憲法改正の限界 !!


我が国の「国体」とは、何ぞや !?

それは、「日本国憲法の前文」である。


敗戦国の日本が、世界に向かって「国民主権」「基本的人権の尊重」「戦争放棄」「国際協調主義」の4原則を世界に向かって宣言した我が国の「国体」そのものである。


現在議論されている「憲法改正」の議論においても、改正することが認められていない「憲法前文」を、ないがしろにされていることは、議会の越権行為としか理解されない事実である。


両院議会の議員の総数の3分の2で憲法改正の発議ができるというが、改正が認められていない「憲法前文」を無視した議論は、意味のない議論である。


逆に、憲法の条文・大概の法律・政令・条例などは、憲法の前文に合致しているのが、日本を「民主主義」・「法治国家」と呼べる唯一の論拠とされる所以でもある。


唯一、日本国憲法の前文に記載されていない例外は、第一章の「天皇」の章だけである。

つまり、日本国憲法の成立の歴史的経緯によって、日本の「国体」に反する「天皇」が存在するという、矛盾が存在しているのである。


憲法で信教の自由は認めらているが、それを条文にあるということは、一種の矛盾である。


以前憲法の改正は、現代になってから「プライバシー」権・「環境」権の追加が、憲法改正の主体と言われていましたが、最近は何でも数で変えられるという風潮にあるようです。


改正できないはずの「憲法前文」と矛盾する意見もあるようです。


憲法制定当時と現在の国際状況の変化・国民の新しい視点からの憲法の前文・条文に合致する権利など、時代の変化による変容などによる改正はありうるでしょうが、何でも、その時々の雰囲気・議会の議席配分では、日本という国家がどの方向に進んでいくのかわかりません。

「象徴天皇」も終戦直後の、その時代の民主主義のちょっと手前の権力者の思惑によって日本の「国体」である、日本国憲法の前文にはない項目が、制定から70年以上もたった現代もそのままになっているのですから。


「明鳥」という落語で、「吉原大門の鳥居は、なぜ黒いのか ?」


という、問いがあります。


こういう質問をされると、だれでも、何故かを考えますが、、、、



答えは、


「黒く塗ったから !!」


らしいです。


法律も、なぜそういう法律ができたんだろうか、、、


「そういう風に、決めたから !!」


という、原因にならないことを願います。




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