2006心と石

美術家が美術家をやめて見えた「命のよろこび」

私はかつて美術家として活動し、作品制作と発表を行っていた。しかし自分が身を置き、自身もそこでひとかどの者になろうとあがいていた「美術」の世界に対し、なぜかずっと違和感が消えなかった。自分を「画家」や「美術家」と名乗るときも、それが自分になじむ感じが無かった。

その理由の幾つかが、10年前に絵を描くことをやめたとき明らかになっていった。たとえば、自分にとって絵を描くという行為が、他者からの評価を得ることを常に意識した、不自由なものになってしまっていたということ。

あるいは、自分が本当に創出したかったものは、実は「絵画」ではなかったのだということ。「絵画」という物体やイメージを創り出したかったのではなく、新しい「世界」そのものを創り出したかったのだ。絵を描くのをやめたとき、私は初めて自分の誇大な願望を自覚した。


板垣崇志《Cumulonimbus》アクリル彩、綿布。(トップの画像は《心と石》インク、色鉛筆、麻紙ボード。)


この宇宙に満ちている、とてつもなく巨大な「命」の脈動がある。それは私にはありありと実在を感じられるものなのに、どうやら他の多くの人には不鮮明であるらしい。私はいつもそのことにいら立っていた。

この恐ろしく巨大な命の、光のような闇のような完璧な力を、誰の目にも明らかにしたい。目に見えない命の世界を現出させたいという願いを、私は絵を描くという代替の行為に仮託していたのだった。


花巻市にある「るんびにい美術館」――現在の私の職場だが――を運営しているのは光林会という社会福祉法人。50年前、知的障害者支援施設(当時は精神薄弱者更生施設と呼ばれた)を営むことを目的に設立された。絵を描くことをやめた私は現在、この美術館で他者の造形表現を通じて「命」を可視化することに取り組んでいる。

私が光林会を初めて訪れたのは1998年の春。その頃、成人入所施設「ルンビニー苑」の苑長を務めていた三井信義(現光林会理事長)の誘いに応じ、施設の門をくぐった。

三井は私に施設利用者の絵を差し出し、「この絵は美術作品として社会に認められるだろうか」と尋ねた。

私はそこに描き出されていた美しく奔放なイメージの数々に衝撃を受けた。世で「知的障害者」と呼ばれる人たちとほとんど接点のなかった私にとって、それらの人がこれほどまでに精妙な美を生み出すという事実は、自分の世界観を大きく揺るがせた。


奥に見えるのが現在のルンビニー苑(1999年改築)。私が初めて訪れたときは平屋の旧苑舎だった。

るんびにい美術館にて制作中の八重樫季良(きよし)さん。20年前はこのような制作を大事なものと考える人は法人内にもきわめて少なく、季良さんは自力で調達したカレンダーやチラシの裏などにも大量の絵を描いていた。

季良さんの作品。こうした絵を50年以上に渡り、おそらく数千点描いてきたと思われる。(1997年頃以前の作品はすべて廃棄され残っていない。)季良さんとの出会いの衝撃が私をこの世界に招き入れた。現在の絵のモチーフは建築物と考えられ、ルンビニー苑の改築などを機に描き始められた。(画風は大きく変わらないが、私が出会った当時のモチーフは自動車だった。)


造形作品だけではない。私はそこで初めて、人というものに本当に出会ったと感じている。それもまた「知的な障害がある」と言われる人たちに他ならなかった。

それまでに何度も何度も出会ってきた、薄布にくるまれたように本心の見えない、薄笑いの人たちとは明らかに違っていた。私自身も、そのような薄笑いで他者を欺いている人間の一人だったろう。

そこにいる人たちに「こんにちは」と呼びかけると、「こんにちは」と答えてくれた。ただそれだけの偽りのない声、表情、しぐさ。その中に、初めて出会う確かな「本当の人」の実感があった。

そしてその人たちは、「許す」ことを誰よりも知っているようだった。私は、これほど自分の存在が誰かから許されていると感じたことは無かった。それはもしかしたら、彼らの深い「諦め」によって育まれたものかもしれない。常に一方的に甘んじるほか選択肢のなかった、おびただしい疎外への諦め。それが彼らの許しを深めたのかもしれないと思う。

幾人かは、絵や、何か不思議なものを描いたり作ったりするのが好きだった。本当の人として生きる人たちが生み出す造形表現。それらは見たことのないほどありありとした、何か重要な真実のようなものを垣間見せていた。


人間のあるがままの命が、命のあるがままを描き出す。命の顕現と言うべき造形表現を社会に伝えることは、私の願いとも合致した。それは社会の中の疎外を和らげる力も持つ。この人たちこそ私にとって同志であり、世に道を示す導師でもあると思われた。

これらの人たち、さらには社会の多様な分野で命を伝えようとする人たちとも手を携え、この社会に命の姿を現出させていこう。それをるんびにい美術館の使命に据えた。私たちの命は、きっとそれを喜ぶはずだ。


季良さんが机上に飾ってくれていた私との写真。17、8年前に撮ったもの。背後は季良さんの大作。



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