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【自分をカテゴライズしない】


「生きにくさ」という言葉を最近よく耳にするようになった。
不安を煽るような情報や取り巻く環境がそう思わせているのかも知れない。しかし「生きにくさ」は周りの外的要因だけだろうか。もしかしたら自分自身にもないかと考える。

例えば、「いい母親」「優秀なリーダー」等々。自分が思い描くあるべき姿、目指すべき生き方が、しっかり、またはぼんやりとでもある。ところが現実は、そう上手くはいかない。叱りつけるばかりで、これで良いのかと母親は悩み、格好だけのリーダーと陰口を言われ落ち込む。

では、その「いい母親」のカテゴリーや「あるべき姿」に身を置くことは、一体誰が決めたのか。

それは自分ではないだろうか。自分で自分をカテゴライズして型にはめ込む、それ自体はある意味ラクかもしれない。けれど世間が求める理想形のようにやろうと頑張ることは苦しい。できない。そこに「生きにくさ」が発生してしまう。

いい母親像という幻想に縛られて子供を教育する。しかし、子供はひとりとして同じではないはずだ。世間がいう無責任な「いい母親カテゴリー」に自分を閉じ込めて振舞おうとすることに果たして意味はあるのか。同様に、「真のリーダー」なんてものは最初から存在しない。いま自分がやれることが全てだ。その積み重ねの結果が、子供にとってのいい母親になり、組織においてリーダーになると思う。

自分を自分でカテゴライズするのはもうやめよう。
私はどのカテゴリーにも属さない、私は誰にも似ていない、と決めた時から「生きにくさ」からは解放され、本当の「私らしさ」が出るのではないだろうか。

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