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渡米7日目 空港に行け!?と追い返される

翌日になっても、次男のI94の入国記録がないことについて、まだ米国フルブライトの担当者(IIEアドバイザー)から連絡はなかった。日本側のフルブライト委員会からは、こちらが関与できる問題ではないので、米国側の担当者とやりとりして解決してほしいとのこと。入国後10日以内に解決しないとビザの剥奪などにつながりかねないため、シカゴの始業時間に合わせて、11時過ぎにシカゴに電話すると、アドバイザーのデレクと電話が通じた。

「ナカムラさん?」
「いや、同じくボストンにいる日本人フルブライターの中村さんは友達ですが、僕はカワサキです。I94の件で・・・」

状況を軽く説明し昨日メールを送ったことを伝えると、10日以内の報告義務はそこまで厳密ではないので、パニックになる必要はないことと前置きをした上で、入国の際にCBP(Customs and Border Protection税関・国境取締局)の担当者が情報の入力を間違えた可能性があるので、苗字と名前の順番を入れ替えて入力してみるなど、これからメールする5つの方法を試してみてほしいとのこと。それでもダメなら、一度空港に戻ってやり直す必要があると言われた。

「えー、それだけは避けたいですね。とても時間がかかりそうだし・・・」「ですよね。いずれにしてもこちらで何か修正できる権限があるものではないので、申し訳ないですが・・・」

デレクがいい、詳しくは対処法をメールするという。仕方がなくメールが届くのを待つことにした。

程なく届いた長いメールには、名前が長い場合やセカンドネームがある場合の対応など、確かに5つの対処法が記載されていた。祈るような気持ちで一つ一つを確認し試してみたが、どれをやっても次男の入国記録には辿り着かなかった。続く文面には、その際の対処法として最寄りの国境取締局CBPの検査場(Deffered Inspection Site)の連絡先リンクが掲載されていた。調べてみると滞在先のホテルから徒歩10分程度の場所にあることがわかり、友との時計は15時を回っていて、オフィスアワーは16時までと記されていたため、何度電話しても呼び出し音さえ鳴らない中、家族を連れて直接たずねてみることにした。

10 Causeway Street - Room 603
Boston, MA 02222

視界の優れない僕は、通りをいく人たちに何度か声をかけてようやく政府の建物にたどり着くことができた。荷物検査を受けて、建物の中に入るとバイデン大統領の写真が掲げられていて、次男が少し嬉しそうにそのことを教えてくれた。エレベーターで人気のない6階に上がり、603号室の呼び鈴を押す。中から金髪の中年女性が少し不機嫌そくうな顔で現れた。

「ここの住所、間違っているの」
「え?でも政府のホームページにここを尋ねるようにと案内が出ていましたよ」
「ここを訪ねてくる人はあなたが初めてじゃない。直してもらうようにお願いしているんだけど、全然修正されないのよね」
「そんな」
「とにかく出直して」
「出直せってどこに?先週家族で入国して次男の入国記録だけ何故かI94に反映されていなくてそもそもそれは僕たちの責任じゃないじゃないし、こちらだって途方に暮れているんですよ」
「空港のターミナルEに行って」
「ターミナルE?これから空港に行けと?時間的にまだ対応してるんですか?」
「空港なら24時間、入国対応してるでしょ」

ずっと早口で捲し立てている彼女に、詳しい場所を聞こうとすると、彼女は自分の仕事を突然の訪問者に邪魔されたことへの苛立ちを隠せないような立ち振る舞いで、一度オフィスの奥に消えた。

「ここに全ての情報があるから!」

戻ってきた彼女は、案内が書かれた紙の束を僕に突き出した。これ以上、彼女と話しても仕方がなさそうだが、なぜあんな感じが悪い言い方をされなければいけないのか。そもそも、次男の入国記録を修正するために、こちらが慣れない土地で右往左往しているのに、誤った情報を載せた当事者側の政府の人間がどうしてあんな横柄な態度を取ることが許されるのか。腹が立って仕方がなかったが、早めに問題を解決したかったので、その足で家族で空港に向かうことにした。

地下鉄とシャトルバスを乗り継ぎ、1時間ほどかかってようやくボストン・ローガン国際空港のターミナルEに辿り着いた。彼女がくれた書類の束には、残念ながら、様々な公共交通機関の乗り継ぎ方が幾通りも書かれてだけで、肝心のターミナルEのどこに検査場が肝心のCBPの検査場がどこにあるかは何も記されていなかった。

ターミナルEで各所をたらい回しにされ、ようやく国境取締局CBPの検査場に辿り着いた時には時計は16時半を回っていた。受付はすでに終了したので明日7時以降に出直せという。

空港のCBP検査官に軽く礼を言うと、その場を背を向けて数本歩き出した僕は、最初のCBPオフィスで手渡された無意味で不親切な案内の束を空港の床に叩きつけ、足で踏みつけていた。確かに、こういう失礼な対応にあったことはこれまでもこのアメリカで初めてではない気がする。だが、明らかに人を軽く見ている。外国人だからだろうか。日本の入管の対応の酷さを省みれば、他国のことを非難できる立場にないだろうが、この対応はあんまりだなと感情が収まらなかった。

「ひろのせいでごめんなさい」

空港を出てシャトルバスの乗り場を探していると次男が呟いた。

「いや、ひろのせいじゃないよ」
「だって、僕の入国記録が見つからないからこんなことになってるんでしょ?」

そんなことはない。それはひろの責任じゃないとフォローしながらも、こんなふうに幼い子どもに感じさせてしまったことに対して、またなんとも言えない気持ちになった。

「だから日本に帰ろうよ」

元々、アメリカ行きを拒んでいた長男が言った。いや、こんなことはこれから先もたくさんあるよ。でも強くなって、賢くなって乗り越えていくしかないんだ。それはどこにいたって変わらないよ。帰路の地下鉄の中、心の中でいろんな言葉が浮かんでは消えていった。

DAY7 20230830火3320ー3439ー3454




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