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40代になって自分探しの迷路に迷いこんでしまった僕は、アンジュルムになることを決めた。

「しまった!忘れてた!」
思わず叫んでしまい、一瞬周りの人がこちらを向いた。
忘れてた。試合の申し込みを。しかもただの試合ではなくてこの1年間目標としていた大切な試合なのに。
ひょっとしたら申し込んでいたかもしれないと一生懸命メールの送信履歴を探してみたけども見つからない。僕はスマートフォンの画面をみながら呆然としていた。どうしてこんなことになってしまったのだろう。僕は今まで一度たりとも試合の申し込みを忘れることなんてなかったのに。僕にとってフェンシングはただの趣味ではなくライフワークだ。それだけ大切なものだから申し込みを忘れるなんてことはありえない話だった。それでも忘れてしまったという事実がある。なぜなのだろう?やはり仕事が忙しかったからなのだろうか?

「こっちの案件が大変なことになってるからヘルプで入ってくれないかな」
そんな打診を受けたのは今年の春であった。この案件は社を挙げて行なっているある製品のプロモーションだった。
「ああ、ついに僕もこういう大きな案件に関われるようになったんだなぁ」
のんきにそう感じていた僕は二つ返事で快諾していた。
それからは地獄の日々であった。
クライアントからの無茶なスケジュール。終わらない残業。
「この世で一番好きな乗り物は会社の金で乗るタクシーだね」
という話を同僚と頻繁にするくらい、終電後にタクシーで帰宅することも多くなっていた。
そのような状況では必然的にミスも増え始める。
「もう少しクオリティの高いものを望んでいたのですが…」
事情をわかっているのかわかっていないのかよくわからないクライアントが平然とそんな言葉をこちらに投げかける。横では平謝りする営業さんがいる。
ミスなくできて当たり前。ミスがあったら怒られる。加点法ではなく減点法の仕事。最初はキラキラと輝くやりがいのある仕事だったのがいつの間にか罰ゲームのような仕事となっていた。
仕事はだんだん僕のプライベートにまで侵食してきた。
休日にも出勤や出張が増え始める。当然練習や試合にも出られないケースが増え始める。ライフワークであったものがだんだんとそうでなくなっていく。人生の中心が仕事となっていく。そしてその挙句が冒頭の出来事であった。仕事に自分の人生が奪われていく。そう感じるようになってきた。

確かに人生の割合の中で仕事のウェイトが多くなっていくことはよくある話だ。
生きていくためにはお金が必要ではある。夢ばかり追っても仕方がないことくらい40年も生きていけば十分に承知である。
でも、人生の折り返し地点を過ぎた今だからこそ、本当にそんな生き方で良いのだろうかと考えることもある。そんなに楽しくないことばかりでこれから過ごして良いのだろうか。
そんなの本当の自分の人生ではないのだろうか。
そもそも本当の自分ってなんなのだろう。
僕はこの歳にもなって自分探しの迷路にはまり込んでしまった。

その日も僕は迷路をさまよっていた。
その日とはアンジュルムという9人組アイドルグループのライブの日であった。そんな待ちに待った日だったのになんだか浮かない気分だった。
アンジュルムは元々「スマイレージ」という名前のグループだった。それが2年ほど前に名前を変えたのだ。
名前と同時にパフォーマンスやイメージも変わっていった。
スマイレージの時は「可愛らしい女の子」といった感じだったのがアンジュルムになって「大人の女性」をイメージさせるようになっていた。

ただ、その変化は決してネガティブなものではなく、歌唱力の向上や表現力の幅の広がりなど明らかにプラスの要素を含んでいた。
また、名前は変わってもスマイレージ時代の曲も歌っておりそれも好評だった。「今のアンジュルム」も「昔のスマイレージ」も調和がとれていた。それは本当の自分と今の自分の間で葛藤する僕とは好対照だった。

暗闇のなかからレーザービームとともに姿を見せた彼女たち。
いつも通りカッコいい。彼女たちは本当に歌もダンスも上手い。
この部分に関しては他のアイドルグループの追随を許さない。この日もそんな自信に満ち溢れたステージが始まった。

ところがステージが進行していくうちに「あれ?」と思い始めていた。
スマイレージ時代の曲が一曲も出てこない。いつもはそんなことないはずなのに。そんなこちらの疑問をよそにライブはどんどん進んでいく。そしてクライマックスを迎え、アンコールへと進んでいった。
もうその頃にはスマイレージ時代の曲が無いこととかはどうでも良くなっていた。それほど彼女たちのパフォーマンスは圧倒的だった。そして幕が閉じると彼女たちに目一杯の拍手を送り、どこか気分がすっきりした自分がいた。

ようやく気づいたのだ。アンジュルムとスマイレージ、「どちらが」ではなく「どちらも」彼女たちなのだ。自分自身に本当も嘘もない。あるのは今の自分だけなのだ。今の自分が出来る最高のパフォーマンスを見せることだけを考える。だから彼女たちはアンジュルムでもスマイレージでも同じように輝けるのだ。

仕事に追われる自分も、ライフワークを邁進する自分もどちらも自分自身だ。そして今ここで出来ることを全力でやるしかない。そう彼女たちは教えてくれた。

明日の仕事の段取りを考えてみる。次の試合の日付を忘れないように手帳にメモしてみる。そこから始めてみよう。そんな小さなことがアンジュルムのように輝けるためのはじめの一歩だ。言い換えてみればアンジュルムになる。言葉にすると気持ち悪いかもしれないけど、そこに向かって歩みを進めていくことが僕の人生なのかもしれない。


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