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渡米41日目 僕が映画で本当に伝えたい〇〇をやっと見つける

今日は大切な〆切が迫っている。脚本クラスに初めて短編映画の脚本を提出するのだ。脚本クラスは毎週18時からスタートする。今回、僕が挑む話はジャンルとしてはサスペンスになるだろうか。過去のトラウマに囚われる主人公が、あることがきっかけでパンドラの扉が開き、自らの欲望を自制できなくなって葛藤する物語だ。

すでに先週の時点で物語の核となる部分は大幅に書いてしまっていたものの、先週金曜日の脚本ワークショップでデイビッドやイーサンと出し合ったアイデアをさらに書き加えることにした。その後、エイミーやエリンにネイティブチェクをしてもらいつつ、さらにそこで浮かんだアイデアやセリフも書き加えて物語を推敲していくと、限度の15ページに迫るボリュームとなった。

「主人公をいかに苦しめるか、それが脚本家の仕事だ」

教授のオーエンは常々そう語っていた。その中で、主人公は自分自身と対峙し、自分自身の隠された欲求に気づき、一度は全てを失いながらも、最終的に自らの宿敵(あるいは自分自身)と向かうあう。そして最終的には元いた世界に戻っていくが、その世界はどこかこれまでと少し(あるいは完全に)違っている。

「全てはツールであり、ルールではない。だから僕が教えたことにとらわれないでほしい」

オーエンはそう付け加えることも忘れない。今期の脚本クラスでは2本の短編映画の脚本を提出することになっている。今回の一本目はできるだけ、これまで学んだことに一度忠実に従って書いてみることに決めていた。

何度も書き直しを進めているうちに16時の留学生向けのアカデミックライティングのクラスの時間となった。最終的に14ページに膨らんだ脚本はすでに完成間近で現時点の状態で提出しても全く問題がないものとなったが、まるで最後に勾玉を磨くよように、例えばシーン番号に打ち間違えがないかなど、細部に至るまで確認を進める。出来上がった作品はまるで我が子のような存在でもあり、僕はそうした作業をやめることができない。

アカデミックライティングのクラスに参加しながらも、その作業を続けていると、教授のエイミーに呼び出された。

「あなたはこのクラスの課題をまだ一本も提出していません。出遅れています」

アカデミックライティングのクラスは、単位とは別に無償で毎週月曜日に留学生向けに開かれている特別クラスで、その名の通り、主に学術的な文書の執筆方法について学ぶ。僕はそうしたライティングスタイルに馴染みが薄いし、少しでも英語に触れる機会を増やして英語力を向上させたいという思いからこのクラスを履修することにしたのだが、学んでいる内容自体が、映画のクラスとは対極的なところにあり、授業の時間外にまでこのクラスに向けて課題やリーディングをこなすモチベーションがどうしても湧いてこなかった。しかも最初の1週目は履修登録が遅れ2週目から参加しており、今回で4週目になる。

「他のクラスの課題に追われていてすみません。正直、その余裕がありませんでした」

素直にそう言うしかなかった。気が付けば、週を追うごとに少しずつ出席者が減ってきている感じがするのは、やはり同じことを感じていて、自然消滅していく学生が多いからかもしれない。おそらくいつどのタイミングでやめても単位には影響しないのだから。僕も果たしてこのクラスにどれだけ参加する意味があるのかを再考せざるを得ないタイミングにきていると感じる。

18時、いよいよ4週目となる脚本クラスがスタートした。僕自身の脚本の〆切は今日の24時だが、クラスが始まる18時前には脚本を無事に提出した。今日からいよいよ脚本のワークショップが始まる。3人ずつの4グループに分かれたグループの中から、今日はグループAチームの脚本がディスカッションの材料となる。

事前に3人分の脚本を読み込み、それぞれの作品について、議論をした。1)増殖した昆虫に追いかけられるディストピア世界を描き出した作品
2)サイコパスの妹が繰り返す殺人をやめさせるために自らが犠牲となろうとする兄の話
3)(かつてセクシャルバイオレンスを受けた)兄の結婚式に出席するべきか葛藤する韓国人フライトアテンダントの物語

3本とも想像力逞しく、独創性に富んでいて、中にはあまりにぶっ飛んでいて、正直ちょっとついていけないと感じる作品もあった。ワークショップのルールは、作品を提出した学生は議論には参加できず、自由に飛び交う意見に耳を傾けるというもの。ある程度意見が出尽くしたところで、教授のオーエンがこの作品のストラクチャーを整理し、オーディエンスに物語を届けるために何かが欠けているかを的確に指摘する。最後、作者には発言と質問に答える機会が与えられる。

一つの作品につき20分と制限時間が一応設けられているものの、この作品のここが好きだからもっとこうすれば良くなるとか、議論は尽きず、4時間の授業の前半は熱い議論で幕を閉じた。僕たちはさらに授業終了後にそれぞれのフィードバックを作者に送ることになっていて、作者(学生)はその後、2週間以内に作品を書き直して提出することになっている。

来週は僕が属するグループBのワークショップが控えている。先ほど提出した僕の「最新作」が、どのように受け取られるのか、戦々恐々とする思いはあるものの、やはり楽しみでならない。

22時前に脚本クラスが終わると、担当教授のオーエンと飲みにいくことになった。2週間ほど前から飲みにいく約束をしていて、終電の時間が延長されたとのことでようやく実現したのだ。とは言っても普段こんな夜遅い時間に飲みに行くこともないので、一体どこに適当なバーがあるのかもわからない。オーエンもこの夏、家族でテキサスのオースティンから引っ越してきたばかりで、土地勘がないという。先週、デイビッドと飲みに行ったパラマウントシアター近くのバーもあいにく閉まっていた。歩いていてもあまり開いている店が見当たらない。ボストンはニューヨークなどと比べて、少し店が閉まるのが早いのかもしれない。

「こんなことなら下調べをしておけばよかったんですが、申し訳ない」
「いや、こちらこそ」

そんな会話を交わしながら、オーエンが通りにいた人に尋ねてくれて、僕たちは「Steller(ステラー)」という一軒のバーに辿り着いた。Stellerとは、星のことを意味し、また傑出した何かを言い表すときに使う。やはりバーはとても薄暗い。

「この間、少し話したように僕には目の難病があって、薄暗い場所が見えにくいんです。もし僕が何かぎこちない動きをしていたら、見えていないんだと思って理解してください」

そう話ながら少し明るめの席に着くと、僕たちはギネスを注文して乾杯した。僕は自分の目の病気のことや家族のこと、仕事のこと、なぜ今このタイミングで映画を学ぶに至ったのかなどを話した。これまでシンガーソングライター、カメラマン・ディレクター、ジャーナリストと様々な仕事や表現に臨んできた僕の話に耳を傾けながら、オーエン自身も小説家であり、映画監督であり、脚本家であり、コメディや音楽も手がけているので「僕たちはとてもよく似ていると思う」と話してくれた。

僕が今48歳であることを話すと、そうは見えないねと驚きながら、オーエンは今、50歳で18歳と15歳がいることやトランスジェンダーをした長女(長男)のことについても話が及んだ。

クラスでは、オーエンはとてもエネルギッシュに、捲し立てるようなスピード感と、一瞬たりとも飽きさせずに機知に飛んだ表現で、脚本と映画作りの秘策を伝えてくれる。その姿は、まるで喜劇の舞台を見ているような感覚を覚えるほど、まさにエンターテイメントそのものだ。優れた脚本家とは優れたストーリーテラーであり、エンターテイナーそのものなのだということをやはり僕は彼の姿を見て学んできた。だが、バーではオーエンはとても物静かに、そしてきっととても辛抱強く、僕の時に辿々しい英語に耳を傾けてくれている。

「何か映画を通じて、これを伝えたいというテーマはあるの?」

オーエンに最初にそう聞かれたとき、正直困ったなと思った。この手の質問に出会うと、僕にはまだそれが明確にはないように感じてきたからだ。確かに世の中には語られるべきたくさんの社会問題があり、僕は映画の力を使って、その物語をより効果的に世の中に届けたいと願っている。具体的に沖縄を舞台にした、日米の間で揺れ動く、ある混血の高校生の長編脚本を書いたこともある。バーで飲み始めた時には、「これまで培ってきたジャーナリストとしての経験を活かして映画を撮りたい」という話をしていたのだが、追加のビールを注文して、オーエンと深く語りあっているうちに僕には本当に自分が伝えたいものがはっきりと見えてきた。それはずっと僕の心の底にある記憶でもあるが、その日のことは今でも昨日のことのように思い出せる。

「ああ、きっと僕は今日死ぬんだ」

僕は23歳の頃、ある事故に遭い、手術台の上でそんなふうに感じたことがある。顔面を強打して、鼻は潰れ、前歯は折れ、運び込まれた病院で、顔面を60針近く縫う緊急手術が行われていた。麻酔が効いていたのか、それとも怪我の影響なのか、意識が朦朧としている。10歳の頃にも頭蓋骨骨折を伴う大怪我をして、1週間ほど入院したことがあり、その後も脳波が大人の脳波に切り替わっていないと検査のたびに言われていた。顔面を強打した弾みで実は脳にも影響が及んでいるかもしれない。今、僕の顔の傷を縫合している医師は、脳の損傷にまだ気づいていないかもしれない。

「僕はこのまま死んでいくのか・・・」

身動きの取れない手術台のベッドの上で、そう思ったとき、とてもつもない後悔の念が迫ってきた。僕は生きていて大切な人に出会えた。でも僕は、自分のことを愛してくれた人のことを大切にできなかった。ある関係が終わり、別れた後で許すことができなかった。僕の心の奥底にある思いとは裏腹に、いや強い思いがあればあるほど、僕は彼女をずっとずっと許さずに遠ざけてきた。もしもこんな思いを抱えて死んでいくのだとしたら、耐えきれない。もしも、もう一度人生を生きることができるならば、今度は同じような後悔をせずに死んでいきたい・・・。

手術台の上で、頬を涙が伝った。こんな後悔を抱えたまま死んでいくなんて。もはやこの死に際して、僕はこの世界にあるものを何一つ僕は持っていくことができない。僕のエゴも自我も全てが体から離れていくような気がした。いかに自分自身が、自分のちっぽけな感情に振り回されて生きてきた不器用でちっぽけな存在だったかを、死の間際になって想い知られているような気がした。

あらゆる欲求や欲望から解放され、自分自身の魂だけがそこにあって、今、旅立とうとしている残された世界を見つめている。エゴや自我の消えた、限りなく透明に近い感覚で。それはまさにある種の「悟り」に近い状態だったかもしれない。

だが手術も終わりに近づき、自分自身がその後の人生をまだ生きられることを知ったときに、これまで遠ざかっていたエゴや自我や自己顕示欲や承認欲求や闘争本能や魂の渇きに似たような全てが、一瞬にして僕の周りに戻ってきたのを感じた。

「わぁ、生きてるってこれだけのものを身に纏っているのか・・・」

その時感じた感覚を今も僕は明確に覚えている。だからまた次の死の瞬間が巡ってきた時に僕は同じ後悔を繰り返すかもしれない。自らのエゴから切り離すことはそう容易いことではないからだ。でも、一度、ある種の臨死体験をしてそこから人生にとっておそらく一番大切なことを学んだのだから、やはり同じ後悔はしたくないと心から思った。

「人は一番大切な人を、ときに憎んだり、傷つけたり、遠ざけてしまう。とても不器用な存在だ」

長年、取材でお世話になった大林宣彦監督も常々そう語っていた。そこに人間性があり、ドラマがあり、悲劇があり、喜劇がある。

「ほらオーエン。今、このバーでお酒を呑んでいる人たちがいるでしょ。でもおそらく100年経ったら、誰もこの世界には生きていない。よくそんなことを思うんだよ」

オーエンはさっきからずっと僕の話に辛抱強く耳を傾けてくれている。

「僕たちは必ず死んでいく存在なのに、そしてそのタイミングは明日にでも訪れるかもしれないのに、まだまだ先の話だと思って今を生きている」

逆に言えば、自らの死の直前から逆算して、人生を見つめ直して生きることができれば、どれだけ今よりも豊かに人生を生きることができるだろうか。今、目の難病を抱えて、失明の危機に瀕している。命まで奪われるわけではないが、「この目がまだ見えるうちに」と思って、ある種の余命宣告を受けたような気持ちで日々を生きている感覚がある。自らの命に限りがあることを、今僕は以前よりも日々リアルに感じている。だからこそ、大切な人と向き合って生きることを大切にしたいと思う。今、果たしてどれぐらいそれができているのか、常に疑問に感じるが、その自問自答すらも大切にしたいと思う。不埒に流れていく日々の中で、よく忘れそうになるけれども・・・。

「僕が伝えたいのは、そういうことかもしれない。だから今、人生のこの局面で映画を撮りたいと思っているんだと思う。今日、話していてそのことに気づくことができた。本当にありがとう」

現役の作家であり、教授でもあるオーエンは、きっとたくさんの課題や〆切を抱えていて、僕なんかよりもずっと忙しいはずだ。一杯だけサクッと行こうと話していたのに、店をすでに24時近くになっていた。今日は奢るよといってくれて、次は僕が奢るからまた飲みに行こうと約束し、目が悪い僕を気遣って、オーエンは近くの駅まで歩いてくれた。そして、別れ際にお礼の気持ちを伝えると彼がこういった。

「いや、僕が何かをしたわけじゃない。タカヤは自分で自分の本当に伝えたい思いに気がついたんだよ。僕はただ耳を傾けていただけだよ」

そしてオーエンにも、僕の事故とは比べものにならないかもしれないが、やはり20代の頃に大きな事故をして同じような思いを感じたことがあると話してくれた。もちろん、現役の作家である彼と今の僕とは比べものにならないし、英語のレベルにも天と地ほどの開きがあるが、どこか魂レベルで何か通じ合えるものがあったように感じて、僕は心の底から今日という一日に感謝した。固い握手を交わして、それぞれの家路についた。

20231002月6D+0710-0927−0957

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