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隣保班、文化部、若妻会……昔ながらの地域の中で人間関係を自分で作る|先輩移住者file.1

先輩移住者ドキュメントfile.1 石坂元美

  • 生まれ:1980年栃木県

  • 移住タイプ:Iターン(夫の実家に嫁入り)

  • 以前の住まい:栃木佐野市

  • 移住時期:2009年(現在14年目)

  • 家族構成:11人(子ども6人、夫、義理の父・母・祖父)

  • 仕事:看護師&高山村地域コーディネーター

二人目を産んだ後、夫の実家がある群馬県高山村に栃木県から移住した元美さん。現在は看護師として働く傍ら、村から「地域コーディネーター」の嘱託を受け、子ども達に英語を教えたり学校やこども園で地域の人たちとの交流イベントを開催しています。アクティブに仕事に励む彼女、実は子ども6人のお母さんでもあります。夫の実家に嫁入りという形で移住した高山村で、どのように自分自身の人間関係を作っていったのでしょう?

夫の田舎に嫁入り

上の二人は高校生で外出中。下の四人のお子さん達と。

 結婚前にはじめて高山村に訪れた時は、峠を車で登りながらドキドキしました。「おおお、一体どこまで登るんだ……」って。そのうち雪も出てきて驚きました。移住前に何度も夫の実家に滞在する機会があったので、のびのびと流れる時間や豊かな自然がすっかり気に入りました。夫の家族もとても良い方達で、移住するにあたっての不安はほとんどなかったです。当時は夫も私も栃木の病院で看護師として働いていたのですが、夫が長男のためいずれは高山村に移住すると決まっていて、タイミングを伺っていました。長女が幼稚園に入る直前に次男が産まれて、私も仕事を辞めて……その区切りで移住しました。

英会話教室を開講

 移住後すぐに、夫の両親とお祖父ちゃんとお婆ちゃんとの同居がスタート。子どもが2人いたので、全員で8人。元々農家をしていたので、養蚕部屋があったり、家も土地も広いんです。自家用のお米も野菜も作っていて、昔は豚も飼ってたそう。
 移住する前から子ども向けの英会話教室を開くための準備を進めていました。長男が幼稚園に入る前の入園説明会でパンフレットを配って、高山村で念願のスクールを開講。最初は長女の同級生と近所の子ども達が来てくれて、その子ども達が友達を誘ってくれて、だんだんと生徒が増えていきました。教室に来てくれる子どもを通して、高山村のことを知っていきました。

村の女性達とボランティア団体を立ち上げる

 高山村には中学2年生をオーストラリアに派遣するというプログラムがあるんです。英会話教室に来る子達からそれを聞いて疑問が沸きました。「この子達は私の教室で英語を学んでるけど、他の子達はどのくらい準備をして渡航できるのだろう?」って。私自身も10代でホームステイを経験していたので、子ども達には海外に滞在できるチャンスを存分に活用してほしいと強く思いました。チャンスを活用するために、ある程度の英語の準備は必要。そうでないと、せっかくの機会がもったいないですよね。
 英会話教室に来てくれる子以外の子ども達にも英語を学べる機会を作る方法はないかな?と悩んでいる時に、塾を経営している女性と、カナダへの留学経験がある女性と出会ったんです。二人が私の悩みに共感してくれて、一緒に英語教育の企画書を作りました。それを役場に持って行ったところ、教育委員会の方々が話を聞いてくれて、あっという間に考えていた事が形になりました。ちょうど、行政の方も英語教育の機会を増やしたいと考えていたようで、話がトントン拍子に進んだんです。今思えば、子どもたちの教育を大切にしている高山村だからこそのスピード感だったのかなと思います。

隣保班、文化部、若妻会……昔ながらの地域活動

 英会話教室や地域コーディネーターの仕事をしながら、高山村の地域活動にも参加していきました。例えば、「隣保班(りんぽはん)」。隣保班は、隣近所の家で構成されるグループで、公民館の掃除や家族の有事にお互い助け合って活動をします。さらに、消防団。消防団は地域消防の中核的な存在で、私は移住してからはじめて活動を知り驚きました。「若妻会(現在は”しらゆりの会”に呼称変更)」というのもあって、加入しました。私の場合は義理の母や父が活動のことを教えてくれて、割と早く馴染めたのかなと思います。でも、そういう地域活動を教えてくれる人が身近にいなかったら、正直最初は戸惑うと思います。新しく移住した人たちが、この地域活動のところでつまづかないように、何か仕組みやコーディネーターが必要なんじゃないかと思います。

補助金や支援金は充実しているけど、人間関係は自力で作らないといけない

 高山村は子育て支援や創業支援などの制度が充実していて、子育て世帯に支給されるお金は少なくありません。でも、お金は人間関係まではつくってくれません。自分のネットワークを作れるのは、自分自身だけ。幸い、高山村には昔ほどじゃないけれど、地域活動の習慣がまだ残っています。こういう活動に参加をしながら、豊かな人間関係を作れると、村での暮らしを楽しめると思います。自分で築いた人間関係は、お金以上の価値がありますよ。

みんなに助けられながらの子育て

文化部の活動、地域の伝統行事や風習も

 村には「文化部」というサークルのような活動もあります。絵画部、書道部、茶道部、華道部、太鼓、コーラス……バラエティに富んでいますよね。他にも、各集落独自の伝統芸能やお祭りの風習があります。例えば、役原という地区の役原獅子舞とか、火の口という地区の山車とか、尻高の尻高人形とか。小さな村だけど、文化活動も盛んで地区の伝統行事や風習も残っている。住む場所によって文化が異なるので、奥深いですよ。私は自分の住んでいる地区のことしか知らなかったので、他の地区の文化を感じるたびに、高山村って広いなって実感します。

美しい里山風景は自然に出来上がったものではなく、村人が協力しながら維持している

地域のつながりが薄れてしまうのは、悲しい

 高山村での生活を通して私が感じるのは、地域のイベントの大切さです。今はどんどん核家族化して、村外に働きに出る人も多い。そうすると、地域活動を昔のように維持するのは難しいというのが現実。それでも、隣の家の人がどんな人で、何をしているのか分からないという暮らし方になってしまうのは、悲しいです。高山村のような小さな村は、地域のつながりなしにして存続できなくなってしまいます。そういう課題を行政も認識していて、一つの解決策として高山村ではコミュニティスクールを推進する流れにあります。

コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)は、学校と地域住民等が力を合わせて学校の運営に取り組むことが可能となる「地域とともにある学校」への転換を図るための有効な仕組みです。コミュニティ・スクールでは、学校運営に地域の声を積極的に生かし、地域と一体となって特色ある学校づくりを進めていくことができます。

文部科学省

お米作り、写生大会、書き初め……地域の人の優しさに触れて

 地域コーディネーターとして、コミュニティ・スクールの一貫で子ども達の地域イベントを開催しています。農家さんにお米や野菜作りを教えてもらったり、絵のうまい方々と写生をしたり、書道部の方々と書き初めをしたり。みなさん、本当に協力的です。この活動をしていて、高山村の人たちの優しさを実感します。子ども達に対しても愛情を持って接してくれる。高山村には「たからのやまたかやま」という標語がありますが、私が思う「たから」は、ここに住む人たちの優しさだと思いますよ。

子ども達に高山村の魅力を聞くと、一同「水が美味しい!」と口を揃えた

移住を検討してる人へのメッセージ

 高山村は地域活動や文化が根付いているので、慣れるまでは大変かもしれません。でも、人間関係はどこにいっても簡単なものではないですし、どこにいっても新しい環境に慣れるのは大変ですよね。高山村はコンパクトな村なので、役場・行政との距離も身近で頼りになります。近所の人も、助けを求めればサポートしてくれます。その人に分からないことでも、「それは◯◯さんに聞いてみたら?」と、相談するべき人を教えてくれるはず。「それは分からないなー」で終わることはないですよ。
 心配や不安はあると思いますが、一つずつ地域の人と一緒に解決しながら、自分自身の人間関係をつくっていってください。そのために手を差し伸べてくれる人たちが、ここにはたくさんいます。

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移住の相談、お問い合わせは高山村の移住・定住HPへどうぞ。


●先輩移住者ドキュメントの連載について
移住にあたって一番知りたい、でもどんなに検索しても出てこない情報。それは、その地域の「住みにくさ」や「閉鎖的な文化の有無」、そして「どんな苦労が待っているか」などのいわゆるネガティブな情報です。本連載では、敢えてその部分にも切り込みます。一人の移住者がどんな苦労を乗り越えて、今、どんな景色を見ているのか。そして、現状にどんな課題を感じているのか……。実際に移住を果たした先輩のリアルな経験に学びながら、ここ群馬県高山村の未来を考えていきます。



インタビュー/執筆 山中麻葉

2021年に夫と0歳の娘と高山村に移住。里山に暮らしながら、家族でアパレルのオンラインショップ「Down to Earth 」を営む。山中ファミリーの移住の様子は「移住STORY」へ。日々の暮らしやお仕事のことはinstagramへ。


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