見出し画像

大麻の話(後編・ジャマイカ編)

さて、前回のモロッコ「シャウエン」編に続いて、今回は「ジャマイカ」編です。
(かなりの長文ですが、気合を入れて書いたので、最後まで読んでもらえると嬉しいです!)


カリブ海に浮かぶ小さな島国「ジャマイカ」。


僕がこの国を訪れたのは、旅を始めて3年目、2013年6月のこと。

それまで2年半近くも中南米の危険と言われる地域をたくさん旅してきて、ある程度そういうものには耐性ができていたはずなんですが、なぜかこの時まで僕はこのジャマイカに関してだけは特別な緊張感や警戒心を持っていました。

理由を聞かれると、はっきりとこれだと明確に答えれるものはないんですが、おそらくそれまでに中南米で出会った他の旅人が「ジャマイカの首都は、(危険という意味で)まじでヤバい!」と言っているのを何度か耳にしたことがあることとか、他の国ではあまりなかった「ガンジャ(大麻)文化」のイメージがあることなどもその原因としてはあると思います。



とにかく今回はまず最初に、みなさんと一緒にジャマイカという国について少し勉強したいと思います。


ジャマイカはまず、15世紀にコロンブスの2度目の航海により「発見」され、スペイン人が植民地化、先住民は奴隷化や戦争、スペイン人が持ち込んだ疫病などにより絶滅しました。

その後スペイン人はサトウキビ栽培の労働力のために大量の黒人をアフリカ大陸から連行し奴隷化。

17世紀にはイギリス軍がジャマイカに侵攻、占領化し、今度はイギリスの植民地に。

その際、イギリス人はさらに大量のアフリカ人奴隷を連れてきて、国は9割以上がアフリカ人奴隷という状態に。

しかし、長年あまりにも過酷な労働を強いられ続けた一部の黒人奴隷たちはプランテーションを逃げ出し、山に籠り集落を形成し、奴隷解放を目指してイギリス政府に反乱を繰り返しました。

この逃亡奴隷たちのことを「マルーン」と呼ぶんですが、彼らマルーンの度重なる激しい反乱の結果、19世紀にはついにイギリス政府から奴隷解放を勝ち取ります。

そして、貧しい状態が続きながらも、1962年、ようやく300年にも及ぶイギリスの支配からも独立を果たし、今のジャマイカという国が誕生したのです。


まあ、ラテンアメリカの国々は多かれ少なかれ、ある程度似通った歴史を辿っているわけですが、ジャマイカは他の多くの国(スペイン領)と違ってイギリス領だったこともあり、今でも公用語は英語です。

ただし、英語とは簡単に言っても、彼らが普段話す英語はかなりジャマイカ独特のなまりや言い回しを使った、「パトワ語」などとも呼ばれるジャマイカ英語。

それは、一般的な英語に慣れた僕なんかが聞くと、なんとも不思議な、英語のような英語じゃないような奇妙な感覚の言語。

意味も分かったり、分からなかったり、聞き取れたり、聞き取れなかったりです。

彼らは普通のイギリス英語も学校で習うので、一応どちらも話せるんですが、普段の日常生活ではパトワ語を使います。


では、なんで彼らがオリジナルの英語だけを使わずわざわざパトワ語を作ったのかというと、これはただ僕が現地で聞いた話で確証はないんですが、

どうも奴隷時代にイギリス人たちに英語を強要されたけども、彼らにバレずに奴隷の間だけでも意思疎通が出来るように、自分たちで勝手に英語をいじって、他の言語だと思われない絶妙なラインでパトワ語を作ったという説があるみたいなんです。

つまり、パトワ語には、ジャマイカ人の先祖の歴史やプライドが詰まっているというわけですね。

とっても興味深い話です。



というわけで、そんな歴史を持つジャマイカは、現在でも国民の90%以上がアフリカ系黒人です。

そして、1960年代にはそんな彼らの中からついにジャマイカの象徴でもある「レゲエ・ミュージック」が生まれ、

特に伝説的シンガー「ボブ・マーリー」は、その短い生涯の中で世界中を熱狂させ、レゲエを世に深く浸透させました。


そして、そもそもそのレゲエ・ミュージックを生み出した土壌であり、ボブ・マーリーも傾倒していたのが、「ラスタファリアニズム」と呼ばれる宗教的な思想運動でした。

「ラスタファリアニズム」の中身について詳しく解説するとまだまだ長くなってしまうのでここでは省略しますが、とにかくそれはアフリカ回帰主義やアフリカ中心主義のもので、西洋社会が奪い去ろうとした彼ら本来の生き方を全うすることを目指した思想運動です。

例えば、みなさんもご存知であろう、「ドレッドヘアー」や「ラスタカラー」なんかもこの「ラスタファリアニズム」から来ているもので、そこにはしっかりとした意味が込められています。


で、そのラスタファリの世界では、「大麻」が神聖な植物であるとされているので、大麻はレゲエ・ミュージックとも切り離せない関係になり、ジャマイカではレゲエの拡がりと共に大麻も一般社会にどんどん入り込み、近年ではジャマイカ全土で大麻文化は国民たちに根深く浸透しているのです。

大麻そのものは、植民地時代である19世紀中ごろに、労働者不足のために入植したインド人労働者によって初めてジャマイカに持ち込まれたので、インドでの「ガンジャ」という呼び方がそのままジャマイカでも使われるようになりました。


と、

こういった歴史が、ジャマイカが「レゲエ」や「ガンジャ」などでよく知られている理由なんですが、

それでもここジャマイカでは、前回のモロッコと同じく、長い間大麻は所持も栽培も全てが違法でした。

ここで「違法でした」と過去形で書いているのは、実は僕がジャマイカを訪れた2年後の2015年に国内の法律が改定され、まだ完全に合法ではありませんが、それでも少量の大麻所持なら犯罪歴の残らない少額の罰金のみなどの軽犯罪として扱われることになり、栽培についても5株までの自家栽培なら許可されるという風に法律がガラッと変わったからです。
ただ、今回は僕が6年前に実際に自分の目で見てきたものをそのまま書いていくつもりなので、このまま大麻が完全に違法だった時の状況で話を進めますね。


とにかく、違法なのに国民のほとんどがガンジャを吸っている。

当時のジャマイカはなかなかカオスな状態だったんです。


で、こういう国の歴史やガンジャとの関係性を分かってもらった上で、

ここからはようやく僕が実際に体験したり見聞きした話を書いていきたいと思います。

(みなさん、ここまで説明長くて疲れたでしょ?ここからもまだまだ話は続くんで、もししんどかったら、一回お茶でもゆっくり飲んで休憩してくださいね。笑)



まず、今まで歴史を知らなかった方でも、一般的にジャマイカと聞けばみなさんはどんなイメージを持たれてるでしょうか。

やはり、ボブ・マーリーを筆頭とするレゲエ・ミュージックのイメージ、ラスタカラー、陸上チャンピョンのウサイン・ボルト、ラブ&ピースの陽気でハッピーなイメージ、もしくはカリブ海のリゾート地のイメージなどでしょうか。

うん、もちろんそれらも正解です。

でもご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、実はジャマイカは世界でも有数の高い殺人率の国で、決して治安がいい国ではありません。

銃による犯罪もかなり多いです。

そして、歴史的な流れからも、ジャマイカは現在でもやはり裕福な国ではなく、むしろ未だにかなり貧しい、発展途上の国です。


いや、僕は別にそういう負の部分だけを前面に押し出してみなさんの不安を無駄に煽ろうとしてるわけではありません。

そして、確かにジャマイカには海外からの観光客が集まる高級なビーチリゾート地などもたくさんあります。

でも、僕はジャマイカの中ではいくつかの町や地域を訪れたんですが、こと首都の「キングストン」に関しては、冒頭で話した不安の通り、個人的にもやっぱりかなり治安の悪さや危険を感じる都市だったんです。



治安の悪さの理由は色々あると思います。

でも、一番はやはり貧しさからくるもの。

当時でも、聞いたところによると、もちろん貧富の差は激しいんですが、ジャマイカの庶民の日給は1000円~1500円ぐらい。

なのに、物の値段はなんと日本とそれほど変わらないレベルなんです。

そりゃあ、いくら仕事があったとしても、そんな状態じゃ普通に暮らしていくのは相当大変でしょうし、日々の不安やストレスはかなり大きいことでしょう。

だからある意味、そんな暮らしの中でガンジャが蔓延したり、町の治安が悪くなってしまうのは当然の流れなのかもしれません。


そして、ジャマイカに観光に来る一般的な外国人旅行者というのは、大抵はキングストンではない他のビーチリゾートを訪れるのが定番で、たとえボブ・マーリー関連でキングストンに来るとしても(彼はキングストンのスラム生まれ)、それはツアー車でパパっと訪れるぐらいで、ガッツリとこの首都を見て回ろうとする人は決して多くありません。

なので、キングストンにはまずホテルの数もそんなに多くなく、特に安宿は非常に少なくて、基本的に宿には看板も出ていません。

なぜなら、そこが宿だと分かると、そこには常にお金を持った観光客が出入りするってことがバレるわけで、宿が襲われるリスクが高まるからです。

悲しいけど、そういう世界なんです。

僕が泊っていた安宿にも、実際常駐の専属ガードマンが雇われていましたし、僕が行った数週間前にそこの宿泊客が町中でナタで襲われたっていう話も聞きました。

そして、中南米を長く旅してきた僕でさえも、キングストン滞在中はやはりなんともいえない不穏な空気を感じることは多く、常に強い警戒心を持たざるを得ませんでしたし、実際にダウンタウンなどでは、写真を撮ってる時に突然横から見知らぬ男性に腕を掴まれて「殺すぞ」とすごまれたりもしました。
(もちろん、いつもなるべく注意を払って写真撮影はしているつもりです)


ただ、ここまで書いておいてなんですが、それでももちろん、キングストンの全員が全員怖い人なんてことは全くありませんし、毎日毎日いつでもどこでも怖い思いをするわけでもありません。

首都なので実際にたくさんの普通の人たちがそこには暮らしているわけで、ジャマイカのイメージ通り、陽気で優しい人は怖い人の何倍もたーくさんいます。

ただ、どうしてもインパクトのある出来事が強く印象に残るので、こういう書き方になってしまうんです。

なので、そのへんはどうか、みなさんの柔軟な理解力で補完してやってくださいね。

まあ、そこかしこでガンジャの匂いが漂ってくるのは確かですが…(笑)



そしてジャマイカにいる間、一番耳にして、一番口にした言葉が「ヤーマン」と「リスペクト」という2つの単語。

まず「ヤーマン」は、つづりとしては「Yahman」と書くパトワ語で、一般英語の「Yeah man」を崩したもの。

このヤーマンは本当に魔法の言葉。

基本的には挨拶の言葉で「調子はどう?」みたいな意味なんですが、その返事としても使いますし、他にも相槌や感嘆の時など、色んなニュアンスでとにかくどこでも使います。

特に、出会い頭にお互いが「ヤーマン」と言って、こぶしとこぶしをコンっと突き合わすのがジャマイカ流の挨拶です。

で、そのヤーマンに「リスペクト」という言葉を付け足すこともよくあります。

リスペクト。つまり相手への尊敬の念です。

僕は、この「リスペクト」というものが、ジャマイカではものすごく重要視されている気がしました。

どんな場面でも、初対面だろうが何だろうが、とにかく大切なのはお互いへの「リスペクト」なんです。

例えばジャマイカでは、治安の悪さもありますし、人の写真を撮るっていうことがそんなに簡単なことではなく、嫌がられることが多いんですが、

それでも相手が若かろうが年配の方であろうが男性だろうが女性だろうが、ちゃんとこの「リスペクト」というものを持って誠実に接していると、結果写真を撮らせてくれるってこともたくさんありました。


さて、ここからはようやく、僕がそんなリスペクトを持って撮影してきた写真を使ってお話をしていこうと思うんですが、

全てを話すとキリがないので、今日はなるべく、今回のテーマでもある「大麻」と関係する写真を中心にアップしていこうと思います。



首都のキングストンに来る観光客は少ないとさっき言いましたが、それでもわざわざ海外からここにやってくる外国人の多くは、大抵同じ目的を持っています。

それは「レゲエ」と「ガンジャ」。

やっぱりジャマイカの首都であるキングストンは、レゲエカルチャーの中心地であり、ボブ・マーリーの出身地でもありますし、コアなレゲエファンにとっては聖地なわけです。

さらにラスタファリアニズムにも傾倒しているファンにとっては、やはりガンジャも重要な存在であり、キングストンでレゲエとガンジャを楽しむというのは、彼らの一種の憧れです。

もちろん、ガンジャは吸わずにレゲエだけが目的な人もいますし、逆にガンジャだけが目的な人もいますが、とにかくどちらかが目的でキングストンにやってきたという外国人が多いです。

僕自身の場合は、若い頃からボブ・マーリーは大好きでいつも聞いていますが、ただそれは、その音楽が大好きなだけで、他のレゲエカルチャーやラスタファリアニズムに特に関心があるわけではなく、何度も言うようにガンジャを吸うことにも全く興味がないわけです。

それでも、この旅では世界の色んな現実が見たいという思いが人一倍強いので、僕はその面においてこのキングストンにやって来ました。


で、キングストンの中で、レゲエカルチャーのリアルな中心でもあるのが、夜な夜なスラムなどのストリートで行われるサウンドシステムを組んだダンスパーティー。

そこで地元の若者たちはガンジャを吸いながら、明け方までみんなで大音量で最新のレゲエを楽しむわけです。

ただ正直、それは本来、特別なレゲエファンでもない・ガンジャも吸わない・ダンスもしない僕みたいな外国人旅行者が気軽に参加するようなものではありません。

違法であるガンジャの売買の場所。夜中のスラムのストリート。

それだけでも十分理解できるとは思います。

でも、賛否はあるかもしれませんが、僕は自分なりに色々調べて、自己責任の元でパーティーに行ってきました。

(写真に関しては、正直僕も決めかねていました。
果たして外国人観光客が撮っていいものなのか。危険ではないのか。彼らの気を悪くさせないか。
でも、とにかくそれは現場の空気を見てから考えることに。)



さて、まずダンスパーティーは日によって場所が違います。

そして、大抵が中心から少し離れたスラムで行なわれるので車でそこまで向かうしかないんですが、流しのタクシーですら危険だと言われているキングストンなので、その日僕は宿から信頼のできる一般の運転手さんを呼んでもらい、彼にお金を払って送り迎えしてもらいました。


ちなみに、このでっかいタイヤに座っているおじさんは、宿の専属ガードマン。



そして、その日の会場であるスラムの一角に着いたのが夜中の1時。

そこには大きなサウンドシステムが組んであり、


さっそくガンジャの煙が立ち込め、


耳をつんざくほどの超大音量のレゲエ・ミュージックでみんなが踊り狂う、僕にとってはまさに、見たこともない非日常的で非現実的な世界でした。


初め僕は、こういう状況にただただ圧倒されて、どう立ち振る舞っていいか全く分からずに立ち尽くしていたんですが、そんな僕の元にも何度も何度もガンジャ売りのおじさんはやって来ました。

もちろん僕は買いはしませんが、ここはガンジャも吸わずにシラフでいるような場所ではないので、本当はマナー違反なのかもしれません。

というわけで、彼らはみんなお酒も飲んでいたので、少しでもこの空気に入り込むために僕はビールを買い漁り、それをひたすら飲み続けていました。


アルコールが入り少しだけ緊張感がほどけてきた頃、僕の頭の中には

ジャマイカの歴史、レゲエ・ミュージック、アフリカ回帰を唱えるラスタファリ、ガンジャ、貧しさ、若者の有り余る激しさ

そういったイメージが目の前の狂乱の状況と混ざり合って、なんともいえない不思議な気持ちに陥ったんですが、

でも、結局僕は何をどうあがいても部外者。

何も共有していない僕が、決して彼らの狂乱に入り込むことなんて出来ないと再確認しました。

でも、今僕がここにいること、感じるもの、ここの空気感、そういうものだけは絶対忘れないでおこうと強く思い、だからこそ僕は写真を撮ろうと決めたのです。




夜中2時、現場に緊張が走りました。

なんと、ここに突然警察車両がやって来たのです。


ガンジャのガサ入れにでもやって来たのでしょうか。

一体このダンスパーティーはどうなってしまうのでしょう…。


でも、聞くところによると、こういった警察の乱入はこの手のストリートパーティーには結構つきものらしく、

警察はガンジャの件や騒音の苦情などを名目にやって来て一旦パーティーを止める。
 ↓
で、ことを大きくしたところで、このパーティーの主催者が警察と話し合い、結構な額の賄賂を払い、結局お咎めなしで警察は帰り、パーティーが再開。

と、こういう流れがいつも繰り返されるらしいのです。

つまりこの乱入は、権力を使った、ただの警察の小遣い稼ぎのルーティーンということ。

実際、この日も、30分ぐらいパーティーは中断しましたが、話し合いの後何事も無かったように警察は帰っていきました。


きっと、これが、今のジャマイカなんです。



さて、とにかくこれが、この日のストリートパーティーの様子だったわけですが、

あそこで見たもの、感じたもの、あの場で写真を撮るという緊張感、それら全てが、強烈な思い出として未だに僕の中に鮮明に残っています。


ただ、ここまで話してきたのは、あくまでも首都キングストンでのお話。

では、ジャマイカの首都以外の場所はどんな感じなのでしょうか。


実は僕、縁があって、都会とは真逆の、山奥のジャングルの村でも数日間過ごす貴重な機会があったので、

最後に、たくさんの写真と共にその話をしたいと思います。



ジャマイカ島の北部に、ジャマイカ第2の都市であり、ビーチリゾートの観光地でもある「モンテゴベイ」という町があります。

そして、そこから南に25Kmほどの標高約2000mの山脈地帯の森の中に一軒手作りのゲストハウスがあることを知り合い経由で知り、僕はそこでお世話になってきたんです。



ジャマイカは小さな島国なはずなのに、このジャングルの村は首都のキングストンとは何もかもが違って、到底同じ国とは思えない秘境のような場所でした。


ここでは危険や、治安の悪さなどは皆無です。

とても貧しいんですが、基本的に自給自足でみんな陽気に平穏に暮らしています。




過去に事故で片腕を切断した彼も、


今は普通に車を運転しています。リスペクト。



ありがたいことに、たまにお部屋の中まで入れてもらえることもありました。


すごく大好きな写真。彼女が彼の髪結いをしてあげているとっても幸せな時間。

こんなに素敵な瞬間の写真を撮らせてくれて、本当にありがとう。



これは、森になっている「アキー」という名の果実。

世界でもここジャマイカでしか食べられない魅惑の果実です。

でも実はこれ、このままでは食べられません。

なぜなら、人間が死んでしまうほどの強い毒を持っているから…。(驚愕)


完全に熟し切って、こうして地面に落ちてしまう頃には、ようやく内部の毒が消え、中の実を食べられるようになります。


どうやって食べるのかというと、普通のフルーツのように食べるというよりは、基本的に、中の黄色い実を塩茹でして、玉ねぎや塩サバと一緒に炒めた「アキーアンドソルトフィッシュ」という料理にして朝食としていただくのが一般的です。

味はとにかく「うまい!」の一言。
(毒がちゃんと消えてるか、ちょっと怖いけど。笑)

見た目はスクランブルエッグみたいですが、まさしくこってりとした卵の黄身の部分のような味わい。

ジャマイカだけで味わえる、何とも不思議な果物です。



さて、突然の果物紹介はいいとして、とにかくこのように、この村はキングストンとは何もかもが違う世界なわけです。

でも、ただ一つだけキングストンと変わらない、いや、むしろそれ以上な部分がありました。

それは、老若男女ほとんどの人がガンジャを吸うこと。

いや、吸いまくること。(笑)


よく見たら、ガン決まりで目が真っ赤なおっちゃん。(笑)


そして、こんな山奥なので、みんなどこでも堂々と吸います。


はっぱすいすい。


彼らはわざわざ、彼らが今後吸う用の大麻を持ってきて見せてくれました。



「どうだ、俺のガンジャは美しいだろ?」と、自家栽培スペースまで連れて行って自慢してくれたおじさん。



なんというか、誤解を恐れずに言うと、この村でのガンジャは全く違法な植物とは思えないもので、ただただそこにあって当たり前に存在するもの、

むしろ、ガンジャが無ければこの村の生活は成立せず、ガンジャがあるからこそこうやってみんなが平和に陽気に暮らしていける、村の守り神のような存在だと僕には感じられてしまいました。

これはキングストンで感じたイメージとは全く違うものです。


同じ国の中ですら、環境が違うだけでこれほどイメージが違う。

そりゃあ、世界中で大麻への考えや扱いが違うのも当然のことなのかもしれません。


そもそも大麻というもの自体が、人間が作り出したものではなくて、太古の時代から自然界に自生している天然の植物。

そして人類は誕生してからずっと、地球上にある動物も植物もあらゆるものを摂取し、利用しながら存続してきました。

そんな中たまたま大麻には、人間の脳に作用する成分が含まれていることが分かり、その後世界中のあらゆる地域でこの植物に対する是非が論じられてきたわけです。

ある場所では「他の麻薬と一緒で、人間にとって危険だから違法」、ある場所では「依存性はなく、体に悪影響もないから合法」、「依存性はなくても、他の麻薬への入り口になるからダメ」、「いや、大麻を合法化した国ではむしろ、他の危険薬物の使用率が減った」、「医療用に使うんならいいんじゃないか」、「いや、医療用もダメだ」などなど。

でも、このジャングルの村みたいに、そんな議論の世界などとは一切関係なく、ただただそこに存在して、人間の生活の手助けしているなんてシチュエーションも一方ではあるわけです。


でもこれって、すごく興味深いことじゃないですか?

たったひとつの同じ植物なのに、この21世紀の時代になってもなお、未だに国によって見解も違い(アメリカではさらに州によって)、研究者ですら言ってることが食い違って、ずっと曖昧な状態のまま。

一体何が正解なんでしょうか。


前回の冒頭でも言ったとおり、今回僕は別に大麻について問題提起をしたいとか、その是非を問いたいとか、そういうつもりはありません。

でも、ひとつだけ言いたいのは「多様性」という考え方。


これだけ長く世界を旅してきていつも感じるのは、この世界は、全てのものに対してそれぞれひとつの答えが用意されてるわけじゃなくて、同じものでも、見る角度やそれぞれの立場や環境や思惑などから、その見え方は全く変わってくるということ。

大麻は、まさしくそれのモデルケースじゃないでしょうか。

きっとそこに正解なんてないんです。

今目の前に見えてるものだけがこの世の全てではないし、もしかしたら他の角度からは全く違う世界が広がっているのかもしれない。

だからこそ、これからもできるだけ多くの現実を自分の目で見て、いつでも人が作った常識やひとつの価値観に凝り固まらず、色んな角度から物事を考えられるようになりたいなと、今回モロッコとジャマイカの大麻事情を目の当たりにして強く思ったっていうことなんです。

それが僕の結論です。



さて、

というわけで、ものすごく長くなってしまいましたが、これで前編・後編と分けてお届けしてきた2つの国で僕が見てきた大麻に関するお話は終わりです。

みなさんにとって、何か少しでも感じるものはあったでしょうか。

ネットを見ている限りでは、最近は日本でも大麻の是非が問われる機会が本当に多くなってきましたよね。

もちろん法治国家で暮らす以上、現時点では、法律が変わらない限り日本で大麻を吸うのはやっちゃいけないことなんだとは思います。

でも、理由もなくただただ妄信的に「法律がダメっていってるんだからダメ!」っていうんじゃなくて、「じゃあなんで他の国ではよくて、日本の法律ではダメなんだろう」と他の角度から考えてみたり、(口論や喧嘩じゃなく)誰かと話し合ってみるっていうのもすごく意味のあることだと思うんです。

たとえ答えが出なくてもね。


と、今回はとにかくそういう話なんです。

それを分かってもらったところで、今度こそこれで終わりです。

みなさん、今回もこんなに長いお話に最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。

またツイッターや、ここ「note(ノート)」でお会いしましょうね!

ヤーマン!リスペクト!



P.S.

「問題提起をするつもりはないとか言っておいて、最後は完全に問題提起になってたの草」とか良い子は言っちゃダメよ!

リスペクト!


普段の旅のつぶやきや写真はこちらのツイッターで。フォローしていただけるととても嬉しいです。
https://twitter.com/takayukirainbow


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?