マロンパイ (2/3)

 ソフィアはロシアから来ていた。親は某グローバル企業の日本駐在員でおそらく役職付きで間違いなく区民プール入って良いタイプじゃないって感じで、なんならマンションにプールついてて良いレベルなんだけど、やっぱり案の定、すげぇゴージャスなプールがついているらしいということをソフィアに聞く前におっさんたちから聞いた。「あのお嬢さんはどういうふうに育つとあんな世間知らずになるのかね」というフレーズとともにブツクサ言っていた。全くの正論なんだけど、それでもソフィアはそのオッサンたちと一緒に芋洗いになっていたわけだ。ソフィアがなんで自宅マンションの住人専用キラキラ温水プール滝付きで泳がないかというと、ロシアの自宅とほとんど変わらなくて味気ないからだそうだ。やたらと水温高いし白っぽいしツヤツヤしてるし金ピカ。いや、正確にいうと日本サイズになったロシアで、だからイミテーション独特の腐臭がするのだそう。腐臭。どこで覚えたんだよそんな言葉。「私、ああいうの嫌い。本物だけよ、この世に存在する価値のあるものは。」と。区民プールのどこが本物なのか全く理解できないけれども、ともかく彼女はここを気に入っていて定期的に週3回、月・水・土に来るらしい。俺はあれから何度か通って気づいたのだが、彼女のいる時間は利用客が心持ち少ない。それは周りが敬遠しているのか彼女が空気を読んでいるのかわからないが、まぁ双方向性のことなんだろう。
 なんて話を上司に語って聞かせたら「マジで美人?俺も見に行くわ!」 とか言ってたのに一度も来なかったし、「もしかするとロシアのスパイなんじゃねーの?」とかチンプンカンプン。もうしゃべんなよマジで。つーかそもそもてめぇが「感想よろしくぅー!」とか言いだしたのが始まりなんだからな、。落とし前つけろや。ってのは心の中だけで思うわけ。はいはい、ソフィアはロシアのKGBの凄腕スパイですよー、僕が会社の機密情報もらしちゃうかもしれませんよーいいんですかー?幹部社員の責任でかいですよー、なんてね。
 ちなみにソフィアと俺が会うのはその区民プールか、泳いだ後に行く大戸屋か、二つだけだ。(二つでも多いとも言えるが。)なんで大戸屋かっていうと、俺は運動した後はバランスとれたもん食いたいから定食屋一択で、最近夜ちゃんとしたもの食べれるところって少ねーよなーとか言い訳しつつ本当はもう選ぶのめんどくて大戸屋あれば必ず入るんだが、最初の日ソフィアがいることにすぐ気付いてそのあと3回連続でプール後に出くわして、あぁそういうことですか、これもミッションですか、こっちも秘密情報引き出してやんよそのセクシーなタンクトップの向こう側とかな(フンスカフンスカ!)と入口のガラスを鏡にして表情作ってから「すみません、いっつも区民プールいらしてますよね?」とだいぶ痛いナンパ師みたいな声かけしたんだけど思いの外喜んでくれて「あら、あなたもそうなの?」ってそっから会話するようになる。ソフィアは俺と違って大戸屋にも確固たる意志のもと来ていて「日本食、いいわよね。私、こういうのが本物の日本だと思うの」と言っていつもサバの塩焼き定食を頼む。うーん、でもその意見はさすがに偏ってるし日本産じゃないよそのサバ、きっと。ちなみに俺はソフィアよりもっと頻繁に大戸屋に来るからメニューをほぼ暗記していて毎度毎度頼むものを変えていて今日はチキン味噌カツ煮定食の五穀米大盛り。ここの大戸屋は珍しく日本人店員が多いのだけれど、俺はバングラディシュ人(だろうと見込んでいる)「ありがとぉうございまーぁす」の発音が好みな店員を呼んで注文する。無駄なこだわり。味噌カツ煮はグツグツ煮るから遅くて先にサバがくるのだけど、ソフィアはナイフとフォークを店員に出してもらって奇妙に整った形に切り分けて食べててすごい。俺は大戸屋でナイフとフォークを初めてみたが、そんな感動は序の口。ひし形みたいだけど微妙に乱切りのようなアトランダムさがあってきれいに切り分けられた柔らかそうな切り身が小さい口に吸い込まれていく光景の中に全てが霞んでいく。いやぁ見とれちまうぜ全く。ソフィアはあの泳ぎさえなければやっぱ完璧なロシア美女であって、大戸屋に行くとサラリーマンが必ずこちらを向く。その上ここは西洋人の客も多くてソフィアは結構声をかけられる。ハァーイとかズドラートヴァチェとかスパシーバとか辛うじて聞き取れる単語?から、ああ、ロシアの知り合いか、と思いきや聞いてみると全然知らない人で口説かれたとか、そういうのザラ。男と2人でメシ食べてるのに逞しいというか俺が舐められすぎというか、まぁそういうのも国民性かしら。「私、別にあなたとデートしているわけじゃないのよ?」そりゃそうだ。「まぁもちろん嫌いではないけど」「それはどうも」やっと出てきたチキン味噌カツ煮を頬張りながら、うん。コレはうまい。思わず笑顔がこぼれる。色んな嬉しさで。
 「ソフィア、ロシア語を教えてくれよ」と言ったのは全く適当な相槌、ある日ある時の思いつきに過ぎなかったのだが、彼女は目を大きくして満面の笑みで「本当に?素晴らしいわ!勉強しようという意思はとっても尊いことよ。」とかなんとか、前のめりに賛成してくれてこちらがたじろぐほどで「どうも...どうもスパシーバ」と返してみたものの「うん、まず発音からね」と一蹴。「あとイントネーション。これを見て」しゃしゃしゃしゃっとiPhone Xの画面を触ってからぐいとこちらに押し出されて、見るとロシアに留学している学生のブログが開かれていて、ロシア語のイントネーションには7つのタイプがありますとのこと。その7つのタイプのことはイカというらしい。イカ...ロシア語ではイカはИКとかきます。イカ1、イカ2、、、イカ7まであります。「どうせなら10個が良かったのに」と思わず言うと「イカの足は8本よ。タコといっしょ。」って、なおさら惜しいじゃん。ちなみに大戸屋では白イカ丼っていう期間限定メニューを出していたことがあるらしい。俺は食べたことない。「なんの話してんのよもう。あなた本当にやる気あるの?」「えーソフィアも乗ってきたよね?」バレた?くらいの軽い返しを期待してたら「それはそれ、これはこれ。」と何やら不機嫌。いかんいかん(ИКNИКN)。「いい?言葉っていうのはね、とても複雑な価値体系の集合なの。なんとなくやるだけじゃ、その本体には迫れないわ。」「...そうなのかな?」良くわかんねぇ急にむずくなった。「私みたいに他国で暮らして、そこの言葉を本気で学べばわかることよ。」「いやでもそんな気合い入れても俺はロシア住んでねー訳だし...」「ユーイツィ!」そのツィの発音もおかしいからね?とは言わない。可愛いから。嬉しいから。「分かった分かった。でもさぁ、発音とかイントネーションとかってさ、どうしても幼少期のうちに身についちゃう部分が大きいから修正聞かないって言うじゃん。」「本当甘ちゃんね。」甘ちゃん...そうかもね。「あなた私の日本語どう思う?」「...ロシアなまり」「そのとおりね。」「...」「でも私は毎日練習して、少しでも日本人と同じように発音できるようになりたいと思っているわ。」「どうしてそんなに頑張るの?」「だからなんとなく真似をしているだけじゃダメなのよ。本物にならないわ。」だってさぁ、こちとらLとRの発音もできないんだぜ?根本的に作りが違うんだよな。「それは英語」「そうだった。」「怒るわよいい加減。」「わーごめんごめん怒らないで…」でもさぁ発音とかって個性があっても良くない?ロシア人にはロシア人の日本語があっていいと思うし、日本人には日本人のロシア語があっていいと思う。なんというか、方言のアップグレードというかさ。無理して全員が同じように話せる必要ってあんのかなぁ…

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