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もの語り「日本創生」〜縄文時代④

地質年代第四紀の始め、約250万年前から眺めて見る限りでは、大枠で数えてみて4つほど、この世の氷期が繰り返された、①ギュンツ ②ミンデル ③リス ④ウルムと。この ④ウルム最終氷期は約7万年前から始まり、して、一つの鳴動がこの世に轟いた、すなわち約2万年前に最寒冷期として、底打ちしたのである。

人類の発生地はアフリカだという、その後、この地上には二つの大いなる集楽地が繁栄した、人類のみならず、命あるもの共生の絆で結ばれた憩いと豊穣の地、一つそれはユーラシア大陸の北方、バイカル湖周域であり、一つそれは南洋の、インドシナ半島〜マレーシア〜インドネシアの島々が一体となった群島周域、スンダランドである。

二大集楽地、そこはまた精霊たちや神霊たちのそれでもあった、すなわち霊場であった、霊気は煙り立って上昇し雲となり、また散華となって舞い降りて雨と落ち泉と流れた、いやさかの歓喜は生死の律を奏でて海に満ち、命と命は渦巻いてうねり猛り交合、果ては八重マンダラに総合し、また流転のサイクルをもって拡散した。

約10万年前、出アフリカを成した現代型新人もまた、この二大集楽地に向けて歩を寄せた、「新種」であることの力をもってその背を押され、「人類種」であることのつながり、ホモ属種その祖霊の力によって招き寄せられた。

海が引いた、入り江は底を晒してさらに引き、海ぞこにその骨を晒して、また引いた、寒冷は山を呑みその氷河はまた谷を埋めた、バイカル湖の集域そこでは、数万年の時の流れの中でいち早く南下する者がいた、危険と見合せするまで留まる者もいた、すなわち日本列島には、旧態のままで南下した人類もあれば、また寒冷地適応の中で到来した人類もあった、それは旧人として、また新人として、在来のシラタキエンシスや、アカシエンシスの内に包括されたモンゴリアンであり、またコーカサスの人々もいた。

「最寒冷」は底に沈んだ、その固まりは緩むことなく不動に見えた、しかしほころびは進行してしていた、数千年の沈黙の後、内部矛盾その均衡は破れて暖気が弾けて跳んだ、気候変動のサイクルは温暖へと転じた、海水準の上昇、日本列島の近海では、黒潮その海面の波は岸辺を飲み込んでいった。

海が満ちてきた、スンダランドの周域では浸食が起きていた、1万数千年の時の流れの中で、危険と見合せするまで保留する者もいた 、いち早く水に適応する者もいた、すなわち海洋民となって「種族」を形成し洋上に生きる者が現れた、「アジア・エビス」の人々である。

丸木舟があった、黒潮に乗り出す人類がいた、その中には、イモ種と熱帯ジャポニカの稲種が積まれていた、今から約一万年前のことである。

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