弁論大会の結果とそれぞれのレベルで優勝した人のスピーチが掲載されていました。優勝者した人のスピーチのタイトルは、上級者が「人生に参加賞を」、中級者は「僕は僕だ」、初級者は「心配?とにかくやる」。

 これって、ゴルファーの弁ではないのかと(笑い)。どうも失礼いたします。


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