阿蘇大橋崩落現場1

防災ツーリズムとは「どう生きるか」を問われる旅である

熊本地震で大きな被害を受けた南阿蘇では、修学旅行の受け入れ回復も目指して防災教育プログラムの開発を行っている。熊本県全体では「回廊型ミュージアム」構想の下、震災遺構の保存も進んでいる。

その過程で、「防災ツーリズムとは何を伝えるものなのか」ずっとモヤモヤしてきた。

例えば原爆投下を受けた広島や長崎。原爆ドームや原爆資料館、語り部の講話を受けて、「こんな悲惨な事態を生む戦争を二度と起こしてはいけない」「原爆投下を受けて悲しい思いをする場所をこれ以上増やしてはいけない」といった過去からのメッセージを受け取る。同時に、戦争のない平和な未来を作れるかが実は私たち1人1人の選択の延長線上にあることに気づく。
戦争が人工的な争いである以上、世界平和の実現に向けて祈りを捧げる仲間が1人でも増えていけば世界平和は実現できるだろう。だからこそ平和学習には価値がある。実際、僕もそうやって平和への思いを新たにした1人である。

翻って地震により大きな被害を受けた熊本。倒壊した建物や断層を見て、被災者の体験談を聞いて「明日自分の足元が揺れるかもしれない」「生き残るための備え、生き残った後の備えをしなければならない」という思いや学びを持ち帰ってもらうことはもちろん大切である。

ただ、それだけでは何か大切なメッセージが足りない気がしていた。

地震は戦争と違って人工的なものではない。「地震は怖いから、人間の力で地面が揺れないように固定しよう」なんてことは不可能だ。

であれば、そもそも地震の危険性が少しでもあるところには近づかない方が良いのか。でも、例えば南海トラフの被害想定を政府が出しているが、東海地域の人たちは家具の固定や非常用持出袋の購入をしても、安全な場所へ疎開したりはしない。日本中どこでも多かれ少なかれ天災リスクがあり、人間の対策では「想定外」が起こることも東日本大震災以降は自明であるが、皆平然と今の暮らしを続けている。

地震後の阿蘇もそうだ。阿蘇は常に地震や水害、噴火などの自然災害の危険性がある。それなのに「生き残るための備え」について話す語り部は、阿蘇での生活再建を目指している。率直に言えば「みんななぜ阿蘇を出ないのだろうか。災害は怖いと感じながらも、なぜ危険性のある場所に住み続け、またそんな場所で負債を背負ってまで事業再建を目指すのだろうか」と、地震直後に阿蘇へ入った僕には不思議でたまらなかった。

この矛盾が、防災ツーリズムの学びの活かし方を不明瞭にし、僕の中のモヤモヤ感を生んでいたのだ。

でも、阿蘇で活動を続けてきた中で、少しずつ分かってきた。

それは、「人は必ずしも安全性や経済的合理性を最優先するわけではない」ということだ。「自分らしく生きられるか」「自分にとって豊かな暮らしができるか」の方がもっと大切なのだ。
自然や文化の豊かさが天災と表裏一体だからこそ、安全性と自分らしい暮らしは時にトレードオフの関係になるかもしれない。でも、人間は「生き長らえる」ことではなく、「自分らしく生きていく」ことを優先するのだ。安全なお城の中で暮らすお姫様が必ずしも幸せではないことは、子供だって知っている。

それはとても「主観的」な尺度なので、外の人からすると理解が難しいケースもあるかもしれない。でも、だからこそ誰かに決めてもらうことではなく、個々人が感じ、考え、主体性をもって自分で決めていくことが必要なのだ。普段の生活ではそんなことをわざわざ考える機会はないかもしれないが、阿蘇の人が直面した状況を通してその機会を作ることができるかもしれない。

そう考えると、ひょっとしたら阿蘇大橋の崩落や斜面の土砂崩れ、断層などよりも、そのすぐ横で再建が進められる人々の「暮らし」こそが、訪れた人に多くの示唆を与えてくれるのかもしれない。

防災ツーリズムは、「あなたにとって自分らしく生きていくとは?それはどんな場所なら実現できるのか?」「あなたにとって人生で大切にしたいもの、豊かさ、幸せとは何か?」ということを問う旅なのだ。

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