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【コミュ障ってなんだい】

もう5年以上の付き合いになる精神障害者の友達がいる。
彼は仕事中でも、当然襲う幻覚、幻聴にとても苦しんでいたが、外から見るとそれは特に変わった様子でもないので、周りでそれに気が付く人は少ない。ただ「コミュ障」な人だとささやかれている。

ある時、彼は美術展に一緒に行こうと言ってくれた。上野の東京都美術館だったと思う。職場で話す機会はあまりなかったので、その当時はまだ彼の性格や考え方は良く知らなかった。

展示を一通り観て美術館の外に出ると彼は「どおだった?」と聞く。
私は、彼の誘いで来たわけだし、彼の好きな画家なんだろうと考えて、「すごく良かったよ!誘ってくれてありがとう」と答えた。すると彼はポカンとした表情で、「そうなんだ、ボクは全然つまんなかったけど。期待外れ。あれのどこが良かったか言って!」。

ドキッとする言葉だった。なぜなら、私は展示の絵画の良さを全然理解できなかったのが本音だったから。もし自分に絵画に対してプライドがあれば怒っていたかもしれない。

私は恐る恐る言ってみた。「ほんと言うと、よくわかんなかったんだよ」。
すると彼は、ただ頷いて「ふーん、そお。わからなくても別にいいと思うけど」。彼は傷つくことも、私をバカにすることもなく平然としていた。さらに「じゃぁ、二人とも感動しなかったんだから、あの画家はダメだね」とまで。

私はこの時、へんな気遣いをして、いちばん穏便な回答を選択していたことに気が付いて恥ずかしくなった。場面によっては必要な答えだったかもしれないが、よりによって絵画を鑑賞した時の自分の感想だ。職場の付き合いじゃない。なぜ、彼のように正直に言えなかったのだろうと凹んだ。

以来、彼とは毎月1回美術展に行くことを続けている。だからもう60回を超えている。精神疾患だからというわけではないが、彼は何でもストレートに話してくれる。彼に対しても、私はなんでも素直に話をできるからストレスがない。なかなか、自分の気持ちをストレートに言うことは難しいし、それを受け止めてくれる相手も少ないなかで、彼はとても貴重な存在だ。

自分に都合のいい言葉で、自分の考えや気持ちをごまかしたり、自分が傷つかないようにしている日々だけど、もっと素直に話ができる自分になれたら、そんな仲間に囲まれた人生であったならとつくづく思う。

(そこでさらに思う)
「コミュ障」だと言ってしまう人達の本当のところは、自分自身に対して、思いやりとか、配慮が欲しかったんじゃないの。自分が傷つかないような言葉が欲しかったんじゃないの。そうしてくれなかったことの不満を、あの人は「コミュ障」と片づけていない?

「コミュ障」ってなんだい、コミュニケーションが苦手な人なんて沢山いるよ。誰だってそんなところあるよ。上手くできる人達だけが世の中で価値ある人なのかって思ってしまう。

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