「ターゲット」を誰にするか問題

「年齢」「性別」で分けられる時代は終わった

 今日はマジメにマーケティングっぽい話を。

 会社に提出する本の企画書には「読者対象(ターゲット)」を書く欄があります。「20代の働く女性」とか「40代の男性リーダー」などと書くのですが、ぼくはいつもその欄を埋めるときに悩んでしまいます。

 ぼくは「◯歳の男」「職業が◯◯の女」などとターゲットを決めて本をつくることはあまりありません。年齢や性別、職業などで属性を分ける時代はもう終わったと思っているからです。

 では、誰をターゲットに本をつくるのか。それは「自分」です。「自分が読みたいもの」「自分が買いたいもの」をつくるのです。ぼくは基本的に自分の読みたいものしかつくりません。正確に言えば、自分の読みたいものしかつくる自信がありません。(だから、企画書の「読者対象」欄には本当は「俺」と書きたい。)

「え、でも、自分だけが読みたい本、だなんて1冊しか売れないじゃないか!」と思われるかもしれません。ぼくはそんなことはないと思っています。ぼくの後ろには、ぼくと同じような思いをしている人が何千人、うまくいけば何万人といるはず。そこを信じているからです。


「あなたの一部」は「誰かの一部」 分人主義という考え方

「分人主義」という考え方があります。平野啓一郎さんが提唱している考え方で、人はいろんな人格の集合体であるというような考え方です。

「 individual」 というのは「個人」と訳されます。「イン−ディビジュアル」つまり「これ以上分けられない」という意味らしいのですが、平野さんはそこに異を唱えます。個人の中にもさまざまな人格がある。一人の人間の中にもあらゆる側面、顔がある。よって個人ではなく分人なのだ、と平野さんは考えているのです。

 たとえば、「家族と話しているときの自分」と「上司と話しているときの自分」ではどちらが本当の自分なのか? 「友だちと話しているときの自分」と「たったひとりでいるときの自分」ではどちらが本当の自分なのか? そんなことを考えたことがある人も多いのではないでしょうか。しかし平野さんによれば、「本当の自分」というものが中心にあって、偽りの自分がそのまわりにいくつもあるわけではなくて「どの顔も自分」なのです。

 ぼくという一人の人間の中には、いろんな人格、いろんな自分が存在します。「子犬を見てかわいいなと思う自分」もいるし、「誰かに嫉妬してイライラする自分」もいる。「勉強しなきゃ」というマジメな自分もいるし「ビール飲んでダラダラ過ごしたい」という堕落した自分もいます。

「20代女性」「40代男性」「20代のOL」「60代の会社役員」などのターゲティングが意味を成さないのでは、と思い始めたのは、この「分人主義」という考え方を知って、腹落ちしたからです。

 分人主義的に考えれば、60代男性の中にも20代女性のようなかわいらしさがあったりするし、20代の女性の中にも80代の男性のような達観した考え方があるかもしれない。さらには多様性も進んでいます。年齢や性別、職業などで人を分けることは、もう時代にそぐわないのではないかと考えているのです。


自分が「心から」読みたい本をつくろう

 たったひとりのぼくが読みたいものをつくったとしても、ぼくの中にある「この本をおもしろいと思う要素」はその他の多くの人の心の中にもあると信じています。「子犬がかわいい」と思う気持ちは多くの人の中にもあるし、「誰かに嫉妬する思い」も多くの人の中にある。だからぼくは、自分が読みたい本をつくることで、多くの人に届けたいと考えているのです。 

 自分をターゲットにして本をつくると、大ヒットするとまでは言えないかもしれない。でも、ハズす可能性はものすごく減ります。逆に「誰かが読むだろう」と思って、安易に「ターゲティング」してつくった本は、「誰も読まない本」になる危険性をはらんでいます。

 自分が読みたい本をつくると、魂がこもります。熱意がこもります。ぼくは、頭ではなく、心で感じて本をつくりたい。「自分が読みたい本」を、「自分がお金を出して買いたくなる本」を、堂々とつくりたいと思っています。

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