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20240320 コアコアのむヨーグルト


豊橋のまちは思ったよりも静かで、穏やかだった。駅は水戸っぽかったし、駅前のアーケードはなんとなく青森っぽくて、そこからすこし外れた路地や小商店の感じはこないだ行ったばかりの黄金町に似ていたが、水戸よりも青森よりも黄金町よりもとにかくひとが居らず、お店はどこも閉まっていた。

ホテルに荷物を置いて会場に向かうと、人蔘湯の玄関口のところに既に何人か集まっていて、誰がスタッフで誰がお客さんなのかがわからない。番台のお姉さんにお金を払って、ドリンク引き換え用の石のようなものをもらう。ドリンクは冷蔵庫からひとつ好きなものを選ぶスタイル。ふつうのビールとかコーラとか水のほかに、伊良コーラとかご当地ドリンクっぽいものもある。人蔘湯でふだんから販売しているものだと思う。「コアコア」と書かれた飲むヨーグルトが気になり、「これは愛知のローカルドリンクですか?」と聞くと、そうです、愛知ヨークという会社が作っていて、日本ではじめて飲むヨーグルトをつくった会社なんですよ、と教えてくれる。「ふつうのライブハウスには無いラインナップですね」ふつうのヨーグルトはどうやら小中学校の給食で出ることもあるらしい。

このままお風呂に入りたい。お風呂に入るなら明日また来るしか無いが、スケジュール的に無理があるので、せめてすこしだけ物販をあさってみる。豊橋の銭湯を紹介するマニアックなZINEがあったので、ポストカードと一緒に手にとって番台に持っていくと「800円です。これ800円もするんですよー高いですよね!」と笑いながら言われる。どうやら作っているひとは人蔘湯の関係者のようだ。番台さん、おしゃれで感じの良いひとだなぁと思いつつ、「いえ、(本の)つくりがしっかりしているから、ぜんぜん(相応の値段ですよ)・・・」とか何とか、いつものようにモゴモゴ判然としないことを言ってしまう。

会場は女湯のほうで、脱衣所と思しきスペースがライブの物販会場になっていた。のれんをくぐってドアをあけると、浴室のいちばん奥に水風呂、その手前に譜面台があって、村上さんはここに立って歌うであろうことが分かった。そして、その周りに所謂ふつうの小さなバスチェアがぽつぽつと設置されていて、私たちはこれからここに座ってうたを聴くであろうことが分かった。適当なバスチェアに腰をおろして、買ったばかりのZINEを読み始める。(もともと銭湯には関東系と関西系とふたつの流れがあり、それぞれ間取りなどが違うのだが、位置的に東西の中間にある豊橋の銭湯はどちらの特徴も持ちながら豊橋特有の構造も持っている、という銭湯の地域性に着目して分析する頁が一頁だけ差しはさまれていたのが面白かった。)続々とお客さんが来て、いろいろなところに座る。番台のお姉さんが来て「浴槽のなかでも大丈夫ですよ」と言うと、何人かがお湯の張っていない浴槽にはいって、ぺたんと座り込んだ。みんなで服を着たまま、女湯の浴槽のなかやバスチェアに座って、飲むヨーグルトだのスーパードライだの伊良コーラだのを飲みながら、弾き語りライブの開演を待っている。こんなに奇妙で爽快な風景は無いと思った。

ちゃんとSEも用意されていて、気づくとくるりの「ワールズエンド・スーパーノヴァ」がかかっていた。(今回の企画はさっきの番台のお姉さんのつくったものだと後でわかった。SEのお風呂ックDJ MIXもたぶん、そのひとがつくったんじゃないかな。)ZINEをあらかた読み終えたところで、村上さんがギターを持って入ってくる。「すごい光景っすよね」挨拶はかんたんに、すぐにうたが始まる。

2年前に祖父が亡くなってから(いや、たぶんもっと前から)私は、目の前の大切なひとが失われていくイメージにひどく囚われている。いままで色々なひとを失ってきた。正確に言えば、多くの場合そのひとの存在自体は失われておらず、コンタクトをとろうとすればとれるのかもしれないが、確実にいままでの大切な関係は失われている、そういうことが度々あった。(アニメ「葬送のフリーレン」最終話で登場人物が「今生の別れは死別だけではない」というようなことを言っていた。)私は、関係を失ってきた。中学校のときに仲の良かったひと、高校2年のときになぜか一緒にいた後輩、大学で本の話で盛り上がった友人、職場でたくさん音楽を教えてくれたひと。自分の拙さや社交性のなさが祟ることが圧倒的に多いが、どうしようもない状況に巻き込まれることも多々ある。いま新たに生まれつつある関係も、安定的に維持されてきた関係も、あるいはもう既に壊れかけているのかもしれない、いつか壊れていくのかもしれない、という強迫観念に囚われる。私はいつも、隣にいるひとを失っていく恐ろしさにびくびくしている。

おいしいランチを食べると電話する
「今度は一緒に行こうね」とか言ってみる
「生きてるあいだにあと何回行ける?」
なんて、生きてるあいだにあと何回聞ける?

明日、照らす「ダウンタウンヒーローアンドヒロイン」

祖母の家に頻繁に行くようになった。祖父を亡くしてから、ご飯をつくらなくなったと彼女は寂しそうに笑う。「ひとりでつくって、食べてても、楽しくないでしょう。張り合いがなくってねえ。じいじは口うるさくて厳しいひとだったけど、ごはんは美味しそうに食べるから。ゆうちゃんが来てくれて嬉しいわ、ばあばは誰かのために料理をするのが好きだからね。」その日の食卓には鰤の照り焼き、ポテトサラダ、金平やほうれんそうの胡麻和え、だいこんの味噌汁が並ぶ。「おいしい」と口にしながら私は、あと何回ここに来て、祖母のごはんを食べられるだろうか、と思う。できるかぎり、会いに行って、昔の話を聞きたい。彼女の見ている風景を歩いて感じたい、と思う。

仙台から出て関東に来たら、武蔵境や桜上水に行って友人に会う。最近は松本まで出て友人に会う。そのひととの関係を、繋ぎ止めるようにしてなるべく会いに行く。大袈裟に思われるだろうが、毎回、もう会えないかもしれない、これが最後かもしれないと思いながら会いに行く。一方的で申し訳ないなあとも思うが、そうでもしないと簡単に離れてしまうのではないか、と思っている。でも、毎回、相手にはおもっていることを何も伝えられない。

豊橋まで青春18きっぷをつかって鈍行を乗り継いでやって来た。お金が無いのでタバコ臭い安宿をとった。20〜30人くらいのお客さんでいっぱいになる演者との距離感の近い会場だから、ライブ後の村上さんと話すこともできるかもしれないと思った。こんな機会は滅多にないだろうからなにか話したい。もし話すことができたら、たくさん伝えたいことがある。村上さんのつくった曲がもう大学時代以降の記憶の隅々にまでしみこんで一体化して、ときどき思い出したくないことも連れてくるからしんどいこと。でも、聴かずにはいられないこと。いま好きで聴いている音楽のなかにはパンクやロックはほとんどないのに、明日、照らすはいつまでもふとしたときに聴きたくなって聴いてしまうこと。村上さんの歌詞に触発されてつくった短歌や詩のこと。ブログ「硝子戸の中」や最近の歌詞解説のこと。話したいことはいくらでも浮かんでくる。それでも、何も話せなかった。緊張して、恥ずかしくなって、ほかのファンが話しかけている横をすっと通って、人蔘湯を出てしまった。番台のお姉さんにも今回の企画のことをたくさん聞きたかった。こんなイベントを企画してくれてありがとうございます、信じられないくらい良かった、声の感触が全然違った、って言いたかった。なんで自分の思っていることを言えないのかな、と悶々と思いながらホテルに戻った。

あなたに会ってちゃんと言えたらいいな
気持ち半分の、いや、もうそれ以下でもいいや
僕は笑ってまた茶化すんだろうな

明日、照らす「ダウンタウンヒーローアンドヒロイン」

横浜からわざわざ出てきてくれた友人と等々力で会って、幼馴染とは松本でお酒を飲んだけど、言いたかったことは何も言えなかった。自然と口から出てくることばではないからだろうか。伝えたい気持ちは伝えられない。伝えることは無意識的に半分くらい諦めているのかもしれない。かわりに、何かを書くとか、写真を撮るとか、うたを歌うとか、詩を書くとか、制作的な出来事に落とし込むことでなんとかしようとしている。口にするということが苦手だから、こんな夜中に、この文章を書いている。村上さんが、なにもできないけどとりあえず曲にする、曲にすることはできる、とどこかで書いていたように。歌詞にすることで誰かに聞いてもらって、体に燻り残っていた気持ちを消化する、と言っていたように。

これから会いに行くひとに渡すお土産を用意する時間が、いつも本当に楽しい。仙台を出発する前に、ぐだぐだと悩みながらお店をめぐる。松本・浅間温泉を歩いていたときに書いた詩をクラフトペーパーに印刷してみる。これも渡してみようか。口に出せないことをとりあえずお土産にしたためる。思っていることを、お土産を用意する時間のうちに祈るようにしたためる。一方的だなあと笑って、でも思いなんて大抵一方的だよなあとも思う。このお土産が、これから、会いに行く理由になる。

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