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無礼者が贈る、ここが嫌いだよ。ディズニー『ウィッシュ』を徹底して挙げてみた【7選+】

やあ、『ウィッシュ』はもう観たかな?
劇場公開から1週間!! いや、2週間か?
観る人はもう観たし、迷ってる人は感想聞きたいタイミングだろう。

つまらんぞ?

うん。つまらん。
だが、ちょっと待ってほしい。
単にひとこと「つまらん」で済ますには惜しいほどクソだ。

そこで、個人的に「いやだなあ~」「嫌いだなあ~」と思った点について出来る限り言語化してみた。
何となく不満が残ったという人へのカンフル剤になれれば最高だ。

楽しんで観た方は「こーゆー人いるんだね」「こんなこと気にするんだ」という視点でみてもらえると嬉しい。

断っておくが、ネタバレ上等だ。
いいね?
では始めよう。

前提と品書き


この映画のテーマは「ウィッシュ」、つまりは願いだ。脚本のジェニファー・リー曰く「願いをかなえようと懸命に生きることに勝るものはない。これがこの映画のテーマです」(産経新聞)

100周年に不足ないテーマだ。
今後の100年の為にも、ディズニー社制作の物語の今後の方向性を意識した作品になっているに違いない。それがこの体たらくなのだから……逆に捨て置けないのだ(愚痴)

よし、ネタバレ全開で項目別に悪口を書いていこう。
以下は品書きだ。
1、何でもありな魔法
2、アホの悪役
3、経済活動の抹消
4、「願い」の粒度
5、主要キャラの「願い」の不在
6、星「スター」の位置付けとコメディの価値
7、オチの是非

我、無礼者なり

1、何でもありな魔法

ディズニー作品では歴代様々な形で「魔法」的な演出・行動がなされた。
故に、視聴者は多少の「魔法」ごときでは動じない。
これにより生じた問題が、この悪口1「何でもあり」だ。

作中、国王マグニフィコの使用した魔法は多岐に渡る。
願いを叶える魔法、願いを保管する魔法、本を守る蝶、城のギミック、変身、杖製作、拘束、雷や雲を操る。
作品の舞台・ロサス王国自体がマグニフィコの魔法の可能性まである。
兎も角、相当色々出来る。

次いで、対抗馬の「スター」
生後間もないロバにヒト語をしゃべらせ、木やキノコは踊り狂い、様々な動植物が友好的になる。
その気になればなんでもできそうだ。

この、万能vs万能が作品の「魔法」の争点といえるのだが、これが永遠とはぐらかされる。茶番だ。悪い意味で先が読めない。
で、最後は国王側の自爆。(はあ。かわいそ。)

或いは「魔法」vs「願い」だったのかもしれんが。
国家レベルの経済性と個人の望みを正面からぶつけて個人が勝つのは、、実に夢物語だ。主人公「アーシャ」がテロリストや厄介な活動家と呼ばれるのも無理ない。恋愛を作中から排したことで『ポリコレ』関連を回避したようではあったが、個人の願望が社会をひっくりかえすという根本的なダイナミズムには香ばしいものを感じざる得ない。

この茶番がディズニーが100年の粋を結集した「魔法」と「夢」かと思うとやるせない。
空気感だけで売れる作品はある。それが長じて面白い作品もある。しかし今回の『ウィッシュ』ははなから其れを狙っている風体だ。薄味出汁なし工夫もなし。こだわりを見せてくれ。
説破、夢と魔法の王国とはなんぞや?

2、アホの悪役

様々な物語に於いて、敵役がアホになるのは定番とすらいえる。
昨今なら、なろうの追放系ジャンルを漁れば例に事欠かないだろう。

作中序盤、マグニフィコ王は国の秘密を見せびらかした上で、主人公アーシャをめっちゃ煽る。煽りに煽って放逐する。
調子がいいとか、油断しまくりで舐めているでは足りない。
アホ丸出しである

そりゃ当然、反感を買う。語ったら記憶消すぐらいやれ。
魔法使いでしょ??
魔法抜きにしても、なんか……精神的に縛ったり、脅したりできるやん?

多少メンタルに問題を抱えていたとしても、国王マグニフィコは一代で国を立ち上げた傑物だ。しかも万能レベルの魔法使い。どインテリだ。人心掌握などお手の物であってほしい。悪役ならはずる賢くあってほしい。

平たくいえば、脚本の都合でアホにさせられている。伏線とか、ないん? あ、ない……。
時間と金、幾ら掛けたの? 
まあ、言い訳にならないけど。

3、経済活動の排除

どうやって国が運営されてるのか不明。
作中、ケーキやクッキーを作っているが小麦等の材料の出所は描かれない。硬貨紙幣もなければ売買・交換もない。あー、ロバ飼ってるんだ。熊とか近くにうろついてるけど大丈夫?
そも、誰でも移住できる国ってなに? ぜんぶ魔法で補ってるの??
この辺が作中頭からずーっと気になる。補完はない。
何でもありの魔法の国ならそれはそれで結構。しかし説明はほしい。
その辺誤魔化しての王権簒奪する話はかなりクレイジー。

作品冒頭で「地中海の~~」という現実世界のワードが出てきたせいで尚のこと混乱する。

「そんな生臭いこと、ディズニーに求めてない!」
かもしれない。が、アナと雪の女王はその辺の目配せも相当だった。
アナ雪作れたスタジオがこの体たらく?
ふざけた手抜きでしかない。

経済活動を省いた結果、キャラの生活感、作品世界と観客の五感が連動するグルーブ感が成立しなかったことも大きい。個人的には宮崎駿作や高畑功作の魅力はそこにあると考えている。
いや、別にそうなれって話じゃないけどさ。ちと、キャラをキャラとして描き過ぎてはいないか?

4、「願い」の粒度の無視

作品の舞台・ロサス王国では18歳になった国民は個人的な願いを国王に丸投げし、いずれ叶えてもらうというシステムがある。丸投げした際、国民は関連する記憶や衝動を忘れることができる。国王は国民の思想を検閲し、国益を踏まえて国民の願いを成就させてあげる。国王の人気取りとしてもバッチリ機能している。実に賢い。

以下は作中の例
「騎士になりたい」「服飾関係で活躍したい」
これはOK。
成程。叶え易いし、使いどころが明確。国益だね。

「人の心を動かす何かがしたい」 
扇動になりかねない! 凍結!!
「空を飛びたい」「高い山を登頂したい」 
国益にならない! 凍結!!

あのさ。願い事も導いてやれば??
国王に作中以上の苦労を求めるのは酷な話ではあるが、国民がどんなことを願えばいいのかガイドライン的なものがあればよかったのだ。
叶えられる願いと叶え難い願いが2つあったとして、後者が達成されない理由は前者と比較して価値が認められなかったからではない。(当然だ)
具体例を挙げよう。
核家族で子供は2人の家庭。クリスマスに子供の欲しいものを親が聞いた。子供Aが「任天堂switch」、子供Bが「なんかたのしそうなもの」
当然、親としては子供Aの方が通りがよい。買ってあげるにせよ、保留するにせよ具体的だ。対して子供Bには更なるヒアリングが必須だろう。

これはマグニフィコの数少ない手落ちではある。

が、だ。

問題はここではない。主人公アーシャの反応だ。

叶えられない願いの存在に憤慨して、国(例の延長ならば家庭)ごとひっくり返すというのは馬鹿げている。

これを真面目に数百億円かけて垂れ流しているのだから戦慄する。

5、主要キャラの「願い」の不在・それによる弊害

主人公アーシャの願いすら、よく分からない。
魔法使いの弟子になりたい? 人の願いが叶ってほしい?
生活にも困ってない、悩んでない主人公故、物語の起爆点になる願いを持っていない。
作中で自己開示や変容がある訳でもない。衝動的なゲリラ活動のみ。
主人公としては失格級。物足りない。キャラが薄い。

そもそも作中で「願い」自体が争点になる事がない。

国王マグニフィコの建国がらみの「願い」
王妃のスタンスや「願い」、或いはハンディキャップを持つ者の「願い」

どれも面白そうだと思う。「願い」が描かればキャラは間違いなく深掘りになる。キャラに対する推しや好嫌も成立するだろう。有り体にいえば、「願い」は観客に愛される為の重要な要素だ。
尤も、個々の「願い」と物語を絡めるハードルは半端なく高い。
『ズートピア』の複雑さからもそれは伺える。
ああした作品こそが滋味深いと筆者は考えている。無論、滋味深い作品ばかりでは胃もたれするのだが……。敢えていうならば、『甘くもない菓子パン』を好んで食べることもないのだ。
オマエのことだぞ?『ウィッシュ』。

今回、「願い」はあくまで「アイテム」ないしは「人質」として描かれている。かといって、争奪戦のようなドラマを生むキーアイテム(*)としても機能していない。(*ニワトコの杖とかインフィニティストーンとか。)

兎も角、話の根幹でありキーワードであったはずの「願い」の扱いは雑の一言に尽きる。ふんわりしすぎなのだ。この辺は悪口1「魔法」のお約束にも言えることであった。中世なーろっぱじゃないんだからさ。もっとこう、法人格と看板に誇りを持って仕事をしていただきたい。

あと「願い」についていえるのは映像的な綺麗さだろうか。
あれもまあ、個人的には評価し難い。
あんなラプンツェルの焼き直し見せられてもね。あれは映像美以上に明かりの正体とかストーリーとしてグッとくるものだった訳で、今回のは……むしろ白けた。

6、星「スター」の位置付けとコメディリリーフの価値

今作の目玉キャラであった「スター」について。
主人公「アーシャ」が星空に願掛けをした時、空から落下してきたUMA。
この「スター」が身体から魔法の金粉を振り撒くことで、騒ぎが大きくなる。確かに愛らしい。異物感の残る造形がかなり良い。

で、お前なんなん? 
最後まで正体不明、場を繋いで、踊り狂わせて絵を盛り上げて。
キーアイテムとトリックスターの合わせ役としてディズニー作品全般でも珍しい、唯一無二のキャラクターにも思えたが、これは他のキャラのキャラクター性を排除した故に成立した配役にもみえた。
他のキャラに行動原理が無さすぎるが故に、無軌道に場をかき乱す異物が必要なわけだ。「おさるのジョージ」やリオ&スティッチに類似性の一片を見出せるだろうか?(いや、失礼か)

さいごまで妙に友好的で、意味不明な存在として空に帰っていく様は、お約束というにもキツイ。困惑が勝る。
(仮に「スター」がアーシャの願いの具現化したものでアーシャの裡に戻るという話であったなら個人的には手のひらクルクルしてた)


で、コメディについてだが、、。
木や鳥、ロバが踊っても面白さに欠ける。だって思い入れないもん。
つーか、尺が長げぇ。
物語の筋に関わらない畜生(失礼)の領域展開は尺以上に冗長。ダルい。

登場人物が自分で語れ。魔法に掛かってでもいいから、キャラに喋らせろ。
その点、アナ雪は1も2も良かったゾ。
あの、なんだっけ。ソリの男のラブソングとか。

7、オチの是非 願い続ければ……じゃ、ねーのよ。

オチが最悪。
願いを他人に委託するという舞台設定上、ラストは「夢は自力で叶える」話になり、少なくともそこは経由することは予定調和だ。
実際、作中ラスト付近では主人公の祖父さんが人の心を動かすという願いの下で楽器を演奏する。これは良いシーンだった。

で、ラスト。主人公アーシャは空に帰るスターから魔法の杖を貰う。
よく知らんが、作中の魔法は大体できるのだろう。

え、で? 
何でそんなもん貰ったの? マジで魔法使いの弟子になりたかったんか?
で、最後までおんぶに抱っこで魔法使いに入門?
馬鹿だろ。馬鹿だったわ。2時間丸出しだわ。

せっかく作中の魔法使い国王マグニフィコが後天的に魔法なるものを身につけ、魔法関連の書籍まで集めて、国作って……。この世界の「魔法」は地道な積み重ねの果てにあると示唆されていた。

その点オマエ(アーシャ)は、一体何がしたいねん。
人の願いを叶えますってか? 過程を省いて? お前は努力せず? 何一つも贖いもせず?
はぁーー。作中で最も成長しないキャラはアーシャ、お前ってことでええか? ええな?

ロクでも無さすぎて映画の内容すっ飛んだわ。二度目観る気は起きないし。

* その他まとめて

細かい事を述べればまだまだある。
くしゃみの下りやクッキー踏み潰したり。
冒頭、こっそり家族に黙って、国王に取り入って身内の願いを優先的に叶えて貰いたがる浅ましさだったり。城周囲の地形もうん?ってなったし、父親が哲学者だのの下り、必要なん? 
まあ、国王が故人覚えてるのは結構だが。元来、因縁とかあったのかしら。

……よし、悪口はここまでにしておこう。
筆者が感じた不快感は必ずしもワールドワイドなものではないのだろうが、流石に各箇所に不出来が目立つ。やはり良い作品とはいえまい。

うむ。とはいえ。
まだ楽しみ方があることにも触れておきたい。
散々あげつらった事への、ある種の贖罪だ。

パンドラの箱の底、あるいはパッチワークの裏、そして都市伝説へ


作品のストーリーや構成・演出を鑑賞するとこが映画の本懐であるわけだが、世の中には必ずしもそうではない作品というものが存在する。
『私小説』の類だ。

2023年7月に公開された宮崎駿『君たちはどう生きるか』は記憶に新しい。
現実のメタファーや、作り手の体験・人生がもろに反映される製作物に対して、合理性を徹底して要求するというのはお門違いの類だ。
生み出されたことに意義がある、そういうものだ。

今回の映画『ウィッシュ』に於いても、私小説的な解釈が可能であると筆者は考えている。

故に、ここから先は筆者の妄想と解釈の割合がぐっと増える。感性(悪口)の領域ではなく、咀嚼と理解のはなしだ。

サクサクいこう。ひとまず以下の様に当てはめた。

国と城がディズニー社(以下D社)。
国王マグニフィコがCEOや社内のスゴクエライヒト。
国民を一般クリエイター全般。
主人公アーシャを一般クリエイター個人
「願い」を一般クリエイターが本来作りたい作品。
「スター」は降って湧いたチャンス。
すると、以下のようなストーリーとなる。


『D社は世界中から人材を受け入れる豊かな国だ。
経営陣は圧倒的なカリスマと実力で凡百のクリエイターをまとめ上げている。世界各国から集まったクリエイターは各々、やりたいこと作りたい作品があるが、そうした想像は日常的には会社に委託しており、いつか己が真に作りたい作品が制作されることを夢に見て、日々のなかでは忘れさっていた。
ある時、一般クリエイター「アーシャ」は自身らの雇用主が制作する作品を経済合理性に基づいてえり好みしていることを知る。アーシャは怒りを覚え、皆の忘れさせられた願いを形にしたいと願う。その時、アーシャに別の経済圏から作品制作のチャンスが転がり込む。願いを形にするチャンスだった。しかし、未熟もいいところのアーシャではてんでめちゃくちゃな製作物ばかりが形になるのだった。時を同じくして、D社経営陣も他社参入の兆しを見出していた。他社排斥を狙うD社とD社に縛られたクリエイターを扇動するアーシャの間で確執が起きる。競合他社の存在を過剰に恐れたD社は禁じていた様々な施策に手を付け始める。擦ったもんだのお家騒動の末、D社は屋台骨であった一般クリエイターからの反感を買い、D社の自滅同然の結果で確執は終結したのだった。D社の経営陣は刷新され、アーシャは更なる製作のチャンスを得るのだった。』

馬鹿げているだろうか。まあ、こじつけの範囲に違いない。

このストーリーのネタ元は3つある。
作中の二つの事柄とディズニー公式でのマグニフィコの評価である。

ひとつが国王マグニフィコが管理していた「空を飛ぶ夢」。これがもろにピーターパンのそれであったことだ。
単なるファンサービスかもしれない。が、メタ的な意味、即ち「ピーターパン」という作品を認識している事に意味があるという解釈も可能だ。
「ピーターパン」になりたい、或いは「ピーターパン」的なものを作り出したい。そんなことを考えるのはクリエイターくらいのものだろう。連想は容易い。知らんけど。

ふたつ目が作品ラストでスターからアーシャに贈られた魔法の杖の形状だ。あくまで何となくではあるのだが、ペンの形を模しているようにもみえたのだ。こじつけかもしれないが、見えたのだから仕方がない。

そして、ディズニー公式のマグニフィコ紹介だ。

曰く、史上最恐のヴィラン。
過大評価にしかみえん。ここが最大の違和感ポイントでもあった。

何が彼を『史上最恐』たらしめたというのか。

やったことは精々『願い』の保留と取捨選択、思考の検閲。

それだけ?
反感はさておき、ワンマン建国王ならそれくらいはやるだろう。国も安定している。全うな費用対効果だ。

これを『史上最強』と評するには作品外の怨恨が必要だろう。だれか、製作者視点でマグニフィコの行為が鬼門だったにちがいない。
作中の理屈を超えた怨念、或いは悪意がここには存在している……ようにも感じられるのだ。

偉大なる建国の祖マグニフィコの成果と栄光ある歴史を作中で出来る限り省き、如何にも斃されるべき悪の親玉として再構成し、組織を扇動し、トップの首を挿げ替える。追い落とされ、幽閉された王は地下牢へ、扇動者と先のトップツー(先王妃)は脚光を浴び、権力の座へ。。

ごりごりの先鋭的フェミニスト起用したんか????

穿った見方をしている自覚はある。
しかし、上の様に社内革命の話しと考えると腑落ちする部分が多いのだ。
アホにされた王も、理屈を伴わない、辻褄合わせの魔法も、胸糞で手落ちな脚本も、意味不明なエンドも。
私物化された悪意ある、自己満足の夢物語だったとあれば納得できるのだ。面白くはないけど。

かくして、素晴らしく中身の無い産廃エンタメ映画は、悪意と害意の器に盛りつけられていたのです。

如何だったろうか。都市伝説じみた口ぶりで締めてみたが楽しんでもらえたのならば幸いである。
所々でこれまでのD社映画を引用したように、筆者はD映画をそこそこ観ているし、生来のアンチという訳でもない。まあ、期待していなかったことも確かなのだが。また次の作品くらいは悪口の贖罪のためにも見に行きたいと思う。インサイドヘッド、まだ見てないんだけどね。

じゃあな。






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