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可視化できない価値がある

今回のnoteは最後まで読んでいただきたいと切実に思っています。

世の中には見える価値、数値化した価値、認められている価値があります。しかし、認識されていない価値って結構多いです。実はその認められていない価値にかぎって結構重要だったりします。今回は私の職業である看護の「可視化できない価値」について伝えさせてください。

看護がなぜ可視化できないかを伝えるために、医師と比較してみたいと思います。

医師は患者を治療するために処方や手術をします。その対価は診療報酬として支払われます。つまり医師の価値を対価として可視化できます。循環器医師が心臓カテーテルを行ったから何点です。循環器医師は稼いでいると可視化できます。では看護師は・・・

最近では認定看護師や専門看護師などの制度ができ、活躍の場が増えているのは事実です。しかし、価値の可視化はまだまだ遠いと感じています。

1つ例をあげると、看護は「せん妄との闘い」と言われます。せん妄とは何らかの原因で意識障害が発生し、入院患者の10~30%に起こると言われています。症状は患者によって異なりますが、主に幻覚や妄想です。攻撃的になり体内に入っているドレーンを抜いてしうことも多々あります。このせん妄は厄介で、患者のQOLを大きく低下させてしまいます。そのせん妄と闘うのが看護師です。

一番良い闘い方はせん妄の原因を取り除くことです。低酸素だとか炎症だとか原因検索し、取り除いてやれば良いのです。しかし、すぐに対応できない事や原因不明なことも多々あります。そうなると患者の安全を守るために動けないようにする行為があります。抑制(行動制限)と言って手を縛るだとか、手袋を着用する事を言います。もちろんご家族の許可を取りますが、気持ちの良い行為ではありません。ここがポイントです。

自傷他害の危険があるせん妄患者がいたとします。抑制をすれば危険が回避される可能性があります。睡眠薬を投与することもできます。そうすれば看護師は労力を抑えることができますし、別の仕事もできます。休憩時間がとれるかもしれません。しかし、患者のQOLは大きく低下するでしょう。患者は抑制された経験からPTSDになるかもしれません。

「そうなってほしくない、患者には良くなってもらいたい」これが看護師の使命感です。そのため抑制をしないで患者のベッドサイドで見守ります。タッチングをしたり、話を聞いたりと患者の安全・安心な環境を提供します。

しかし、他の業務が滞った結果、残業になります。休憩がとれない事も多々あります。夜勤で一晩中ベッドサイドに付き添ったため食事や休憩がとれず、朝にはゲッソリ・・
帰りの運転で何度も居眠り、電柱にミラーをぶつけることも・・

なんでそんなことするの?

それは患者を守りたいからです。しかし、その努力って可視化ができないのです。「一晩中休憩をとらないで付き添った」に対する診療報酬はないのですから。何故でしょう?

「患者を守った」という根拠は・・

「一晩付き添って患者を守りました。」
「自分の休憩時間を削って患者を守りました。」

「抑制しても守れたでしょ」と言われればそれまでです。「抑制しないで守った」と証明できる根拠がありません。自己満なのでしょうか?

それが看護なんです。可視化できない歯がゆさが看護なんです。しかし、人の思いってものすごく重要だと思っています。資本の価値ではなく感情の価値、想いの価値。

別に見返りを求めているわけではありません。しかし、看護師が専門職ならば看護行為に対して診療報酬を支払うべきです。そうなれば看護師の意識も高くなり新たなイノベーションが生まれるのではないでしょうか。


以前メタップスの佐藤航陽さんが言った言葉です。

「感情を科学する」


もし実現出来たら、看護師の価値が・世の中の価値が大きく変化するのではないでしょうか?


ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。


皆様のお役に立てるnoteになれば幸いです。