見出し画像

カメラは、撮る人を写しているんだ。

正直に言うと、

読みたく無かった。こんな哲学的な題名の本を読んだら、演算処理能力の低い自分の頭はオーバーヒートするに決まってる。
幡野広志さんのTwitterを見ていたから、この本の題名は知っていたし、気になっていたけど気にしない様にしていた。
先日自分が書いた記事を、著者のワタナベアニさんに「スキ」されたのを見てしまった為に、仕方なく買ってきて読んだ。

『でも、面倒臭いのは写真だけ勉強していてもダメで、写真以外のことこそ学ばないといけないと気づいちゃったことなんです』

幡野さんの2回のワークショップでも言われたし、幡野さんの本にも書いてあった事が、自分の気持ちも付け足して改めて書いてある。

最近は、以前より映画をたくさん観ている。
映画を観て何か学んでいるかというと、何か違う気がして、よく考えてみると、自分はただ観て楽しんでいるだけだと気がついた。学ぼうという意識で観ていない。
これは非常に面倒臭い。気がついてしまったから面倒臭い。
これからは映画を観る時に、このカットは何秒位だったとか、役所広司の顔に当たった赤い光は何だったかとか気にしなきゃいけない。
気にしなきゃいけない訳じゃ無いけど、気になってしまう。もう、そういう身体になってしまった。

写真には、撮る人の姿勢とか背景とか諸々全てひっくるめて写し出されてしまうんだと思う。
何を見て面白いと感じているかとか、几帳面なのか雑な性格なのかとか。

そういう事に気づき始めた頃に、SNSに自分が撮った写真を投稿するのに恥ずかしさと恐ろしさを感じてしまった。一枚の写真で自分の丸裸を世間に晒している感覚になる。

まぁ、仕事で写真を撮っているわけでは無いし、自分のSNSなんて大した人数が見ている訳では無いからと思い直してこんな駄文を書き殴っている。

とりあえずこの本は、20代の殆どをパチンコで無為に過ごす前の自分に送りたい。

本を買ったショッピングモールの吹抜けを見上げたら、家で本を読んでる場合じゃないくらい晴れていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?