見出し画像

心理学に助けを求める

“リーダーシップ”という曖昧な概念を、精神論で終始するのは気持ち悪いし、天性のものだと決めつけては成長できません。
経験値以外からリーダーシップを養うにはどうするか。
僕は、経済学・経営学・哲学・心理学に助けを求めました。

その中で、心理学は具体的な方法論において大きな力を発揮すると実感しています。
経営のノウハウを学んでも、そこに血は流れていません。
“人”を動かすこと。それには“心”が必ず伴います。

今回は、参考になった心理学に関する知見を、経験を交えて紹介します。



●アドラーによる承認欲求の否定

アドラーは言いました。

承認欲求に生きることは他人の人生を生きることであり、それは人生の嘘だ。
だから、他者の目を気にしないで、自分の人生を歩むべきである。

確かに、親に認められたくて、褒められたくてプレーしていた頃より、夢や目標のためにプレーしている今の方がはるかに熱量を注いで取り組めています。
また、監督の顔色を見てサッカーすると、急にサッカーがつまらなくなります。

ですが、スタメンを決めるのは監督です。
監督の求めるプレーをすることも否定するのでしょうか。
また、誰かに認められたいという欲求は原動力になり得ると考えられます。
支えてくれた人のためにプレーするという思いをも否定するのでしょうか。

アドラーならこう答えます。

スタメンの決定は監督の課題。
選手の課題は、試合に勝つため、成長するため、スタメンになるための不断の努力。
監督がスタメンに選んでくれるように、監督のために頑張ることは、自分の人生を生きないという愚行である。
監督の承認ためにサッカーをするのと、監督に選んでもらえるよう頑張ることはまるで違う。
相手があなたをどう思うか、どう評価するかは相手が判断することで、あなたの課題でないから、介入することができない。
監督と選手には、明確な課題の分離があるから、監督の承認を求めても意味がないのだ。
誰かに認められたいという原動力も同じ文脈で語れる。
誰かのために頑張ることは素敵なことだ。
しかし、誰かの承認を求めてしまうと、その誰かの期待する人生を送らなければならなくなる。
誰かの存在が原動力という考えと、誰かの承認を求めることは、全く違うのである。


承認欲求を否定し、自らの人生を生きる。
勇気がいる厳しい思想ですが、僕のアイデンティティの中核になるものでもあります。
(まだまだ、アドラーを理解しているなどとは言い切れませんが)

嫌われる勇気という本はバイブルであり、超オススメです。てか、絶対読んでください。マジで。

マネジメントにおいては相談を受けた時に大きな助けとなります。

「存在を認めること」
「自らの人生を生きることができているか」
「課題の分離ができているか」
「可哀想な私でもダメなあいつでもなく、これからどうするか、に思考が向かうか」

僕はこれらを特に意識しています。



●マズローの欲求五段階説


1943年、マズローが「人間の動機づけに関する理論」で発表したこの考え方も、とても参考になります。


図の通り、人間の欲求は5つの階層に分かれると説いています。

また、悪に捉えられがちな“欲求”を、マズローは悪とは捉えていません。
では、この思想は僕らにどのような知見を与えてくれるのでしょうか。

仮に、リーダーは自己実現の欲求に生きているとします。
彼らは「なぜサッカーをしているのか」、「なぜ生きているのか」と考えます。
自己実現の欲求とは、目的感を抱き、使命を認知し、自分らしく生きたいと願うことだからです。

一方、所属と愛の欲求に生きている人は、「サッカー部というコミュニティに所属していること」そのものを求めます。
承認の欲求に生きている人は、自尊心や他者評価を得ることに喜びを抱きます。

ここでありがちなのは、自己実現の欲求に生きる人が、全ての人間がそうであると考えてしまうことです。

所属したい、承認されたい彼らにいきなり「もっと頑張れ」、「まだ足りない」と問うても意味がありません。
寧ろマイナスでしょう。
まずやるべきことは、震えを解くことです。
評価されない、孤独への震えです。
震えを止めるには、存在を認めることです。

人は誰しも存在するだけで価値があります。(価値を生み出すことは他者の課題、価値を見出すことは自分の課題です。

マズローからは、自分はどの欲求に生きているのかを認知すること。
困っている・変わってほしい彼はどの欲求に生きるのかを認知し、それに応じた解決策を見つける必要性が学べます。



●ダニエルピンクの内発的動機づけ


ダニエルピンクはモチベーションを3段階に分けました。
モチベーション1.0は、生理的動機づけです。
お腹が空いたから食べる、というものです。

モチベーション2.0は、外発的動機づけです。
監督に言われたからやる、週末に公式戦があるから頑張るなど、外からの刺激によって引き起こされるモチベーションです。

そして、モチベーション3.0が内発的動機づけです。
自分の内側から湧き出てくるやる気のことです。
これがベストな動機づけであるとしています。
なぜなら、“自主性”・“成長”・“目的”という特徴を有しており、主体性を高め、貢献感を抱けるからです。(詳しくはモチベーション3.0:ダニエルピンク著を読んでみてください。)

僕はこのモチベーション3.0を、アドラーの“自分の人生を生きること”や、マズローの“自己実現の欲求”と同義だと捉えています。
承認欲求にとらわれず、自己実現のために生きる。
それこそが内発的動機づけになると考えます。

外発的動機づけだと、やる気が大きく上下したり、責任の所在が自分で無くなるリスクを孕んでいると考えます。
内発的動機づけなら、“上手くなりたい”という不変の欲求を燃料にするから、頑張り続けることができます。

誰かのやる気を引き出したいなら、褒美や罰を与えることは適切でないことがわかります。



●本音で語るということ


先日、関西学院大学文学部総合心理科学科の大竹教授と面談させていただきました。
(お忙しい中長時間質問に答えていただき、大変感謝します。ありがとうございました。)

大体の内容はこのメモの通りです。

これまでの文中にもこれらが転用されていますが、ここで取り上げたいのはネガティブワードの強さについてです。

ネガティブなことを伝えてモチベーションが10落ちたとして、後からポジティブなことを伝えても10回復するわけではないそうです。
それだけネガティブワードのもつ力は強大なのです。

この事象を関学サッカー部に転用します。
サッカー部では、“つながり”を大切にする文化があります。(今年のビジョンにある、“なぜ貢献するか=同じ感情を同じ熱量で抱きたいから”はこの文化から生まれました)

そして、つながりを強固にするために“本音で語る”がキーワードになります。
この本音で語ることに落とし穴があります。
その落とし穴とは、本音=ネガティブな要素を伝えるという考えです。

この面談を通じて、本音=ポジティブな要素を伝えるということの重要性を再認できました。
ひどく当たり前に聞こえますが、実はできていないです。
君のここが素晴らしいと伝えることは思いのほか難しいのです。
ついつい忘れてしまったり、恥ずかしかったりします。

以前誰かが、平成の日本社会はバブルがはじけてどうするかから解決の糸口を探るあまり、色んなことをネガティブ要素から課題解決につなげる雰囲気になったと語っていました。

なら、令和の関学サッカー部はポジティブな側面からPDCAを回していきたいと感じます。

本音で語りかけ、やる気を引き出すにはこうしましょう。

「君の〇〇が素晴らしい。そして、△△が改善されたらさらに良くなる。君なら必ずできるはずだ」と。



●最後に


日常生きる中でもマネジメントにおいても、人と関わることは人の感情に寄り添うことです。
体育会が得意な気合とノリで突き進むのではなく、少しだけでも本を読み、少しだけでも人に聞くと、なにか変わるかもしれません。

サポートいただけるとそのお金が僕の筋肉とエネルギーに変換されます。ありがとうございます!