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39枚目 マイケル・ツィマリングがミックスしたアルバムその3/BOOWY「BOOWY」(1985年)

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マイケル・ツィマリングの仕事の3回目はBOOWYの3rdアルバム「BOOWY」です。BOOWYを採り上げるのは、第1回目に続き2枚目。このアルバムこそは、日本においてロックをメジャーに押し上げた重要作と言えます。BOOWY自身が浮上するきっかけとなった作品だということもありますが、大きなポイントは2つ。1つは日本のロックバンドとしての在り方を示したという点、もう1つはサウンド面で、ロックバンドの音作りの基準となるものを作ったという点です。言い換えれば、このアルバムから日本の80年代ロックは始まったといったも過言ではありません。

佐久間正英がプロデュースし、ベルリンのハンザスタジオでレコーディングすることになった経緯は、佐久間本人の口から幾度も語られているので、よく知られたところです。曰く、プラスティックスが好きだった布袋の指名であったこと、布袋の<ロックにしたい>という注文に応えるためには海外録音しかない、といいつつ、メンバーが怖そうだったので本当は断りたくて、海外録音といえば断られるだろうと思ったということです。

ここで重要なのが布袋の<ロックにしたい>という注文です。佐久間自身も、ロックバンドに<ロックにしたい>と言われるとは思わなかったと言っていますが、おそらく布袋は、当時の日本のロックのレコードの音に納得がいっていなかったのでしょう。このアルバムから始まる東芝時代のBOOWYの作品には、カーズやメン・アット・ワークなど、ニューウェイブ期のロックバンドからの影響(というかネタ)がたくさん聞かれますが、布袋はどうやったらこんな音で録れるんだろうと逡巡していたはずです。そこに、佐久間の提案がぴったりはまりました。佐久間は前年の84年にベルリンのハンザスタジオで根津甚八のアルバムをレコーディングしました。そこでエンジニアのマイケル・ツィマリングと意気投合し、そこで得た感触をBOOWYに持ち込んでみたわけです。

佐久間はまずリズム隊の修正に取り掛かります。勢いイッパツだったタテノリ8ビートを、ベースとドラムがちゃんとシンクロするように修正し、奥行きのあるリズムを作り出しました。布袋にはアレンジとプロデュース・ワークを伝授し、それは次作の「Just A Hero」でいきなり結果を出すことになります。歌詞の面では、作詞家の松井五郎が2曲で共作(氷室と布袋1曲ずつ)することで、氷室は作詞の技法を学びました。歌詞から皮肉を取り除き、スタイリッシュな言葉選びを模索し始めます。これも「JUST A HERO」で確立されることになります。これらはそのまま、タテノリのパンク的なサウンドからの脱却を意味するものでした。

しかし、そのためにバンドが用意した楽曲は、これまでになく歌謡曲的な湿ったメロディのものが多く、佐久間もそこを懸念したといいます。それらの多くは以前からライヴでは少しずつ形を変えながら演奏されていた曲で、実はBOOWYのアルバムの中で唯一、布袋より氷室が書いた曲の方が多いアルバムなのです。氷室の曲は「黒のラプソディー」「唇にジェラシー」「CHU-RU-LU」「ハイウェイに乗る前に」「CLOUDY HEART」の5曲。この湿ったメロディに西城秀樹っぽいと揶揄されることが多い氷室のヴォーカルが合わさることによって、強烈なドメスティック感が生まれていたのです。これこそが80年代日本語ロックの王道となり、後のビジュアル系に代表される、ムード歌謡のロック版ような鼻声ヴォーカルのルーツといっていいでしょう。しかし、それがスタイルとして認められるには、日本のロックが欧米へのコンプレックスから抜け出す渋谷系以降の時代まで待たなくてはなりません。

逆に、布袋の楽曲はバリエーション豊かに、よりサウンド指向を明確にしていきます。後に彼らの代名詞となる直線的な8ビート(特にベースライン)に先鞭をつけた「DREAMIN'」。スカ・ビートを取り入れた「BABY ACTION」。また、「BAD FEELING」ではシックのファンク・サウンドを取り入れ、「ホンキー・トンキー・クレイジー」(この曲のみメンバー全員の共作)ではモータウン風のリズムを取り入れるなど、最もブラックミュージックからの影響が濃く出ている作品でもあります。これらの曲は、彼らの代表曲としてライヴの定番となっていきます。そんな中で裏重要曲といえるのが「DANCE CRAZE」で、BOOWY時代の布袋が唯一、ライヴでギターを持たずに歌ったこのニューウェイヴ・ファンクが、次作「JUST A HERO」の下敷きになったように思えてなりません。

このアルバムのアレンジは、クレジットこそ布袋一人の名義になっていますが、実際には佐久間との共同作業だったと見ていいでしょう。では、アルバムを<ロック>にしたかった布袋は、歌謡曲っぽい楽曲をどう処理したんでしょうか。ここで活きたのが、ツィマリングのエンジニアリングでした。当時の日本のロックは、レコーディングにおいて、まだまだロックなサウンドで録るノウハウが確立されていませんでした。それはドラムスの音に特に顕著で、ハイハットがあまり聞こえず、ペタペタしたスネアはどう見ても迫力不足。前年に出たレベッカのデビュー作ではゲートリバーブが使われていたり、かなり早い時期からサウンドへのこだわりを見せていた佐野元春のような人もいましたが、多くは歌謡曲の延長的なもっさりしたサウンドでした。しかし、ここで聴かれるのは、スネアのどっしりした鳴りと、アンビエンスもしっかり拾った深みのあるドラムスのサウンド。ベースも音の輪郭がしっかりしており、普通でありながら音抜けが良く、リズム隊の音がくっきりと浮き上がった録音は、当時は珍しかったと思います。布袋がもっとも意識した点は、キャッチーなメロディと先鋭的なバッキングのバランスだったのではないかと思います。これを日本でやろうとすると、歌謡曲的な側面ばかりが浮き上がってしまったのではないか。先に<ニューウェイブ期のロックバンドからの影響>と書きましたが、布袋はこれらの音像を意識していたのではないでしょうか。

このアルバムがリリースされた頃を境目に、日本の多くのロックバンドの音が変わっていきます。もちろん、そういう時代だったということもあるでしょう。そして、このレコーディングの後にマイケル・ツィマリングは来日。ここから数年間、日本をベースに活動し、その影響をシーンに落とし込んでいきます。そして、BOOWYは、ここで得た自信と共に、日本の音楽シーンを一気に塗り替えていきます。

【収録曲】
A1. DREAMIN'
A2. 黒のラプソディー
A3. BABY ACTION
A4. 唇にジェラシー
A5. ホンキー・トンキー・クレイジー
B1. BAD FEELING
B2. CHU-RU-LU
B3. DANCE CRAZE
B4. ハイウェイに乗る前に
B5. CLOUDY HEART


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