見出し画像

『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』を語りたい①(16巻までのネタバレがあります)

1. 『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』にふれて

 先日『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜(以下、かぐや様)』を16巻まで読み終えたとき、全身の血管を流れる血液がひどく熱くなり、細胞という細胞が「今すぐ恋を、恋をするのです……」などと僕に語りかけてきたわけですが、それはそうと、僕にはこの『かぐや様』の中でどうしてもお気に入りなエピソードがあります。それが『四宮かぐやの無理難題「燕の子安貝」編』です。御行とかぐやの恋の行方を追うのはもちろん楽しいのですが、正直なところ、このエピソードばかり繰り返し読んでは心の洗濯をしている僕がいます。

2. なぜ『四宮かぐやの無理難題「燕の子安貝」編』は僕の心に深い安らぎをもたらすか

 では、なぜこのエピソードは僕の心に深い安らぎをもたらすのでしょうか。考えていきましょう。
 ぶっちゃけ、かぐやと優にくっついてほしいと思ってるから、その2人がメインでピックアップされているこの話が好きなのではという作品の根幹を否定する疑惑がまず挙げられますが、たぶんこれ違います(かぐやと優がくっつくところが見たくないとは言ってない)。2人にはそれぞれ好きな人がいるので、その恋が成就すればいいと心の底から思ってます(本当です)。
 ということで、僕がかぐやと優の間に見ているもの、きっとそれは親愛です。「親愛ってなんじゃらほい? 愛とは違う? そこを説明してほしい」と思われた方、ご安心ください。僕もわかりません。もう雰囲気だけで語っています。少なくも男女の愛ではありません。先輩と後輩、もっと言えば、母と子のそれとも考えられます。

3. 『第104話 四宮かぐやの無理難題「燕の子安貝」編』から検証するかぐやと優の親愛度

 最初のポイントは冒頭です。イチャコラしているカップル(こいつらの名前が思い出せない)に対して優は死ね死ねビームを放ちます。
「なんですか。死ね死ねビームって」
「食らうとカップルが別れるビームです」
「死の要素は無いのね。安心したわ」
 そのしばらく後、かぐやのとある攻撃(口撃)で深手を負った優は自らに対して死ね死ねビームを放ってしまいます。その姿を気味悪がったかぐやは優を制止しながらこう言うのです。
死ね死ねビームはカップルが別れるだけなので幾ら撃っても死ねません!
 お母さんか!!!!!!!!!!!!
 子どもの発想(ビーム)を否定しないばかりか、その効果や対象までも完全に理解した上でたしなめるかぐやの姿は良き賢母のようですね。

 次のポイントは、優の話を詳しく聞こうとして優と同じソファーにかぐやが座るところです優と同じソファーにかぐやが座るところです。立ったままではなく、対面に座るでもなく、同じソファーの隣に座るところです。そしてその状況をかぐやも優もなんとも思わずに会話が続けられていくところが僕はもう狂おしいほどに好きなのです。ここほんと好きです。
 あのかぐやが、あの優が、部屋に二人きりで一つのソファーに座って気まずくなるわけでもなく普通に喋れている。これが尊くなくて何が尊いですか。本当の尊さってのは何気ないシーンに隠れているものです。

4. 『第153話 四宮かぐやの無理難題「燕の子安貝」編(氷)』が素敵すぎた

 そろそろ検証などいうのも飽きてまいりましたので、普通に第153話が素敵でしたよねという話をしたいと思います。
 藤原家用のプレゼントを選び終えたかぐやに「本命の人へのマジなプレゼントが必要なんですよね?」と問いかける優。観察力が鋭い彼の真骨頂でした。かぐやの相手を聞き出そうとするもなかなか口を割りません。
もしそいつがろくでもない奴だったら、僕、何が何でも止めますので
 優の言う“何が何でも”は本当に“何が何でも”であることをかぐやは知っているし、僕も知っています。みなさんも知っていますよね。だからこそ僕はこのシーンを『かぐや様』全編を通しても屈指の名シーンであると声高に推していきたいのです。

5. 要するに

 もう僕は単純にかぐやと優の関係性が大好きで、この2人のまんざい……絡みがもっと見たい! ただただそういうことになるのですけれど、153話の『小指』を目にしてしまうと、やっぱりこの2人がくっつくってのもなかなかアリなのではと思……おっと。それはともかく、かぐやに「優くん」って呼ばせたいと思うぐらいはいいですよね? だめ? まあいいか。
 『かぐや様』、今後も楽しみですね! 記事も書いていけたらいいなと思います。それではまた。