【夢をなぜ記録するのか】


【夢もまた現実】

夢もまた現実と同じように「体験」しているので、現実世界と等価ではないかと思っています。

人生の三分の一は寝ていますが、寝ているときも、何かを感じ、考え、別の世界で生きていると思うのです。

起きているときの日記と同じように、寝ているときの日記を書いていると言えば、わかりやすかもしれないです。

夢は潜在意識の世界とも言われます。確かに現実で経験したことや悩んでいることが夢に出てくることはあります。ずっと悩んでいた問題の解決の糸口が、夢の中で提示れることもあります。(その場合、四六時中悩んでいるような問題であることが多いです)

けれど、私は、すべてが自分で経験したものだけが夢に現れるとも思えません。なぜなら、まったく考えたことも、経験したこともないことが夢に出現することが珍しくないからです。

それらの不思議な夢は、ユング的に普遍的な人類に共通する集合的無意識なのか、私には分析できません。

自分の夢が気になるので、一時期、本屋に並ぶ「夢判断」のような図書や、ネットの夢占いを読み漁りました。

しかし、確信を得るものには出会えませんでした。無理やりに現実の何かにに結び付けて、その物や事象を象徴的に夢と関連させて夢判断をするやり方に私は違和感をもちました。

【結局のところ】

私は夢とは何かを手中に収めることなく、今日まで来てしまいました。ただ、書き留めておこうという思いだけはあります。

そして、書くのであれば、

夢の一部始終を、創作や脚色をすることなく、物語や散文詩の形式で残そうと思っています。

夏目漱石の「夢十夜」のようにできれば最高です。








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