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無理やり文章にするからこそ見えてくるもの

毎日こうして文章を書いていますが「まあまあうまくいったなー」っていうときと「ぜんぜんうまくいかなかったなー」という日があります。

「書く前に構成を考えましょう」というnoteを以前書きましたが、ぼく自身はつねにきちんと構成を決めてから書き始めているわけではなかったりします。

もちろんネタが揃っているときは「この3つのトピックを書いて、エピソードはあのときのことを書こう」と準備ができるのですが、見切り発車で書き始めてしまって、自分でもどうなるのかわからないこともたまにあります。

これを書いている今日もまさにそうです。

ただ、無理やりにでも文章にしていくことで「見えてくるもの」もあるのではないかと思うのです。強制的に文章化することで前に進むこともある。

自分の脳内を可視化できる

文章にすることで見えてくるもの。

それは自分の脳の中です。

たとえば「整理されていること」と「整理されていないこと」がわかる。書き始めてみると、意外ときちっと言葉になるものもあれば、わかっているつもりだったのにいまいち言葉が出てこないものもあったりします。

すると「この思考は整理されているけど、あの部分は整理されていないんだな」ということがわかる。

すごく考えてるつもりだったけれど言葉にしようと思うと意外に一行で終わってしまう。いいことを思いついたつもりだったけれど、文字にしてみると大したことを言ってないな、と判明したりもします。

一方で文字にし始めると意外にいろいろ語ることがあって「このことについてはわりとちゃんと考えて考えてたんだな」と思うこともあります。

もし文章にせず、頭の中のモヤモヤをそのままにしておけば、思考の整理も進んでいきません。そのまま消えていくこともあるでしょう。

モヤモヤを無理にでも文字に落とし込む。文章にしようとしてみる。すると自分が整理できている部分とできていない部分が見えてきます。次の思考に進むことができます。

脳内の整理に使える。また、自分の思考の進捗状況もわかる。だから次に進めるというわけです。

他者のフィードバックを得ることができる

文章にすることで見えてくるもの。

もうひとつは、文章にして「脳の外」に出すわけですから他者の目に触れます。すると「他者の評価」を受けることができます。

すると自分のなかでは「いまいちだったな」というときでも意外に反響をもらえることがあったりします。

先日は「人生には脚本がある」というようなタイトルでnoteを書きました。あれはぼくの理論でもないですし、そんなに自信を持って出したわけではありませんでした。

書くことがなくて苦肉の策で出したコンテンツだったのですが、この「脚本」というのが新鮮だったのでしょうか。わりと読んでいただけました。

一方で「これはいけるんじゃないか」ということで出した「Twitter攻略の方程式」みたいなnoteはあまり反応がよくありませんでした。

自分の中ではすごい発見だったような気がするのですが、そこまで読まれなかった。

「Twitter攻略」というテーマ設定自体が古かったのか? そこまでコンテンツに新しさがなかったのか? 別に読まれなかったから悪いというわけではないのですが、そうやっていったん外に出して、怖くても評価を得る。

そうすることで、少しずつ「マーケティング感覚」が身についてきます。まわりの人がどんなことに好奇心があるのか? 興味があるのか? まわりの空気みたいなものが見えてきたりします。

「書く」という刺激で次のネタが出てきたりする

文章にすると、文章にしたことによる刺激によってさらに新たなアイデアが出てきたりします。これは不思議です。

自分が書いたことに脳が刺激されて、新たなコンテンツが出てくる。昔のエピソードを思い出したりする。これも無理にでもアウトプットしようとしなければ起きえないことでしょう。

なかなか思考がまとまっていかないと「文章を外に出したくないな」と思って先延ばししてしまいます。でもそこで踏ん張って無理にでも文章にしてみると、新たな発見があったりします。

つらつらと書いていれば何か出てくることもあるのですが……

今日は特に何も出てこなかったパターンですね。

こんな文章を最後までお付き合いいただいたあなたに感謝いたします。お読みいただいてありがとうございました。

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