人は本質的に孤独

人は”絆”を求めるから努力できる

こんにちは。noteを使ったはじめてのエントリーです。今は中国は北京で生活していて、10年近くになります。これから、「脱・孤独感プロジェクト」という名目でエントリーを重ねていく予定です。


人は何故、努力するのか?

何でこの「脱・孤独感」というキーワードでエントリーを綴っていくのか、というと、自分自身がこれまで何のために努力してきたのか?ということを振り返ってみたときにふと浮かんだのが

”孤独でなくなるため”

だったということが改めて浮き彫りになったため、このテーマで綴っていくことにしました。

ただ、これって果たして僕だけなのかな?と考えたときに、僕だけに限らず、みんな最終的には

”絆”を求めて努力している

ということにも気が付きました。

小さい頃から大なり小なり、人はさまざまな努力をしてきています。

親に嫌われないように
友だちから仲間外れにされないように
学校で良い成績取って褒められるために
自分が好きな人に振り向いてもらうために
仲間に囲まれるために
尊敬されて自分を誇らしく思うために
友だちをたくさん作るために
仕事で認めてもらうために
周りから必要な人間だと思ってもらうために
子どもが周囲に迷惑かけて他人から文句を言われないように
社会から分断されてしまわないために

今挙げてみた例では全然足りませんが、人が努力できるのは、こうした理由からではないでしょうか?

だから、人が努力できるのはやはり、”絆”が欲しいからだと断言できます。努力した先に待っている新しい人間関係のために、人は頑張れる。


あなたの努力が報われない理由

では、自分に関していえば、こうした絆を求めた、孤独でなくなるためにしてきた努力が報われたのか?といえば

正直、あまり報われた感じはしてきませんでした。
何で報われた感じがしないのでしょう?

一番は、自分の悩みに思考が向きすぎているから。

努力は自分のためにするものではあるけれど、その努力の先に、誰とどんな人間関係を築きたいのかをデザインしないことには成り立たない。

それに”絆”って自分ひとりでは築けない。
誰か他の人と築く必要がある。

でも、自分の悩みに興味を置きすぎると、人への興味が置き去りにされてしまいがち。それでは人との絆は築けない。


報われる努力とは?

だから、孤独を解消するために必要な努力というのは

”人の成功=自分の成功”

といえるための努力をすることなのだろう、と今更ながら思い始めたわけです。人に得させるだけで自分が損ばかりするのもよくありませんが。

口で言うのはホントに簡単なんですけどね。

このnoteもそうした意識づけで綴っていくつもりです。


脱・孤独感プロジェクト note.1

1. 自分の悩みに意識を向け過ぎない
2. 人の成功が自分にとっての成功だと思えることをする
3. その努力の先に、誰とどんな関係を構築したいのかをデザインする

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