見出し画像

清野由美インタビュー

 清野由美のインタビューをお届けする。80年代の前半に3枚のアルバムを残した美人シンガーだが、長らくそれ以降の足取りが掴めなかった。当時からその活動にはよくわからないところが多く、今現在もネットをググっても出てくる情報は少ない。ある意味、幻のシンガーと言ってもいい。

 それが、ここしばらくのシティポップ・ブームの中で、その名前が話題になり始め、レコードはなかなかのプレミアム価格で取引されるようになった。中でもHi-Fi SETの曲をカヴァーした「スカイレストラン」のシングル盤には5ケタのプレミアムが付き、セカンド・アルバム『ナチュラル・ウーマン』はアナログ盤で再発されるほどの人気となった。こういった動きは当の本人は知らないもので、せっかくなので、ご本人にインタビューをお願いした。

 正確にいえば、このインタビューはコロナ前の2019年に行ったものである。せっかくインタビューしたのだから、これを世に出すきっかけとして、未だ実現していないアルバムのCD化、またはベスト盤のリリースを画策したが、タイミングが早かったのか、その時は実現せず(オンデマンドCDという形で、公式にCD-Rで販売する形式のものは既にあった)、インタビューもそのまま眠らせていた。現在はストリーミングでほとんどの作品が聴けるようになった。

 昨年末、久しぶりに清野さんに連絡を取り、ミニ・ライヴで歌ってもらえないかダメもとで打診したところ、まさかのOKをいただいた。現役時代にもほとんどライヴをやらなかった人なので、かなりレアな機会となるはずだ。活動再開しているわけではないので、これを見逃したらもう見られる機会はないかもしれない。そんなわけで、このインタビュー記事はこのタイミングで出すべきだろうと判断した。

 未発表写真や名前を出さずに歌ったレコードもあるので、そちらの情報も記事の中で紹介する。

 なお、以前も同じような形で某アーティストのインタビューをネットで公開したところ、一瞬で盗用されたため、今回は後半部分を有料公開という形にさせていただくことにした。


イベントINFO

Light Mellow Summit
@新宿カブキラウンジ
2023年2月16日(金)
19:00~23:30
※Admission:2000円 (include 1 drink)

レギュラーDJ: TOYO-P、ラーヤン
ゲストDJ:高橋優衣
Special Live: 清野由美




デビューの経緯

ーー生まれをお聞きしてもよろしいですか?

 1957年ですね。6月17日です。たしかA型だと思います。ペニー(当山ひとみ、同じコロムビアの同期)と年齢もデビューした年も同じです。

ーーデビューまでの経緯を教えていただけますか。

 一浪して成城大学に行ったんです。歌でも歌ってみようかしらと思って軽音楽部に入って、生まれて初めてマイクを持ちました。軽音からはプロになった人も多くて、その時の同期がスペクトラムやKUWATA BANDでパーカッションを叩いてる今野多久郎で、今でも仲が良いですよ。大学に入って一番最初に組んだ1年生バンドのドラムはパール兄弟の松永俊弥でした。
 それで、軽音で歌ってたら、田原春樹さんっていう、私のプロデューサーとなる人にスカウトされたんです。軽音の先輩が田原さんと中学だか高校時代からの同級生で、それで呼んだらしいんですね。それで、すぐにレコード出そう!みたいな話になっちゃって、私はイヤだって言ったんだけど、とりあえずデモテープ録ろうって口説かれて、そのままなんかズルズルとレコードを出すことになってしまったんですよ。

ーーじゃあ高校時代までは全く音楽活動なしですか。

 ピアノは習ってましたけど、クラシックピアノなので嫌になって中学ぐらいで止めてしまっていたし、歌を歌ったことなかったです。でも、譜面は読めたんですよ。

ーーその頃はどんな音楽を聴いてたんですか?

 高校の頃まではそこまで熱心ではなくて、大学の軽音に入ってからいろいろ聴くようになりましたね。ボストンの円盤のやつ(『Boston(幻想飛行)76年』)を買ったのは覚えてます。あとはディープ・パープルなんかも聴いてました。

ーーそうすると、レコードデビューまでは少し時間がありますね。

 最初は練習しましょうねって事務所に言われて、ジャズ・シンガーの岡崎広志さんのところにレッスンに通うことになったんです。その頃、岡崎さんは六本木のアルバトロスっていう超高級なジャズ・クラブによく出演されてて、それで私もバイトすることになったんです。当時はまだ大学生でしたけど、めちゃめちゃ時給が良かったです。たまにステージで歌わせてもらうこともありましたね。

ーーどこの事務所だったんですか?

 最初はALFAで、大橋一恵さんが独立してケイ・ミュージックを作る時に一緒に移籍したんです(注:当時、大橋一恵は村井邦彦の妻で、1980年に離婚に伴って分社して独立)。だから、もともとはALFAからレコードを出すはずだったんですよ。結局、コロムビアで出すことになったんですけど。デモテープとかは全部ALFAにあるはずです。音羽スタジオで録りましたね。


ここから先は

7,792字 / 22画像

¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?