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ツイッタラーは世界を言葉で捉え、インスタグラマーは世界をイメージで捉える

『女子高生社長、経営を学ぶ』の椎木里佳さんがnoteを始めた。

 タイトルは「なぜ10代は今、Twitterをやめるのか考察してみた」。もうおもしろそう! 10代、ツイッターやめてるの!?と驚いた。

 10代がツイッターをやめる理由の2つ目に「つぶやくことがない」が挙げられている。フェイスブックが「おじさんメディア」と化したように、ツイッターも10代から見たら「おじさんメディア」。だから、そこでつぶやくことはない、というのが椎木さんの考察で、なるほどな〜と思った。

 僕はそこから発展して、こんなふうに思った。

 ツイッターは基本的に「言葉のメディア」でインスタグラムは「イメージのメディア」だ(ツイッターもたまにイメージがバズるけど、まあそれは例外として)。ようするにツイッターにハマる人は世界を「言葉」で捉える傾向にあるし、インスタグラムにハマる人は世界を「イメージや絵」で捉える傾向にあるんじゃないかと。

 たとえば、チョコレートパフェを目の前にしたときに、ツイッタラーはこう考える。「カロリーはどれくらいだろうか」「これは誰がつくったのだろう、バイトだろうか」「これで800円なんてコスパ悪すぎじゃね」

 一方で、インスタグラマーはこう思う。(おいしそう!)(かわいい!)(きれい!)

インスタグラマー禅僧説

「世界をどう見るか」は「人生をどう生きるか」にもつながってくる。ある事象を目の前にして概念的にウンウン考える人もいれば、「素敵!」「おもしろい!」と絵や感覚で捉える人もいる。

 どちらが幸せかどうかは人によるだろうけど、インスタグラマーはなんだか「禅」の思想みたいだなと思った。

 インスタグラムに載っける写真に説明はいらない。目の前にあるものをそのまま伝えるのがインスタだ。(もちろん「名声がほしい」とか「いいね!してほしい」とかいう煩悩もあるだろうけど)シンプルに純粋にインスタを楽しんでいるインスタグラマーは、世界をそのまんま絵として、イメージとして捉えている。

 そこにはあらゆる概念は存在しない。未来も、過去も、希望も、失望も、成功も、失敗、もない。「いま」「ここ」を大切にするインスタグラマー。彼ら彼女らは禅僧のようだ、とふと思ったのでした。「さとり世代」なんて言葉もあるくらいだし、若者はもしかしたら禅的に生きてるのかも…?

 なーんて概念的にぐるぐる考えている僕は完全にツイッタラーだね!!

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