見出し画像

大事なものを守ろうとするときの孤独感

今日は10月1日。北京では中華人民共和国建国70周年記念軍事パレードということで、激しい交通規制、市の中心地への立ち入り規制・店舗の営業規制などがあり、外出してもつまらなさそうだったため、ずっと家で仕事し、仕事がひと段落ついてから映画を観ていた。

今日みた映画は「ゴッドファーザーPart2」

不朽の名作といわれるこのシリーズで、Part1はこれまで3回ほど観てきたにもかかわらず、何故かこのPart2は今日が初めての鑑賞だった。

父親から受け継いだ組織を守るためにマフィアとしての筋を通し、冷徹を貫くマイケル。だが、その冷徹さからか周囲との人間関係にヒビが入り、愛する人も去り、孤独になっていく…


大事な何かを守ろうと心に強く誓うことによって孤独になっていくことはよくある。

僕自身も、こうした組織ではないものの、大事なものを守ることを前提に今を生きているので、何かと孤独を感じることがある。

自分にとって大事なものとは、他ならぬ自分の子ども・ひとり娘だ。僕が中国に渡ることになった理由は、娘のそばで暮らしていきたいと願ったから。

子どもだから自動的に大事と感じる、ということも少なからずあるだろうけど、娘の誕生は、それまで幸せってどんな感覚なのか全然知らなかった僕に幸せな感覚というものがどんなものなのかを教えてくれた。

にもかかわらず、中国人である妻は娘の1歳の誕生日の直後に、娘を連れて故郷に戻ったきり日本に戻らなかった。

こういう話をすると、日本人の多くは「お前が仕事ばかりでロクに育児も手伝わないからそうなる」という印象を抱くに違いないが、そんなことはなかった。

母乳をあげること以外のことは全てこなしていたし、働きながらでも最低週2回は僕が子どもを寝かしつけていた。僕一人でもちゃんと面倒見れるので、たまに妻を友だちと遊びに行かせたり、息抜きはそれなりにさせていたつもりだった。

それでも妻は戻ってこなかった。

結局、2年半の別居期間の後、僕が中国に渡ることになった。当然、それまでの仕事も辞めたし、国が違うと探せる仕事も日本とは全然違う。キャリアの積みなおしだ。

それに何より言葉が違う。新たに言葉を習得する必要があるというのは、ある意味人生を赤ん坊からやり直すのに近いものがある。

慣れ親しんだ仕事、住みやすかった家、近くだった実家、遊び友達。こうしたものから全て離れて異国で暮らすことになり、新鮮さもあったけど、やはり孤独を感じることもあった。

その上、子どもとセットで義父母までくっついてきて、なんかギクシャク。家の中でも孤独だ。娘のネイティブ言語も中国語。性格的には日本人っぽさも強くあるものの、4人の中国人に対して日本人1人という環境はどうにもストレスでしかない。

だから、あるときを境に家を出てしまった。人と暮らしながらも孤独でいることと、一人で暮らす孤独を比較したら、僕は一人で暮らす孤独の方がマシと思える。出来ることがそれなりに増えて自由にふるまえるからだ。

だから、この自由を利用して、9か月かけて中国語のレベルをビジネスレベルまで高めて給料アップの転職にも成功した。

家を出たときも、離婚を前提にしていたけど、妻は応じない。家を出てから普通に恋愛をしていた時期もあるけど、法的にキチンと結婚できる可能性が当面ないことから結局別れることにもなってしまった。

どんなに新しい恋愛をしてみても、やはり一番大事なのは娘であり、娘のことで何か用事が出来れば、そっちを優先してしまう。

女性からしてみたら、それはさみしいだろう。当たり前だ。僕はやはり孤独なままである。

こうしていると、どのときにどうすれば良かったのだろう?

と考えてしまいがちだけど、どのときにどう選択していても、恐らく今の結果は変わっていないのだろう、という結論にも達した。

今味わっている孤独感は、僕にとっては宿命のようなものなのだろう。

かつて親には「中国人と結婚なんかするからそうなる」と言われたこともあった。けど、今回の結婚は果たしてせずに済んだのかな?と思うと、たぶんそれも難しかったと思う。仮に相手が今の妻でなかったとしても、恐らく似たような相手と一緒になっていたはずだ。

というのも、自分の当時のメンタリティでは、それ以外の選択が出来ることはなかったはずなので。

だから、過去の自分の選択に後悔はしていない。あのとき、ああしていれば良かったとは思っていない。

ただ、その”大事な娘”との関係は今でも良好だ。

明日は娘の誕生日。一緒に北京市内の遊園地に朝から遊びに行くことになっている。楽しい一日にはなるだろう。

それだけが、今の僕には救いだ。

ただ、それでも僕が日頃孤独感を味わいながら暮らしていることには変わりない。

こうも思う。

「自分にとって大事なものがある。仮にそれで日々孤独を感じることがあったとしても、それ自体が救いなのかもしれない。」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?