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【創成期】 プロローグ 第1章 (2/3)まとめ

※本小説はこちらのページの続きになります。


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去る者と追う者


「ここのお宅の事情は分かったけど、それがおたくとどんな関係あんのやろ?」


時の流れが止まり、空気が再び凍りついたのが感じられた。

なぜ彼が言葉を発する度に、こうも空気が揺れ動くのだろうか、それがとても不思議でならなかった。

彼が言っているのは問いかけでも、投げかけでもないような気がした。

それは相手のなにかに向けて、”なにか”を響かせているように聞こえるのだ。

深い水面の底にある一点に向けて小石をそっと落とすように。

それは小さな波紋から、やがて世界を覆い尽くす大波となってその影響を広げていくのだ。

「そりゃあ……ねえ……いちよう近所に住んでる間柄やし、あまりにも心配やんか。」

不意を突かれたからか、彼女たちの声のトーンは下がり、僅かに震えていたように聞こえた。


「おばちゃん、同情は美徳でもなんでもないんやで、それは相手を救うどころか、貶めとるだけや。」


彼は、論じたいのだろうか、教えを説きたいのだろうか、それとも持ち前の人生哲学を語りたいのだろうか

いずれにせよ、私は彼の話す言葉ひとつひとつに影響を受け、その男に興味を抱いていった。

それまで私が知っていた大人とは、あきらかに何かが違っているように思えたからだ。


「それに他人の家をじっと見続けるもの、あんまりいい趣味とはいえんのちゃうかね」


たたみかけるように男は言い放ち、少しの間、また沈黙が流れた。



私は彼らがどういった状況にあるのかが容易に想像できた。

彼らは今、その面持ちを合わせながら相手を図っているのだ。


片方は冷たくも、煮えたぎった視線を相手に送っているだろう。

そしてもう片方は、柔らかくも鋭く、全てを見透かしたような視線を相手に送っているだろう。


それから一切の言葉が交わされることもなかった。

やがてコツコツとした慌ただしい、足音が聞こえてきた。

その足音はドロドロしたものを、少しずつ地に落としているような音だった。


空気が少しずつ日常の流れを取り戻していくと、私は一つの緊迫したシーンが終わったことを理解した。

ハイエナはオオカミと睨み合い、本能で何かを悟り、

争うことなく、群と共に去っていったのだ。

しかし、あの乾いた声の男性の所在が掴めなかった。

少なくともその男性の足音と思われるものは私の耳に、残っていなかったからだ。

まだ、家の前で立ち尽くしているのだろうか。

彼女らの騒々しい足音にまぎれてどこかに去ったのだろうか。

それとも彼は、覚醒したての私の眠気がもたらした幻想だったのだろうか。


そんなことを考えながら、私は緊張の糸を少しずつ緩め、また少しずつ意識を眠りへと落とそうとしていた。


けれど私はそれが夢でも幻想でもなかったことをすぐに知ることになる。


玄関のチャイムが鳴ったからだ。


無への接触

その音は、屋内の冷え切った空気全てを、静かに揺らしているような鳴り方だった。

昼前のその時間にチャイムがなることは滅多になかった。


田舎町の一軒家にそれを鳴らす人といえば、新人の営業マンか、宗教の勧誘か、せいぜい回覧板ぐらいだろう。


とは云いつつ、かつては同じような時刻によく同じアラームが鳴っていた。

同級生、学校の先生、親戚、ボランティア、ソーシャルワーカーといった人たちが私とコンタクトをとろうとしていたからだ。


彼らは同時に電話も頻繁にかけてきた。

最初は指で数えきれないほどにあったから、相当騒がしかったものだ。


もちろん全てを拒み続けられたわけでもない。

道義上と言うべきか、社会的責任とも言うべきか、学校は保護者へ連絡する義務があるからだ。

父を通して、私は半ば強制的に彼らと会わなければならない状況があった。

彼らが聞きたいのはもちろん”なぜ学校に行かないのか”だ。

検察官に問い詰められる被告人のように、同じような質問を何度もされた。

けれど私がその質問に対して答えたことは一度もなかった。

答えたくなかったのではない、”答えられない”のだ。

必死に言葉を探すが、彼らが納得するような理由を私はとても思い浮かばなかった。


いいや、私は答えたくなかったのかもしれない。

仮に答えたとしても、彼らがその答えに対して取り合わないことが目に見えているからだ。


彼らは口をひらけば、一般の学生が辿るべき道筋というものを淡々と話していた。

そして彼らが語る一般化された人生論は、私のどこにも触れていないからだ、

知らず知らず自らになにかを植え付け、そのなにかを通して世間に生きる存在。

それが当時の私にとっての”大人”だった。

当時私が望んだのは理解されることではない、誰からも忘れ去られることだった。

やがて時がたつにつれて、その願いは少しずつ叶っていた。

一人ずつ、着実に私との接触を諦めていった。

そう、存在してはならないのだ。

誰の世界にもわたしは存在してはならないのだ。


虚ろの弾手

頻繁に過去に飛ぶ私の意識を呼び戻すように、また玄関のチャイムが鳴った。

2年の引きこもり生活で学んだのは、ただの生活音や機械音にも演奏者の意思が伝わるということだ。

今まで聞いてきたそれは物々しいバックグラウンドを含ませていたが、その音は文字通り、”ただのチャイム”だった。

まるで機械が誤作動を起こしているように。


呼吸を静かに3回ほど繰り返したころ、今度はノックの音がした。

それはとても正確で規則正しく、空気を振動させた。


大きすぎず、小さすぎず、早すぎず、遅すぎず、

コン、コン、コン、と…

音の主は人間の心を理解していると言いたげなのだろうか。

私はというと相も変わらず、防衛本能が命ずるままに、警戒心を尖らせている。

その音から察するに玄関の向こうには間違いなく、”あの男性”がいるのだろう。

しかし、なぜ彼が我が家のチャイムをならさなければならないのだろうか…

私は記憶を総動員させてみたが彼にあたりそうな人物は思い当たらなかった。

私の知る限り、父や姉、もちろん母の関係者でもそのような人は思い当たらない。

いいや、そもそも彼は先ほどの彼女達との会話でこの家を、この家庭を、そして私を初めて認知したような様子だった。

つまり、彼は今さっき認識したばかりの、黒い噂がただよう得体のしれない存在に接触をしようとしているということだ。

そう考えると彼の目的を考えられずにはいられなかった。

その動機は知的好奇心からくるものなのか、それとも正義心や義務感の類か、それ以外のなにかか…

いずれにせよ、その理由が判明しない限り、私はそのコンタクトに反応するつもりはなかった。

また少しの間が沈黙が流れていたが、玄関前から男性が去ったような様子はなかった。

足音も聞こえてこないうえに、その気配は確かにそこにあったからだ。

このまま、応答があるまで待ち続けるのかと思っていた矢先、玄関のポストが開く音が聞こえた。

すると同時に、スタスタとした足音が遠のいていくのが聞こえてきた。


相も変わらず、無機質な音を刻みながら…


慣れない手紙

彼が去ったと思われる時から1時間ほどたった頃、ようやく私は玄関に向けてそっと歩を進めた。

警戒心を緩めないのは自分の巣穴付近に天敵がいるかもしれないからだ。

まずは二階の窓から外の様子を確認し、人気がないことを確認して、その窓をそっと開ける。

そして耳をすませ、私にとっての安全が確認がとれればようやくポストの確認へとステップを進める。

閉ざされた世界に住む人間にとって、外との接触はもっとも警戒すべきことなのだ。

我が家のポストの悪い点は、家の中から郵便物を取り出せる埋め込み式のタイプではないということ

良い点は玄関から身を乗り出すこともなく、手を伸ばすだけでその中身を取り出せるということだ。

改めて私は外に人がいないか耳をすませ、そっと玄関を開けて片腕を伸ばし、手探りでポストの取り出し口を開けてなかにある郵便物をさぐった。

チラシ特有のツルツルした感触と共にもうひとつさらさらした”何か”が入っているのが手の神経を伝って確認できた。

それらを傷つけないように掴み、そっとなるべく音を立てずに取り出し、流れるようにポストと玄関の隙間を閉じた。

足早に自室に向かい、少し呼吸を整えたあとに手にもっていたモノを確認する。


一つは宅配ピザのチラシだった。

企業のマーケッターとデザイナーが必死に考えた、カラフルでありがちなフレーズとか、消費者心理を刺激するクーポンが散りばめられているものだ。

もう一つは封筒だった。

それはひと昔前の純愛映画に出てくるような白い横長のもので、購入してすぐ使用したもののようにシミやシワひとつないものだった。

表には私の名前が様付けで書かれてあり、裏面にはなにも書かれておらず、切手は貼られてなかった。

どうやらこの封筒の送り主はあの男性で間違いなさそうだ。

そして、あのチャイムやノックは”私に向けられたもの”だったということになる。

おそらく、私の名前は表の表札で知ったのだろう。

しかし、ひとつ理解できないことがあった。

彼がなぜ私の名前の後に「様」とつけたのだろう。

差出人が私の年齢を知らない限り、私の宛名には大抵「くん」がつくのがほとんどだったからだ。


慣れない経験に違和感を覚えつつも私は慎重に封をあけた。


パンドラの手紙

それは一枚の便箋が入っていた…

その便箋は綺麗に三つ折りされていた状態で封入されており、取り出した時点ではそこになにが記されているのかが分からなかった。

私はすぐにそれを広げ、中に記されている内容を確認することもできたが、一瞬、無意識的に留まった。

これまでの一連の流れの意図がまったく掴めないからだ。

その男性は偶然私の家の前を通り、偶然私の家の前で屯っていた女性達に私の家族と私の話を聞いた。

一連の事情を伺ったのち、彼女達を半ば強制的に退け、私に接触をしようとしたがそれは叶わず、この便箋になんらかのメッセージを残した。

それらを何度振り返っても、どれだけ考えても、彼の動機が思い当たらないのだ。

もしかしたら彼は、父か学校から依頼された児童施設の職員かもしれない。

先ほどは本当は知らないふりを決め込んでいただけで、仕事上のトラブル要素をなるべく取り除きたいから、彼女達に対してあのような対応をとったのかもしれない。

そうだとしたら妙に納得がいった。

人間、得体のしれないものには、創造性溢れる憶測をするものだ。

特に狭い環境に住み慣れた人間はとってはとても容易い。

私の推測が本当なら、父や学校が外に出て行こうとしない私に対して、圧力を伴った強硬手段をとったということになる。

そう考えると私は、その便箋がまるで裁判所から送られていた召喚状のように、異様で堅い書物に思えてきた。

きっとその便箋には私にとって、ある種の覚悟を決めなければならないものが書かれていると思った。

私は中身を確認せずに、それをびりびりに破いて忘れ去りたい衝動に狩られた。

けれど、その衝動に反論するように希望的観測も浮かんできた。

改めて考えれば、あの男性が児童施設の職員とは思えないからだ。


経験上、そういった雇われ者はなるべく無用なトラブルを避けたがるし、第一、あの男性がどこかの組織に属しているような人物に思えなかった。


整理のつかない思考を呼吸で整えたのち、私は覚悟を決めた。

湧き上がってくる緊張と希望と絶望を携え、ゆっくりと閉ざされた便箋を開いていった。

天の啓示か、それとも悪魔の囁きか、

鬼が出るのか、それとも蛇が出るのか

もちろん、そのどちらでもなかった。


答えのない問い

パンドラの箱のような手紙を開いた瞬間、私は一瞬戸惑った。

きっと、びっしりと小難しく、非常に周りくどい何かが記されているのだろうという当初の私の予測を裏切ったからだ。

その便箋のほとんどは”まっさらで無記入”の状態だった。

一瞬なにも書かれていないのではないのか、と思ったほどだ。

そしてそこにはたった一言、右上に添えるようにこう記されていた。


【あなたはそこにいますか?】


本当に、たったそれだけだった。

私はこの目の前の現実にどう対応したらいいのだろうか?

一度、その手紙を光にかざして透かしてみたが、文字を消した痕跡もなければなにか特殊な細工がされたようなものでもなかった。

それはただ”あなたはそこにいますか?”と書かれた紙だった。

とりあえず、わたしは内容について自分の解釈を整理することにした。


まず、その手紙の宛名は私だったので、この質問は私に向けられたものということになる。

次に、この質問のもっとも謎めいているのは”そこ”という部分だ。

当然ながらこの手紙には”そこ”が一体なにに当たるものなのかを示している記載がまったくない。

つまり”そこ”という代名詞が何を指しているのかでこの質問の意味が全く変わってくる。

普通なら”家”にいるのか?という意味で解釈する。

けれどあの謎めいた男性がそんな意図でこのメッセージを残したとはあまり思えなかった。

もしかしたら、これはもっと抽象的で、統合的な質問なのかもしれない。

”存在”を問いているのかもしれないし、

”精神”を問いているのかもしれない

もしくは”生死”を問いているのかもしれない。

いずれにせよ、その質問の意図がわかったところで私は答えられそうになかった。

仮に答えられてたとしても、それになんの意味があるのだろうか。


さらに謎めいていたのは封筒にも便箋にも、差出人に関する情報の記載がなかったことだ。

これだと、まるでたちの悪いイタズラにあったようだ。

返事はいらないから己が心に問いかけてみよ、とでも言いたいのだろうか。


さまざまが意図が絡みついたかのようで、非常に腑におちない気持ちだった。

考えれば考えるほど、底の見えない疑問が湧き出してきた。


今思えば、私はあの人の思惑に見事にはまっていたことになる。

いいや、あの人の場合、策略というよりかは表裏のないコミュニケーションだったのだろう。

私がその答えともいえない答えを知ったのは、それから半月後のことだった。


人を閉じ込めるもの


それから2日おきにその男性は家にやってきた。

私は応答しなくても、彼の存在を知ることが出来た。

なぜなら彼はいつも同じものを携え、同じ余韻を残していったからだ。

いつもと同じ、正午前の時間にチャイムを2回鳴らし

いつもと同じ、規則正しいノックを3回おこなっていた。

唯一最初の訪問の時と違うのは、手紙が投函されていないことだけだった。

訪問の回数を増すごとに、私は薄気味悪さを覚えた。

けれどそれに反発するように、妙な好奇心が芽生えてきた。

いずれも相変わらず、彼の行動の意図がまったく理解できないことが原因だ。

彼は無意識に行なっているのかもしれないが、彼がとっている私との距離は絶妙だった。

もう少し、彼が頻繁に訪ねてチャイムを鳴らしたり、手紙を投函し続けていたりしていたら、私は彼に対して拒絶するしかなかっただろう。

だからといって訪問の期間を空けてしまうと、奇怪な出来事と記憶して忘れ去っていただろう。

それはまるで城壁の石を一つ一つ取り除くように、慎重に、丁寧に、そして規則正しく、私と彼の間にある何かを崩しているように感じた。

普通に考えれば招かざる客のはずなのだが、彼の場合は不思議なほどに警戒心が刺激されなかった。

おそらく、彼は私からなんらかの応答がない限り、ずっと同じことを繰り返すのだろう。


明後日も、一週間後も、一ヶ月後も…

悩んでいることでもなかったが、どこかの時点で、どちらかがこの均衡を崩さなければいけないことは明らかだった。

そう考えると私はいっそ、彼と顔を合わてみても良いのではないかと思ってきた。

山のような疑問を考察するより、彼に直接問い正せば一瞬で解決する。

そして、私は誰とも会わないとただ一言彼に伝えれば、私はいつもの平穏な日常を取り戻せるのだ。


胸中に少さな動機を見出したと思ったら

今度は反発するように理性が押し寄せてきた。

いったい何をいっているのだろう。

親切心と同情心という化けの皮を被った大人を、今まで多く見てきたではないか。

手前勝手な虚像を演じ、縋り付かんとすれば突き放す人達だ。

彼に会ったところでせいぜい、説教されるか、よからぬ勧誘か、下手すれば危害を及ぼす可能性だって否定できない。

何を期待しているかは知らないが、今までそれに答えてくれる人はいたのか

そう”何もせずに希望から押しかけてくることはない”のだ。



いつも私を閉じ込めていたのは歪んだ観念だった。

死ぬまでそれと付き合うつもりだった。

下手な子供より、悟っている気でいたのだ。

後々にそれが非常に小さな世界だったことを知ることになる。

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