【なぜ犬猫の殺処分だけ騒ぐのか~かわいそうの対象】

私自身は、そのことに賛成でも反対でもないのだが、SNS上では、犬猫の殺処分の反対や、迷い犬、捨て猫のシェアをお願いする投稿をよく目にする。「かわいそう」という心理から来るものだと思うが、なぜ犬猫だけが対象なのかを考えてみた。

他の動物、例えば鹿や猪や熊は、害獣として毎日のように即射殺されているが、誰もかわいそうだと思わない。日常的に目に触れることがないから、実感としてわかないのかもしれない。かわいそうの対象ではないようだ。

では、牛、豚などの食用動物はどうだろう。これも、毎日大量に殺処分されている。牛は殺される時に目に涙を浮かべるという話を聞いたことがある。見たことはない。身近に牛や豚がいないこともある。人間が食べるという目的があるからと理性で割り切っているから平気なのだろうか。焼肉などおいしく食べている時に、牛の命のことまでは考えないのがフツーだろうし。かわいそうの対象ではないようだ。

動物が殺されることは同じなのに、なぜ、犬猫だけがかわいそうの対象となりえるのか。

その理由がわかった!
犬猫だけは、身近にいる上に、人間になつくからである。自分に寄ってきて、愛くるしい仕草をし、かわいい声で鳴くからである。たまにわがままも言う。赤ちゃんみたいだ。そこに情が湧く。情が湧けば守りたくなる。殺されることに対して悲しくなる。人間として当たり前のことだ。だから、他の動物とは違い、かわいそうの対象になるのだ。

同じような要素を備えていれば、インコでもモルモットでもいいわけだ。その中にあって、犬猫は情を分かり合えるという点で別格の存在なのだろう。

そこで疑問。
もし牛が、チワワのように小さくて、名前を呼んだら自分の方にモーモーと鳴きながら、トコトコやってきたら? 自分の足に鼻をスリスリしてきたら? 寝るときに布団の中にもぐりこんできたら? 
きっと、可愛いと思う。殺されるのであれば、なんとかしてあげたいと思う、かわいそうの対象に格上げだ。

つまり、もし牛や豚さんが、手に載るくらいうんと小さくて、人に良くなつく動物だったら、世界中の人はベジタリアンになっているのではないでしょうか。

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